ダンカイ目オヤジマッチョ科ムッツリ属「ハルキ中年」

 知人にKさんという人がいる。フリーの編集者で小説家志望。某文芸誌新人賞の最終選考に残ったこともある実力派で、私も何度か投稿前の作品を見せてもらって意見を述べたことがある。いずれもなかなかの出来で、そう遠くない未来に作家としてデビューしそうな逸材でもある。そんなKさんと先日久しぶりに会ったら、げっそりとやつれていた。「どうしたんですか?」と尋ねると、どうも請け負ったムックの仕事がうまくいっていないようだった。彼が編集していた某社の『1Q84』ムックが、校了間際で全面作り直し、発売も1カ月近く延びてしまったというのだ。一体なんでそんなことに?尋ねると、Kさんは生気のない声で話し始めた。

 そもそもその春樹ムックは、某社の重役であるA氏(推定年齢55歳)の極めて個人的な動機で制作が決定したものだった。A氏は、半年前に某中堅出版社B社から成績不振を理由に子会社のC社に左遷。意気消沈していた。そこで出会ったのが、発売直後の村上春樹の『1Q84』だった。それほど文学に通じているわけでもないAさんだったが、なぜかこの『1Q84』には感動、周囲の人が引くくらい入れ込んでバイブル化し、その勢いでムック本の企画まで通してしまった。ところが、いい年して子会社にコンバートされてしまうほどの逸材でいらっしゃるAさんは、実務能力が皆無。実際の編集仕事は全部、昔馴染みのKさんに丸投げにしてしまった。Kさんは文学に明るい知人の書き手を集めてムックを編集した。文学事情に明るくないAさんは知らなかったのだ。いわゆる文芸プロパーの中で春樹の評価は必ずしも高くないことを、そしてAさんのような、春樹に自分を重ね合わせて入れ込むハルキ系オヤジは極めて馬鹿にされやすい対象であることを……。

 かくして、悲劇は起こった。印刷直前のゲラを見てAさんは激怒。「こんなはずじゃなかった」と、その胸をかきむしったという。そして、ここからが最悪なのだが、Aさんはその責任をすべて外注編集のKさんに転嫁。自分が直前まで原稿に目を通さなかったことを棚に上げて、大量の原稿とデザインに「自分が批判されているような気がする」という理由でボツを出し(もちろん書かせたのだから、稿料は払わなければならない)、誌面構成を丸ごと作り替えることを決定し、そしてトドメにKさんにキレた。

「なんで君は僕の意図をちゃんと理解してくれないんだ!」

 こうしてAさんは大量のライターとデザイナーを敵に回し、Kさんの面子を完全に潰し、会社に甚大な損害を与えて理想の「春樹ムック」を作り上げた。企画が進行していればそろそろ出回っているはずだが、たぶん春樹マンセー(ついでに春樹好きの自分マンセー)な素晴らしい本になっているだろう。

 ちなみに、私が村上春樹の力量を最大限に評価しながらもそのセンスがいまいち好きじゃないのは、このAさんみたいな、責任転嫁的なイデオロギーを感じるからだったりする。自分が変わろうとせずに「君たちがわかってくれないのがいけないんだ」みたいなセンス、といったところだろうか。

 また、私は『1Q84』の版元である新潮社の、その名も「新潮」という雑誌でかなり厳しく同作を評した(あんなセカイ系のレイプ・ファンタジーを、この私が評価するはずもない)が、この種のハルキ系中年編集者から怒られる、なんてことはまったくなかった。A氏の最大の悲劇は、その自己像とは裏腹に、その精神は最も文学から遠いところに存在すること、だろう。

※さすがに今回はそのまま書くとKさんのモデルに迷惑がかかるので、02年の『海辺のカフカ』(新潮社)発売時に起こったトラブルの話を混ぜて書いています。ムック本企画も当時のものです。

<使用例>
(会議室の後片付けで)
「ねー、また○○さん、会議でキレたらしいよ」
「あれで『自分は温厚な紳士』とか思っているのがすごいよねぇ」
「なんかエンコーとか、してそうじゃない?」
「そうだね、村上春樹とか好きみたいだし。ハルキ中年だもん」

<関連キーワード>

『ジャズレコード』
意味がなければスイングもない……はずなのだが、こういうカタチから入る人には絶望的にセンスと才能がない。

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宇野常寛(うの・つねひろ)
1978年生まれ。企画ユニット「第二次惑星開発委員会」主宰。ミニコミ誌「PLANETS」の発行と、雑誌媒体でのサブ・カルチャー批評を主軸に幅広い評論活動を展開する。著書に、『ゼロ年代の想像力』(早川書房)がある。本誌連載中から各所で自爆・誤爆を引き起こした「サブ・カルチャー最終審判」は、今秋書籍で刊行予定。

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