"百合"の由来はゲイ雑誌!? かくも永き ガールズラブの歴史

 そもそもなぜ、女性同士の恋愛を「百合」と呼ぶようになったのか? これについては、1971年にゲイ雑誌「薔薇族」(第二書房)を創刊した、同誌編集長の伊藤文學氏が提唱したといわれている。男同士の恋愛=バラに対して、女同士をユリと呼んだわけだ。

 ただし、女性同士の恋心にも似た強い関係性を描いた作品は、少女小説の分野では大正時代から確立されており、その元祖は、吉屋信子の『花物語』(河出書房)なのだとか(連載開始は1916年)。同作は、女学校や寄宿舎で生活する少女たちの心模様が細やかに描かれた短編集で、親元から離れて心細い少女同士の育む深い友情関係が主題となっている。大正から昭和にかけてこのジャンルは、「エス」(Sisiterの「S」の意)と称され、一部の女性の間で人気を誇っていたとか。

 70年代に入ると、『おにいさまへ...』(池田理代子/中央公論新社)や『白い部屋のふたり』(山岸涼子/白泉社)など、百合描写を含む良質な少女マンガが登場。だが、当時すでに同人ファンの間で盛り上がっていたBLマンガに比べ、百合マンガは作品数が少なく、あくまでも純粋な少女マンガであったため、広く認知されることはなかった。『美少女戦士セーラームーン』以降の百合マンガの躍進については84ページで述べた通りだが、現在では、総合文芸誌「ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー)でGLマンガ特集が組まれるなど、さら注目が集まっている模様。学園モノが多いが、最近では若手の女性マンガ家同士、デキる美人OL同士......など、登場する美少女の幅も広がっているので、男性読者にも敷居が低くなりつつある?

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2024.11.22 UP DATE

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