消された自殺、逃げた記者......メディアを襲った激震の20日間

──東日本大震災発生後、メディアは震災報道一色となった。被害や被災地の状況だけではなく、原発事故の状況やそれらに対する政府や東電の対応など、報じるニュースは24時間事欠かず、前例のない報道シフトが組まれた。記者は業務に忙殺され、2週間自宅に戻れなかった者もざらにいたという。そんな中であふれ返った震災関連情報の向こうで起こっていたこととは? 週刊誌ベテラン記者(A)、大手紙社会部デスク(B)、民放社会部記者(C)に、震災後の「20日間」を振り返ってもらった。

いわき市小名浜港近くの街中。地域によって、報道量の差が出たことも問題となった。(写真/笹村泰夫)

A 3月11日の地震は、未曾有の惨事をもたらした。マスコミは何を伝え、何を伝えなかったのか、振り返ってみたい。

B 震災当日といえば、朝から菅直人首相の外国人献金が報じられて大騒ぎに。午後、石原慎太郎都知事の出馬表明が続き、てんやわんやの渦中に、あの地震と津波がやってきた。わが編集局フロアもパニックに陥っていたよ。

C 僕は間髪入れず、宮城県気仙沼市へタクシーで飛びました。現場はまるで爆弾で破壊された街のようで、陸に打ち上げられた漁船の重油に次々と火がつき、火の海と化したのに消火する者が誰もいなくて、心底怖かった。

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2024.11.22 UP DATE

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