──一般的には記録映像、記録作品とも呼ばれるドキュメンタリー。 演出を加えないことが前提であるため、放送コードや倫理規制をも凌駕する多くの名作が生まれたが、そんなタブー破りのDVDを選出する。
その存在自体が一種のタブーと化した『ワラッテイイトモ、』という作品に私はかかわっていたことがあるんです。K. K.さんという作家が『笑っていいとも!』(フジ)の映像を徹底的にサンプリングしたアート作品ですが、日常に浸透しきった国民的番組のタモリを題材としたドキュメンタリーでもあります。2003年のキリンアートアワードでは、一度は最優秀賞に選ばれたものの、肖像権や著作権の問題から公開が自粛され、特別優秀賞という枠で受賞することに。意図せずアートをめぐる権利問題を浮上させ、賞制度を揺るがす事態になったんですね。アートとはリスクのエッジの部分で表現すべきものですから、こうした硬直した状況は起こるべくして起こったものです。だから、これは映像をめぐる状況の変化を鮮やかに切断して示しました。以来、私は『笑っていいとも!』を見ることができなくなりました(笑)。それほど、スムーズな日常に隠蔽されている映像に不気味さを覚えたんですね。
こうした何げない日常を一変させたドキュメンタリーといえば『ブリッジ』【1】です。観光名所であるサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを定点観測したものですが、カメラは本来の目的を隠して置かれました。
実は、その橋は自殺の名所でもあるんです。この作品では、人が亡くなる瞬間を目撃することになります。日本と同様、自殺問題を抱えるアメリカの精神状況と、名勝をつなげたのがこの作品の巧みさですが、自殺の抑止という狙いよりも、産業景観の誘惑に惹き込まれます。崇高な風景を前にして人間をとても小さな存在だと感じる、畏れと厳しさが立ち現れているんです。
『いま ここにある風景』【2】にも同じことが言えます。中国を舞台にして、汚染された壮絶な風景が切り取られているのですが、エコロジーのメッセージを発信しながらも、その風景を美しく見せる、非常に両義的な作品です。
たとえばアル・ゴア『不都合な真実』は、環境破壊を社会問題として教条主義的に、あるいは「このままでは世界が終わる」という終末論で恐怖を煽るものでしたが、これはまったく異なるアプローチです。もちろん、美しく見せることで問題を隠蔽しているという批判はあるにせよ、議論とは別にテクノスケープの誘惑がある。それが映像の深みだと思います。また、 18世紀の美学で自然物に対して発見された崇高性が、むしろ自然を破壊する人為的な風景に宿っているという逆説的な美のあり方を提示しています。
同じ風景を美しいと思うか醜いと思うか、あるものをどう受け止めるか、それはコード化できません。空間の使用法も同様です。対岸に渡るはずの橋が彼岸へ逝く場となったのが『ブリッジ』でしたが、綱渡りの半生を描いた『マン・オン・ワイヤー』【3】では二本の塔=ワールドトレードセンターが渡る舞台としてあります。オフィシャルには許されない、かなり特殊な反応ですが、「二本あるから、そこに綱をかけて渡る」という解釈は論理的に正しいと思うんですね。同じ建物から想起される究極的なカタストロフとして9・11がありますが、それに言及することなく、個人の力を最大限に発揮して二本の塔に向き合うというオルタナティヴを示したのも見事です。
ドキュメンタリーは、あたかも一方的な見方で社会変革を目指しているように見えます。しかし、さまざまな受容の広がりを持つのが映像の特徴です。人間が互いの顔を読むように、映し出された風景の表情を見つめるのがドキュメンタリーの醍醐味ではないでしょうか。
(談)
【1】『ブリッジ』
2006年製作/監督:エリック・スティール/3990円/アミューズソフトエンタテインメント(アメリカ)
サンフランシスコの象徴であり、自殺の名所でもあるゴールデンゲートブリッジ。そこから身投げする人々を映した問題作は一方で、美しき風景を切り取る。
【2】『いま ここにある風景』
2006年製作/監督:ジェニファー・バイチウォル/Metropole Canada/輸入盤(カナダ)
カナダの写真家エドワード・バーティンスキーが撮る産業の発展で様変わりする中国の風景を主題とするが、映し出されるテクノスケープは不思議と崇高。
【3】『マン・オン・ワイヤー』
2008年製作/監督:ジェームズ・マーシュ/Magnolia/輸入盤(イギリス)
今は亡きワールドトレードセンターで1974年に綱渡りした大道芸人、フィリップ・プティの半生を追う。その行為はイリーガルだが、見る者に感動をもたらす。
いがらし・たろう
1967年パリ生まれ。建築史・建築批評家。現在、東北大学教授。著書に『新論 新宗教と巨大建築』(筑摩書房)、『戦争と建築』(晶文社)、『映画的建築/建築的映画』(春秋社)など。編著に『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社)。