ポップカルチャーという宗教とその教祖の終焉

ソウルで行われたMJのチャリティーツアーの様子。

 マイケル・ジョセフ・ジャクソンにとっては夢の国ではなく悪夢の国となってしまった彼の元自宅、ネバーランドのベッドルームには一枚の奇妙な絵画が飾られていたという。膨大なカートゥーンのコレクションや歴代のヒット・ソングが詰まったジューク・ボックスなどと共に所有されていたこの絵は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を模したもので、中心のイエスト・キリストの位置にはマイケルが、その周りにはエイブラハム・リンカーン、ジョン・F・ケネディ、トーマス・エジソンといった過去の偉人や、リトル・リチャードのような伝説のミュージシャンが描かれている。この絵の下で彼は少年に性的虐待を行ったとして、93年に告発、また04年に逮捕され、前者は示談、後者は全面無罪となったものの、計り知れないイメージ・ダウンと心労を負った。母親の影響からエホバの証人の熱心な信者であったマイケルは、昨年11月、維持費を工面できなくなったことを理由に『最後の晩餐』と共にネバーランドを売却、同時にイスラム教に改宗している。果たして彼は自分を救ってくれなかったイエスに見切りをつけたのだろうか。いや、そうではなく、彼自身がイエスの生まれ変わりであったのだ。そして、それを売り払ったとき、彼は実質的に死んだのだ。ポップ・カルチャーという名の宗教を世界中に布教して回る役割を終えて。

 ポップ・カルチャー=大衆文化は、それまで限られた階層のものであった"文化"が大衆に解放されていく過程で生まれた。

 そこには情報通信技術や複製技術の発展が大きくかかわっていて、音楽でいえば、以前は実際の演奏を聴くためには高額な料金を支払わなければならなかったのが、ラジオやレコードで気軽に聴けるようになったことによって、より多くの人々に開かれていった。決定的だったのは第2次世界大戦後のLP/EPの一般化と、戦勝国・アメリカの好景気を背景にしたロックンロールの登場である。この新しいムーヴメントはそれ以前のスウィング・ジャズよりも速く、広く、そして強烈に世界中の大衆――特にその若い担い手たちを虜にしていく。それは何よりアメリカと資本主義の宣伝役も兼ねていたし、そこから新しい消費層としての"ティーンネイジャー"という概念が生まれた。この頃から、世界中の若者たちは、エスニシティやナショナリティと同時に、いや、多くの場合それよりも強く、ポップ・カルチャーにアイデンティティを託すようになっていく。その最初のアイコンがエルヴィス・プレスリーである。
 
 60年代に入って爆発的な人気を得たのがザ・ビートルズだった。イギリスの一都市、リヴァプールから現れたアメリカ産のロックンロールやR&Bに強い影響を受けたこの4人組の登場は、すなわち、アメリカ発のポップ・カルチャーがいよいよ世界標準となったことを意味した。やがて、彼等のキャリアが後期に差し掛かるにつれ、ロックンロールは省略されてロックと呼ばれるようになり、それに乗って世界中の若者たちに伝染するメッセージも、エルヴィスの時代には精々旧来の性モラルに対する異議申し立て程度だったのが、より政治的な内容へと進化し、そこからヒッピー・ムーヴメントが立ち上っていく。誰もが音楽で世界を変えられると信じていた時代だった。
 
 その一方で、エルヴィスにしろ、ビートルズにしろ、アメリカ黒人が創り出したロックンロールを白人が搾取したにすぎないのではないかという議論があった。もちろん、ロックの世界的な勃興の裏ではリズム・アンド・ブルースが常にそのインスピレーションの源となっていたし、また、たとえばブラック・レーベルのパイオニアであるモータウンは60年代にはビートルズと並ぶ世界的人気グループ、ザ・スプリームスを輩出し、70年代には同レーベルに所属するマーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーが公民権運動の延長線上でヒッピーに向こうを張った政治的な作品を発表している。しかし、それは、当時の白人と黒人の社会的立場同様、しょせんロックに対するオルタナティヴにすぎなかった。そして、それを逆転させたのが他でもないマイケル・ジャクソンなのである。

 69年、そのモータウンからバブルガム・ポップなR&Bグループ、ジャクソン5でデビューし、79年、アルバム『オフ・ザ・ウォール』で本格的にソロ活動を始めるや否や折からのディスコ・ブームに上手く乗ってさらなる人気を得たマイケルは、基本はアイドルであり、ノン・ポリティカルなアーティストであった。そんな彼をブラック・ミュージックといういちジャンルにおけるスターから、正真正銘のトップ・スターに押し上げたのが82年のアルバム『スリラー』のビッグ・ヒットだ。この、現在でも破られない1億400万枚というアルバム売り上げ枚数の最高記録をレコードするモンスターをサポートしたのが、前年に開局したテレビ局「MTV」で、ここで2億円という当時破格の金額をかけて制作されたタイトル曲のプロモーション・ヴィデオが繰り返し流されたことによって、マイケルは新たな時代のアイコンとなった。音楽だけではなく映像が重要視され、それによってより多くの人々に受け入れられる事になったポップ・カルチャーの新たなタームでは、マイケルの音楽と見事に融合したダンスこそは無敵の武器だったのだ。こうしてマイケル・ジャクソンは巨大化を極めた音楽産業のトップにまで登り詰める。ただし、彼はその成功を機に、むしろポリティカルなベクトルに方向転換していく。

マイケルに続くスターは絶対に現れることはない

 85年にマイケルの呼びかけで多くのミュージシャンが集まり、アフリカの飢餓救済を訴えたチャリティ・シングル「ウィー・アー・ザ・ワールド」のPVも「MTV」でこれでもかというほどヘヴィー・プレイされた。同シングルは、このメディアを最も政治的に活用した楽曲だろう。87年にリリースされたアルバム『バッド』もそれまでに比べ、かなりメッセージ性の強いアルバムとなった。この時期、マイケルは公民権運動の祖、ジェシー・ジャクソンと対話を重ねるなど、ブラック・コミュニティとの結束を強く意識しつつも、そのメッセージを全世界、全人種に伝えるために、音楽性と彼自身の肉体の脱人種化を推し進めていく。マイケルの寿命を縮めたとも言われる過剰な整形手術へのこだわり、少年時代に父親から大きな鼻をからかわれたがために持った容姿に対する強いコンプレックスが原因であるとされているが、彼はひょっとしたら真剣に、黒人でも白人でも何人種でもない、つまりは神になろうとしていたのではないか。88年のヴィデオ『ムーンウォーカー』には、その願いが実現された瞬間が収められている。冒頭の「マン・イン・ザ・ミラー」は、人種も、さらには性別さえも超越した美しい姿のマイケルが、洗練されたトラックに乗って「もし君がこの世界をより良くしたいと思うなら、自分自身を見つめてみるんだ。そうすれば変われるはず」と世界平和への願いを歌い上げると、何万人と集まったあらゆる人種の若者たちがバタバタと気絶していくという、まさに宗教的な映像である。しかし、振り返ってみれば、この時点で彼は既にポップ・スターとしての役割を終えていたのかもしれない。83年にデビューし、86年に「ウォーク・ディス・ウェイ」というビッグ・ヒットを放った――要するに、『スリラー』と『バッド』の間の時期にヒップホップという新しいブラック・ミュージックのムーヴメントを世界的に認知させたラン・DMCは、この頃ステージでマイケルがいつも右手に付けているのと同じ白手袋を放り投げ、踏み潰すパフォーマンスを見せている。そう、マイケルは台頭し始めていた新世代にとっては、他でもない旧世代の象徴だったのだ。
 
 マイケルの政治性が「MTV」というメディアを利用してトップ・ダウン式にメッセージを投げかけるグローバリゼーション・タイプだとしたら、ヒップホップはその側面を持ちながらも、マイケルのようなプロフェッショナリズムではなく、むしろアマチュアリズムを強調することによって、ボトム・アップ式に文化を育てるローカリゼーション・タイプを兼ね備えている点でパンクと同様に新しかった。その背景には、世界平和の実現という漠然とした夢物語よりも、自分の住む地域が抱えている目先の問題を解決しなければという、70年代後半の荒廃したブロンクスから始まり、90年代には世界で共有されるリアリズムがある。また、『スリラー』と「MTV」のコンビネーションで頂点を極めたポップ・カルチャーは、以降、頭打ちとなり拡大を止め、90年代半ば〜00年代にかけてのインターネットの一般化という、再び起こった情報通信技術の発展によって、今度は、タコツボ化と言われる趣向の拡散と、聴取環境のソフトからデータへの移行が同時進行し、商業的に衰退していった。そうした中では、マイケルのポップ・カルチャーを通じた世界平和の実現という政治性は大味な時代遅れの産物以外の何ものでもなく、彼はあっという間に『ムーンウォーカー』のような信仰の対象から、ゴシップ誌を賑わす嘲笑の対象へと墜ちていく。マイケルは準備されていた「ディス・イズ・イット」ツアーでポップ・カルチャーに返り咲くつもりだったようだが、それは端から無理な話だったのだ。なぜなら、この文化自体がすでに死に体なのだから。今後、エルヴィス・プレスリー、ザ・ビートルズ、マイケル・ジャクソンに続く存在が現れることは絶対にない。一時期であれ、エルヴィスの娘と結婚し、ビートルズの版権を所有し、前二者を呑み込んだマイケルはそういう意味でも究極のポップ・スター=神であった。7月1日付のビルボード・チャートでは1位から9位までをマイケルの作品が独占している。人々はそれを、消え去りゆくポップ・カルチャーへの──文化を通して世界中がひとつになれると信じたあの日々へのレクイエムとして聴くのだろう。

いそべ・りょう
1978年生まれ。ライター。執筆内容は多岐にわたるが、日本のアンダーグラウンドなダンス・ミュージックや日本語ラップについて書くことが多い。著書に『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』(太田出版)。

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