──精神障害、知的障害を抱えた者の犯罪と、それに関連する司法制度に詳しい精神科医に、そもそも「性的倒錯」とは何か、そしてその「矯正」「治療」にはどんな方法があるのかについて、精神科医、岩波明氏に聞いた。
──ひとくちに「性的倒錯」といっても、そのジャンルはさまざまなわけですが、現在の精神医学では、どのように定義・分類されているんですか?
岩波明(以下、岩) アメリカ精神医学会の定める指針で、日本でもよく利用される『DSM-Ⅳ-TR(精神疾患の分類と診断の手引)』では、性嗜好異常、いわゆる性的倒錯は、露出症、フェティシズム、窃触症、小児性愛、性的マゾヒズム、性的サディズム、服装倒錯的フェティシズム、窃視症などのカテゴリーに分けられていて、それぞれに診断基準が示されています。
──つまり、精神医学において、性的倒錯は、性的嗜好に関する「病気」とされているわけですか?
岩 そうなんですが、結論からいうと、ほとんどの性的倒錯については、精神疾患と見なすのは間違いだと思います。確かに、ホルモンの異常や脳の器質的な障害などが認められる場合もありますが、それらを除く大半の性的倒錯は、人間の性の多様さの一形態ととらえるべきだと思います。
──では、2005年の自殺サイト殺人のように、性的倒錯が犯罪に結びつくケースはどのぐらいあるのでしょう?
岩 強いサディズムなどはともかく、フェティシズムや性的マゾヒズムなどが昂じて重大犯罪に至るケースは、さほど多くありません。精神医学の領域で問題になるのは、統合失調症のような明白な精神疾患があって、性犯罪を起こした場合です。05年に施行された医療観察法により、心神喪失状態で重大犯罪を起こした被疑者については、従来の措置入院(自他を害する恐れのある精神疾患患者を、指定病院に強制入院させる制度)とは別枠で対処するようになったんですが、その中には、統合失調症や躁うつ病、発達障害など、明らかな精神障害によって強姦あるいは強制わいせつを起こしたケースが、06年では21例見られました。
──多くはないけれども、ある種の精神病患者の中には、性犯罪に向かう傾向のある人もいる、と。
岩 確かに、そういう傾向のある人はいるでしょうね。たとえば、サディスティックな面が非常に強く出る反社会性人格障害、昔でいうサイコパスの患者が、自分の衝動を制御できずに性犯罪を起こすケースなどがあります。有名な事件だと、88〜89年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤は、見解は分かれていますが、統合失調症、あるいは反社会性人格障害だと診断されています。また、発達障害の中には、性的な空想に支配されやすい人がいて、性犯罪にまで至ってしまうケースが散見されます。03年の長崎男児誘拐殺人事件(4歳の男児を全裸にして性器に切りつけた後、パーキングビルの屋上から転落死させた事件)の加害少年は、アスペルガー障害であるといわれています。
こうしたケースは、数としてはむしろ少ないんですが、やはり犯行の内容が特異なので目立ちますし、どうしてもマスコミで大きく取り上げられてしまいます。もっとも、犯人に精神障害があり、かつ女性や子どもをターゲットにしたからといって、必ずしも性的なことに結びつくというわけではありません。たとえば、昨年7月、八王子の書店で女性従業員と女性客が死傷した無差別殺傷事件の場合、犯人に軽度から中度の知的障害があり、被害者も若い女性でしたが、犯行動機に性的なニュアンスはありませんでした。
──性的倒錯が昂じて重大犯罪に至り、厳罰が下されたケースの中には、本来なら精神疾患として免責されてしかるべきものもあるんでしょうか?
岩 自殺サイト殺人の前上博などは、『DSM-Ⅳ-TR』における診断名のひとつである、衝動制御障害である可能性があります。しかしながら、少なくとも日本の法廷で、こうした障害やパーソナリティ障害といった、いわゆる精神病質と呼ばれるものが減刑や免責の理由になることはありません。このあたりの扱いについては、海外ではかなり事情が異なっていて、性的倒錯に相当するケースが免責される国もあるんですよ。
──自分でも衝動を抑えられないのだからしょうがない、と。
岩 明らかに病気といえる場合に限りますけどね。私自身は、パーソナリティ障害や発達障害にはすべて完全責任能力がある、という今の日本の風潮には問題があると思っていて、精神病質といわれるものの中には、精神疾患と呼ぶべきものも含まれていると思いますね。
もちろん、精神疾患として認めてしまえば、少なくとも死刑にはならないし、彼らを収容する施設と予算も必要になりますから、実際問題として非常に大変なことになるのはわかります。このため医療観察法も、パーソナリティ障害や発達障害を除外しているわけです。日本の司法には、そうした困難な事例から目をそらしてしまうという、悪しき伝統があるんですよ。
性犯罪者への薬物投与は一定の効果を期待できる?
──では、性犯罪者を治療、あるいは矯正することは可能なんでしょうか?
岩 これまで述べたように、明白な精神疾患が原因の場合、たとえば躁うつ病の躁状態によって犯行に及んだ人などについては、精神科の通常の治療でかなりよくなります。うつ病や統合失調症などは、脳のケミカルな問題が大きいので、薬の力で改善できるんです。
精神疾患とはいえない場合でも、06年にスタートした性犯罪者処遇プログラムで実施されている認知行動療法などによって、ある程度矯正可能です。具体的にいうと、性犯罪者の多くは、いわゆる「認知の歪み」(女性を蔑視している、相手の感情を理解しようとしない、など)があるので、それをグループ療法によって時間をかけて矯正していくと同時に、犯罪を誘発する心理的な誘発要因を探し出し、それにどう対処すべきかを学ばせます。といっても、もともと治療を希望する人にしか効果は期待できませんが......。
──海外ですでに実施されている、抗男性ホルモン剤投与による化学的な治療、いわゆる「薬物去勢」や、性犯罪者のGPSによる監視、氏名等の公開についてはどう思いますか?
岩 薬物投与は、一定の効果を期待でき、しかも身体に重大なダメージがあるわけではないので、個人的には、日本でも導入を検討すべきだと思います。ただ、ステロイド系の薬物ですので副作用はありますし、人権的な反対もおそらく非常に強いでしょうから、実際の導入は簡単ではないでしょう。
また、GPSはある程度の抑止効果を期待できますが、氏名の公開に関しては、日本においては社会的な抹殺に等しいですから、そこまではできないでしょうね。それに、殺人者に対してもそこまではやらないのに、なぜ性犯罪者にだけ実施するのか、という反論も当然あり得ると思います。
──AVやエロマンガなどが、ある種の性犯罪を促進しているとの批判もありますが、それについてはどのように思われますか?
岩 個人的には、そういう作品で描かれる内容を、「これくらいならやってもいいんだ」という、ある種の社会的なコンセンサスとしてとらえ、そのやり方を学んでしまうということはあると思います。ただ、その意味では、実は個々のアダルト作品よりも、性犯罪に関するテレビや新聞などの報道全体の姿勢の影響のほうが、ずっと大きいのではないかと思いますね。
岩波明(いわなみ・あきら)
1959年、神奈川県生まれ。東京大学医学部卒。精神科医。多くの精神科医療機関に勤務後、現在、昭和大学医学部精神医学教室准教授。著書に『狂気という隣人 精神科医の現場報告』(新潮社)、『精神障害者をどう裁くか』(光文社)などがあり、精神科医療における現場の苦労や問題点を発信している。