表には出ない"指導死"という恐怖

──警察庁の発表によると、今年上半期の自殺者数は前年比4・7%増となり、このままのペースでいくと、今年の自殺者の数は過去最悪の数字を記録すると予測されている。そんな中、今夏、"指導死"をめぐる訴訟の判決が埼玉地裁で下された。指導死とは聞き慣れない言葉だが、これは教師の不適切な指導により生徒が突発的に自殺するというもの。だが、この手の裁判では、教師の非が認められることはほとんどないという。

2時間にも及ぶ教師らの指導の後、自らの命を絶った井田将紀君(左)と将紀君の家族。

 7月30日、東京高裁にて"指導死"をめぐるひとつの判決が下された。指導死とは、教師による生徒指導をきっかけとした自殺のことを指す言葉だが、7月に下された判決は「教師らの行為は教育的配慮に欠けたものではない」とするもので、裁判の原告でもあり、生徒指導を受けた直後に次男を自殺で亡くした井田紀子さんは「裁判所は、死ぬほどまでに追い詰められた息子の精神的苦痛を理解してくれなかった。先生に一発でも殴られていたら、勝訴できたのかもしれない」と悔しさをにじませた──。

 事件の発端は2004年5月26日、埼玉県立所沢高校3年生だった井田将紀君が中間テストの際にカンニングを疑われたことによる。2時間目の物理の試験中、1時間目のテスト科目だった日本史に関するメモが机上にあったのを試験監督だった教師が見つけ、それを物理のカンニングペーパーだと誤認、教師は内容を確認しないまま日本史のメモを取り上げた。

 テスト終了後、将紀君は、正午から約2時間にわたって5人の教師からカンニングの事実について聞かれ、指導を受けたことを母親・紀子さんへ自分の口から伝えるよう言い渡された。その後、一度帰宅し、自宅から3キロ離れた立体駐車場から飛び降りたのは18時頃。指導を受けた約4時間後の出来事だ。直前に母親の携帯電話に「迷惑をかけてごめん」、というメールを送っている。

 当日の朝は「今日で試験は終わり。学校から帰ったらゲームして寝るから、晩ごはんの時に寝ていたら起こさないで」といつも通り元気に登校したので、紀子さんの仕事先に「息子さんが道に倒れていて病院に運ばれました」と連絡が入った際、彼女は事故に遭ったのかと思ったという。しかし、直前に送られていたメールのこともあり、これは尋常な事態ではないと駆けつけると、そこで目にしたのはすでに遺体となっているわが子の姿だった。
 
 趣味のフットサルに興じ、友人も多い。将紀君は、横浜国大に入学して将来は公認会計士になることを希望していた。友人の中には「自殺なんかする奴じゃない。教師が悪いんだ」と声を振るわせる人もいた。

将紀君が自殺した当時、指導に加わった教師らによる謝罪文。「大変申し訳なく思っている」「悔いている」など、反省の記述が散見できたが、裁判資料として提出されたにもかかわらず、彼ら教師たちは罪に問われることはなかった。(↑ここをクリックすると拡大します)

 紀子さんは将紀君の死後、朝は元気で学校に行った子がどうして自殺しなければならなかったのか、教師たちに「当日はどんな気持ちで接していたのか?」「自殺後はどんな気持ちなのか?」、思ったままを知らせてくれるよう要望した。これに対して、教師らをはじめ、校長や教頭からも、自分たちの非を認める謝罪文が紀子さんへ届けられている。
 
 そして06年6月、彼女は「自殺は教師たちがカンニングを疑って威圧したのが原因。同じようなことが二度と起こってほしくない」と、学校設置者である埼玉県を提訴。教師たちは裁判で「指導に問題はなかった。何か事件に巻き込まれたか、大学受験のことで悩んで自殺したのではないか」と証言した。また、将紀君が自殺した後に教師らが紀子さんに向けた謝罪文については「彼女に強要されて書いたまでで、そこに書かれている内容は事実ではない」と陳述している。
 
 08年7月、埼玉地裁は「教諭らの行為は違法であるとは言えない」として請求を棄却。遺族は東京高裁に控訴した。
 
 学校事故・事件に詳しい明治大学名誉教授の伊藤進氏は、裁判所に「確たる証拠もないのに執拗にカンニングを疑った教諭らの行為には教育的配慮は認められない。教諭らの行為は精神に対する暴行であり、精神的いじめ行為である」とした内容の意見書を提出。教師によるいじめが認められれば遺族側の勝訴もあると思われたが、この7月30日に下った東京高裁の判決は、埼玉地裁の原審を支持するもので、控訴は棄却された。
 
 判決を受けて埼玉県は、「裁判ではこちらの主張が認められた。県教育委員会としては、学校が保護者や地域からより信頼されるような環境であるよう努めていく所存である」とコメントしている。

自殺した生徒自身を問題視する学校の対応

 だが、本当に学校側の対応には問題はなかったのだろうか? NPO法人『ジェントルハートプロジェクト』理事であり、学校事故・事件を論評するウェブサイト「日本の子どもたち」を主宰する武田さち子さんは次のように語る。

「5人の教師による約2時間もの事情聴取は、物理試験の監督教師による『日本史のメモの内容が物理記号に見えた』という思い込みから始まっている。(日本史のメモなのに、物理の試験でカンニングをしたという)この思い込みを正当化するために、執拗に行われた事情聴取で、将紀君は必死にカンニングしていないことを伝えようとしたが、誰も信じてくれない。こうした思い込みによる見込み捜査と自白の強要は、警察による密室での取り調べも問題になっているが、学校では記録係もいない中、裁判では教師の一方的な意見だけが採用されてしまう。学校の言い分のみをくんだ今回の判決は、不当判決と言わざるを得ない」
 
 さらに、「他の指導死の例でも、事情聴取そのものが生徒に苦痛を与える罰と化している。表面的には生徒指導を装うが、実は教師による見せしめ的なつるし上げだと言える。思春期の子どもは人として発達途中であり、さまざまな間違いをするのは当たり前のこと。指導は、生徒の成長を目的に配慮して行わなければならない」と述べ、指導直後に生徒を自殺に追い込むような指導が適切であるはずがないと断じた。
 
 実は埼玉県では、将紀君が亡くなる4年前、新座市立第二中学校で、昼休みにソフトキャンディを食べたことを指導された学級委員の大貫陵平君が、飛び降り自殺をしているのだ。教師は「たかがお菓子と思うかもしれないけど大変なことなんだよ」とほかにも食べた生徒の名前を告げるよう迫り、反省文を書かせ、臨時学年集会では皆の前で「学級委員として二度と同じ過ちはしない」という決意表明をするよう求めたという。
 
 規則違反とはいえ、昼休みの間食でここまでの指導は行き過ぎと言わざるを得ないだろうが、こうした陵平君の死を教訓に指導死の再発防止対策に取り組んでいたら、将紀君の自殺は防げたのではないだろうか? 埼玉県に尋ねてみると、「井田将紀君の自殺と指導との因果関係は裁判の中では明らかになっていない。また、過去のケースにおいても自殺と生徒指導の因果関係は不明である。しかし、生徒が自ら命を絶つことは悲しいことで、あってはならない。命の大切さについては授業を行っていきたい」としている。
 
 さて、井田将紀君の指導死裁判の判決では指導と自殺の関連性はないものとされたが、因果関係が認められた判例もある。昨年、長崎での裁判がそれだ。
 
 04年3月10日、長崎市立小島中学校2年生だった安達雄大君は、ライターを友達に見せているところを担任に見つかり、1メートル四方の掃除道具入れの中に押し込まれて指導を受けた。そして、放課後、多目的室で指導を受けている最中に「トイレに行く」と告げて校舎4階の手洗い場に行き、窓から飛び降り自殺した。
 
 両親は「精神的に追いつめた指導が自殺の原因である」として、長崎市を相手に提訴。08年6月30日、長崎地裁の判決は「T教諭の指導がなければ自殺することがなかったことは明白である」と、指導と自殺の因果関係を認めている。また、狭い道具入れの中での指導、喫煙している人の名前を言わせた指導、部活動(サッカー部)停止を背景にした指導などが「雄大君を追い詰め、自殺に至らせた」と批判。だが、学校は自殺を予見することは困難だったとして、法的な損害賠償責任は認めていない(高裁への控訴はなし)。

 一方、遺族側が勝訴した指導死裁判は、00年1月に神戸地裁で下された判決が唯一である。
 1994年9月9日、兵庫県龍野市立揖西西小学校6年生だった内海平君が、放課後、運動会のポスターの描き方について質問したところ、担任教師は、「何度同じことを言わすねん」と怒鳴って平君を殴打。その時、教室にいた同級生に照れ笑いを浮かべたのを見ると、再び教師は、口内が切れるほどに殴打した。その1時間後、平君は自宅の裏山で首吊り自殺したのだ。
 
 その2年後の96年に両親が神戸地裁へ起こした裁判の判決は、「殴打行為はA教諭が激昴し、感情のはけ口を求めたものである。担任教諭から理不尽な暴力を加えられたと感じ、それによって自殺を決意しかねない危険な精神状態に陥り、遂に自殺してしまったものと推認するのが相当である」として龍野市の行政責任を認めた(高裁への控訴はなし)。

自殺で子どもを失った遺族が、地域から村八分に

 さて、ここまでは訴訟により浮き彫りになった指導死の事例を紹介したが、これは氷山の一角。指導をきっかけに子どもが自殺したことで、遺族が周囲から村八分になりかねないケースもあるのだ。

 筆者の手元に、指導死により子どもを失った両親がマスコミ取材を受け、それによりPTAから「学校の名誉を汚した」と非難を浴びる様子が録音されたテープの写しがある。
 
 PTA会長の「マスコミ報道に対しては断固許さない」という挨拶から始まって、両親がインタビューに応じたテレビ番組のVTRが流され、次には保護者らが「学校が悪くいわれて、子どもも親もショックを受けている」「自殺は自分たち(両親)の問題なのに、マスコミに出て騒いで、どうして学校が犠牲にならなくちゃいけないのか」「これからはマスコミに出ることを一切やめていただきたい(拍手)」などと、遺族を個人攻撃。この遺族は学校と県への提訴を考えていたが、こうした経緯もあって裁判を断念した。つまり、裁判でも起こそうものなら、挨拶すらしてくれなくなって、地域から孤立してしまうことさえあるのだ。
 
 こうした中、96年から14年間、文部科学省が都道府県市町村からの報告を元に発表している『児童生徒の自殺の状況』中で、「教師の叱責による自殺」「教師との人間関係による自殺」はゼロ。この間、一部、報道されたものによると、14人もの子どもたちが指導直後に自殺しているが、統計上、指導死は存在しないことになっている。前述した安達雄大君の裁判では、指導と自殺の因果関係が認められたにもかかわらず、長崎市教育委員会は「原因不明の自殺」としたまま頑として訂正に応じない。同じく、内海平君の裁判で敗訴した兵庫県龍野市教育委員会も訂正しようとしない。文科省は、「実態と統計がかけ離れているとしたら問題だが、自殺原因の訂正の報告がなければ、統計に反映させることはできない」とする。
 
 今年の1月19日にも、福岡市立内浜中学校の男子生徒が生徒指導後に自殺した。また、死には至らなくとも、同8月21日には、京都府の亀岡市立南桑中学校の男子生徒が、夏休み中の生活態度について指導を受けている最中、校舎から飛び降りて重体となっている。

友人も多く、活発だったという将紀くん。彼だけではなく、指導死で亡くなった生徒のほとんどが、明るくリーダーシップを発揮するような子どもだった。
  ある臨床心理士は「教師対生徒という力関係がある中で行なわれる指導は、生徒の心理的負担に配慮して行なわなければならない。生徒の自尊心を決定的に踏みにじるような事態に追い込めば、思春期の多感な時期にある生徒は教師への怒りの気持ちを押さえ込むことができずに、不登校になったり、突発的に自殺しかねない」としている──。

 井田君の指導死裁判の判決が下された翌日、指導死した子どもの親たちは、文科省に陳情に訪れている。彼らの親族や遺族の切なる願いは、指導死が文科省の統計にカウントされることで、指導によって子どもが死に追いやられるケースが認知され、再発防止策が取られることなのだ。

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