細田守監督が"家族肯定"に挑んだ理由とは?

──2006年、アニメ映画『時をかける少女』が異例のヒットとなり、宮崎駿や押井守といった「大御所」たちの次世代を担うアニメ作家として注目を浴びた細田守監督。その彼の、満を持しての新作『サマーウォーズ』が、8月1日から全国公開される。前作以上に現代の時代性を見据えた、同作のオープンかつラディカルな挑戦とは?

©2009 SUMMERWARS FILM PARTNERS

──作品を拝見して、まずインパクトがあったのが、物語の舞台が長野県上田市だったことでした。同地はちょうど「歴女」ブームなどに乗って真田幸村の故郷として注目されてきているので、面白い符合だなと思ったんですが、なぜ上田だったのでしょうか?

細田(以下、) はい、まさに歴史ブームが来るのを見越していて……なんてのは大嘘です(笑)。もともとこの話の舞台を考えるときに、非常に大きな力に立ち向かう普通の人たちの物語にしたかったんです。一言で言うと、今回の映画のストーリーは、インターネット上に現れた世界の危機をもたらす巨大な敵と戦う、戦国武将の末裔の家族の物語です。そこで、その家族の設定に合うような、かつて大きな勢力に立ち向かった武将をモデルにしたいなと考えたんですね。それでいろいろな歴史上の人物を探したんですが、その中で真田家という、わずかな兵力で徳川の大勢力に立ち向かった痛快な一族の在り方が、今回の家族たちとマッチしてるなというところから、上田市を舞台にすることにしました。今回のタイトルも、真田氏がこの土地を守った、二度にわたる上田合戦が両方とも夏に起きているのと、のちに幸村と昌幸が参加した大阪夏の陣もあるので、複数の夏のウォーを合わせて『サマーウォーズ』にしたんですね。

──そういう、緻密なロケで描かれる実在の場所のリアリティと、奇想天外なプロットとのギャップで映画の力を発揮する作風が、細田監督の作品の醍醐味ですね。今回の『サマーウォーズ』は、これまでの細田作品の蓄積の集大成的なところがあったような気がします。そうした視点から見た場合、特に新しい挑戦、発展を目指されたのは、どういった点でしょうか?

 自分としては集大成という認識はなくて、たまたま演出家が同じ細田守という人間だから同じようなテイストやトーンになってしまうだけのことなんですが(笑)、それでも今回の映画でチャレンジしたのは、「家族」です。しかもミニマムな核家族ではなくて、親戚も含めた大家族。たぶん日本映画全体の中で見ても、家族映画は数あれど、親戚も含めた親族映画というのは、あまり聞いたことがない(笑)。近いのは『犬神家の一族』くらいでしょうか。家族映画をアニメーションという手法で作るとしたら、どうなるかと考えました。

 というのは、日本アニメを振り返ると、だいたい15歳くらいの少年少女が世界を救ってしまう。一方、ハリウッド映画では世界を救ってきた人は、たいがい30代~40代くらいの白人のオジサンです。そういう人々が毎夏毎夏、世界を救ってるじゃないですか(笑)。で、もし日本人が世界を救うとしたら、どういう人だろう。僕は日本人の40代の男ですが、あまりピンでは世界を救える感じがしないなという自覚があるわけですね(笑)。日本人の場合は、集団なんじゃないか。それが親戚一同だったら面白いなというのが、この映画の着想なんですよね。

 ハリウッドの映画史的なところとか、日本のテレビアニメ史的なところからも外れた、独自の主人公にしたかった。それがこの映画の特徴で、面白いところでもあり、同時に作っている側としてはとてつもなく不安なところでした。

──日本の家族というか、一族郎党を描いた映画だと、先ほど挙げられた『犬神家の一族』みたいに、おどろおどろしい前近代的な血族の因習や閉鎖性を否定的に描くミステリーが中心だったと思います。そういう流れを反転させる意識などもあったのでしょうか?

『犬神家』だけじゃなく、自分自身の親戚なども考えると、親族なのによくわからないことが多く、実際おどろおどろしい部分がなくはないんですよ。自分なんかの体験で言えば、父親たちの世代で何か揉め事めいたことがあって、親戚間で交流がなかったりする。だから、親戚というものに対して、映画でもあまりいい描き方はされてこなかったですよね。遺産目当てで突然やってきて惨劇が起こるとか、必ずそういうパターン(笑)。

 そういう横溝ミステリー的なもの以外でも、「家族」がテーマになると現代の病の一種として、「現代の家族の絆の喪失と再生」だとか、基本的に家族とはしんどいものだ、という前提で語られることが本当に多いんですよ、そればっかりだと思っていいくらい。本当は家族こそが一番の安心の源であるはずなのに、そこに一番問題があるというような思考に慣れすぎて、自己肯定しづらくなってきたと思うんです。

 でも今は、そういう現実があったとしても、現代の家族を肯定することが、すごく重要なんじゃないかと思うんです。今ある何かを力強く肯定することに、どうやって映画として説得力を持たせられるかが、何よりのチャレンジだと思うんです。

──はい、非常に現代的なテーマだと思います。ただ、そこで、親戚一族がこれだけ大規模な家族が、今の家族なのかというところも論議を呼びそうな気もするんですが、細田監督としては、あくまでも現代性として描かれたのですね?

 そうです。今回モチーフが2つあって、デジタルと親戚という組み合わせですね。この組み合わせでやると、普通だと「ネットはダメで、家族こそ本物のコミュニケーションだ」、もしくは「都会がおかしくて田舎は正しい」とかという話になりがちでしょう。でもそういう、どちらが良いか悪いかではなく、そのどちらもが現代を構成する一断面として、否定しても仕方ないものとしてある。そういうグローバリズムとドメスティックの対立を旧態依然の二項対立的なものではなく、どう描こうとしたか、この映画の中で観ていただければと思いますね。

 ヒントとしては、今アマゾンとかヤフオクとかで買い物をするときのアカウントというものが、ネット社会において、自分が自分であることの証明書になってるじゃないですか。で、そのアカウントを奪う存在が、この映画で出てくる敵なんです。つまり自分の存在証明を奪う敵なわけですね。そういう敵を設定したときに、それに立ち向かい得るのはなんでしょうか? そういう視点で観ていただくと、今回の映画のチャレンジを、わかっていただけるのではないかと思います(笑)。

──最後に、今のアニメの状況に対して、細田監督としては、前の世代の作家にはない、どんな挑戦を試みられたのでしょうか?

 僕自身は、尊敬する先輩監督たちの世代に対して、なんらかの対抗意識とか、その中に食い込みたいみたいな気持ちは、ほとんどないんですが(笑)、ただ、今のアニメって作るほうも観るほうも、誰が見ても狭まってきていますよね。その中で自分としては、「同じことばかりやってて面白いのかな?」ということは感じます。

 アニメーションという手法を使って映画を作るということには、もっとさまざまな可能性があると思っています。ところがアニメ映画というと、ほぼジブリというか、宮崎駿さんたちしか頑張っていらっしゃらない状況がずっと続いているわけで。宮崎さんたち以外でも、もっとほかにいろんな作品ができる可能性があって、いろんなモチーフを使って作品を面白くできるかもしれないのに、もったいないですよね。多様なアニメーション映画が、もっと生まれるべきだと思います。最近だと例えば、ロボットが出るテレビアニメの劇場版とかさ、アウトプットが映画というだけで、実際はキャラクタービジネスをやっているだけじゃないですか。いや、モチーフはロボットでもいいけど、せめて新作を作ろうよって思うんですけど(笑)。そうでなければ、クリエイティブな可能性は広がらないし、アニメーション映画に与えられた社会的な使命というものを、ちゃんと果たすことにつながらないじゃないかと思うんですよね。

細田守(ほそだ・まもる)
1967年、富山県生まれ。アニメ監督。91年、東映動画(現・東映アニメーション)に入社し、アニメーターとして『遠い海から来たCOO』(角川映画)などに関わる。演出家に転向し、『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』などを監督。05年に同社を退職し、フリーに。06年、『時をかける少女』で文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞などを受賞。

『サマーウォーズ』
現実とほぼ同様の仮想都市「OZ」が世界的に広まった"現在"。夏休み、数学だけが取りえの高校生・健二は、なぜか憧れの夏希先輩に誘われて長野にある彼女の田舎に行ことに。そこは室町時代から続く旧家で、90歳になるおばあちゃんを筆頭に、多彩な親戚一同(計27人!)が顔を揃えていた。その晩、健二は不審な数学クイズのメールを受け取り、数学好きの虫が騒いでつい解答してしまう。それは、世界中に混乱をもたらす大災難の始まりだった――。 [配給]ワーナー・ブラザース映画[公開]8月1日より、新宿バルト9ほか全国ロードショー 公式HP

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