先日、大仁田厚と食事をした。東国原英夫や桑田真澄は早稲田に入ることによって学歴と人生をロンダリングしたが、大仁田はプロレスラーから国会議員になったにもかかわらずロンダリングに失敗した。臥薪嘗胆の時期が短く、明治に入ったことが間違いだったと思う。
四半世紀以上前の話になるが、いまだに耳について離れない政治家の発言がひとつある。1983年、レーガン大統領と蜜月関係にあった中曽根康弘首相(双方とも肩書は当時)が初訪米し、ワシントン・ポストの取材に対して発した、"日米の安全保障上、日本列島を不沈空母にする"といった旨の、いわゆる"不沈空母発言"である。
その強烈な言葉に、私は強い反発を覚えた。その一方で、冷戦下のソ連や中国などとの関係を俯瞰すると、その考え方もあるなとも思った。日本が生き残る道はこれしかない。たとえアメリカの属州だといわれても。
不沈空母。あとになってこれは通訳が意訳したために出てきた言葉ではないかという説が伝えられたが、当時は中曽根自らの言葉として大々的に報道された。そして、2010年。やはりこの言葉は本当に中曽根の野望であったと、私は確信した。