――グーグルが押し進めている、書籍の全文検索サービス「ブック検索」に、日本の一部の著作権社たちが、過剰とも言える拒否反応を示している。同サービスの普及によって、書籍を取り巻く状況は、本当に彼らが危惧するような悪影響を受けるのだろうか?――
黒船を打ち払うか、手を結ぶのか!?……でも、開国しない理由もないのでは?
書籍の全文が検索できるようになるグーグルの新サービス「ブック検索」に対して、日本の著作権団体が激しく反発している。
いわく「日本の著作権者の意見が無視されている」「なぜアメリカの法律に従わなければならないのか」「書籍の販売が難しくなる」「作家や出版社の利益にならない」「なぜ私企業が勝手にやるのか。公的機関に任せるべきだ」等々――。
はっきり言ってしまえば、こうした反発の大半はバカバカしく、無意味だ。なぜそう言えるのかを、これから説明していこう。
経緯を簡単に振り返っておく。グーグルのブック検索は、同社がハーバード大学やスタンフォード大学、慶應義塾大学などとともにスタートさせたプロジェクトで、これらの大学図書館が所蔵している書籍をスキャナーで読み取り、OCRによってテキスト化している。すでに700万冊のスキャンが終了しているというから、膨大な数だ。そしてこれらの書籍の中から、絶版になった本や著者の許しを得たものについては、検索結果に全文を表示できるようにしている。その他の書籍に関しては通常は全文表示を行わず、書籍の情報や数行の抜粋だけを表示させる仕組みだ。
そしてこのブック検索に対して、米国作家協会と全米出版社協会が「ビジネス目的で勝手にスキャン、コピーしている」と著作権侵害で訴えたのである。この裁判は昨年10月に和解し、グーグルは、絶版の書籍に関しては次のようなことができるようになった。
①オンラインでの書籍内容の販売
②図書館や大学からの、書籍内容への無料アクセス
③ウェブで表示される書籍のページへの広告配信
絶版になっていない通常の書籍に関しては、これらの項目がそのまますべて当てはめられるわけではなく、著者の側の都合によって選択することになる。そしてグーグルがこのビジネスによって得る収益のうち、63%は著者に支払われる。つまり残りの37%をグーグルが取るということだ。
和解案を呑むか呑まないかは、今年9月末までに決めなければならない。呑めば63%を受け取り、自分の書籍がブック検索でどう扱われるかを決める権利をもらえる。呑まずに和解案から離脱すると、自分の書籍を利用されることはなくなる。しかし完全にグーグルと縁が切れるかというとそうでもなく、大学や図書館での全文検索や抜粋表示など、フェアユースとしてグーグルが裁判所に認めてもらっている部分に関しては利用されてしまう。
問題は、この和解案が世界中の書籍に適用されてしまうということだ。煩雑だから説明しないけれども、ベルヌ条約【註 1886年に締結された、著作権に関する国際条約。日本は1899年に加盟】を批准している国の書籍すべてが対象になる。当然日本も含まれていて、これまで書籍のデジタル化などにはまったく興味がなかった日本の古くさい出版業界は、突然黒船襲来のようにアメリカの裁判所から和解案を突きつけられて、大騒ぎになったのだった。その中で、冒頭に紹介したような反発が噴き出てきたのである。
もちろん、この和解案には重大な欠落がある。「絶版書籍」が「アメリカで流通していない書籍」として捉えられているため、日本では普通に売られている本まで絶版書籍にされてしまっているケースが起きているのだ。ただしアメリカの裁判所の和解管理人は、今後はAmazon.co.jpで販売されているかどうかなども絶版の基準として含めていくと明言しているという。
この問題さえクリアしてしまえば、日本の出版社や著者が和解案に参加しない理由は何ひとつ存在しない。
検査機できない情報は「死んだ情報」同然
そもそもブック検索によって、どういう利益不利益が生まれるのかをきちんと捉えておくべきだ。書籍の読者から見れば、不利益などひとつもない。
このインターネット時代にあって、検索できない情報は、もはや生きた情報とはいえない。ネットの普及によって、情報は検索できるのが当たり前になった。ウェブサイトやブログ、新聞記事、動画、音楽など、ありとあらゆるコンテンツを我々は検索システムによって探し出し、楽しんでいる。
だがこれまで、書籍の内容だけは検索が不可能だった。Amazon.co.jpでは「なか見!検索」という全文検索サービスを提供しているが、これに応じている出版社はごくわずかで、日本で刊行されている大半の書籍は全文検索ができない状態だ。
これは著しく利便性が低い。もし現在流通しているベストセラーなども含めて、全文が検索できるようになれば、書籍文化にとっても社会全体にとっても、非常に有意義である。グーグルの和解案を歓迎しているポット出版は、ウェブサイトでこう表明している。
「すべての人が、書籍の書誌情報(タイトル・著者名など)だけでなく、その全文に対して一定の言葉の存在を検索できることは、その人にとって有用な書籍を『発見』する手だてを格段に増やし、そのことで、社会全体でさまざまな知の共有が前進すると思う」
これはまったくその通りである。逆に言えば日本の出版社の大半は、みずからのインターネットリテラシーの低さを棚に上げて、「全文検索できると、本を買う人がいなくなる」などと、なんら根拠のない主張をしてきた。少なくとも現在まで、ウェブで書籍の内容が掲示されたことが原因で、本が売れなくなったなどということを証明する事実は、一度も提出されたことがない。逆にケータイ小説のように、ウェブで全文配信されているにもかかわらず、書籍が爆発的に売れまくったようなケースさえある。
「著者の利益にならない」というのも同様で、自分の著書が検索エンジンによって、有用な知として活用されることを望まない人はいないはずである。
もうひとつの反発は、「人の本で勝手に金儲けしやがって」というものだ。たとえば和解案からの離脱を会員に呼びかけている日本ビジュアル著作権協会は4月30日に記者会見し、その中で作家の三木卓氏がこんなことを言った。
「出版社はみんなにいいものを書かせようとして、いっぱいお金を使って一生懸命、出版文化を支えているのに、グーグルがそのいい部分だけをさらっていくのは問題です。(中略)グーグルに対しては怒りを覚えています」
しかしそもそも、なぜ金儲けがいけないのか。なんらかの有用な新しいサービスを提供するのであれば、そこに収益モデルを付与するのは資本主義社会では当然のことである。
グーグルはこのプロジェクトで、すべての利益を収奪するわけではない。63%は著者に分配されるレベニューシェアモデルで、検索によって書籍に対する読者のアクセスが増加していく可能性を考えれば、これは両者にとってはWIN―WINの関係以外にはならない。「いい部分だけをさらっていく」という三木氏の発言は、いったい何を指しているのかまったく意味不明だ。
おまけに、今回の和解案でグーグルが独占的にブック検索を行うことになるわけではなく、ほかの企業にももちろん門戸は開かれている。そのようなオープンな状況にあって、「全文検索は私企業ではなく公共の機関でやるべきだ」などという批判は、あまりにも的外れで古くさい反資本主義的世界観でしかない。
おそらくそうした牧歌的な反発はいずれは消滅し、誰もが書籍を検索して自分に有用な書籍を探し出せる時代がすぐにやってくるだろう。
知らないとマズい! 佐々木が注目する今月のニュースワード
「Windows7RC」5月上旬、マイクロソフトの新OS「Windows 7」の新しいベータ版が、一般向けにリリースされた。RCとは「リリース・キャンディデイト」の略で、日本語でいうと「出荷直前版」。同OSは、今年秋に正式な製品版が発売される見通しとなっている。
「プレステケータイ」
ソニーから発売されるのではないかと最近噂されているケータイ。PSPと同等の描画性能を持ち、ケータイとポータブルゲーム機が融合したデバイスとなる。07年頃から発売は囁かれていたが、スマートフォンの主流化に乗って、本当に登場する可能性があるとか。
「ハフィントンポスト」
アメリカのインターネットニュース媒体。もともとは民主党系の政治ブログとして05年にスタートしたが、先だって行われた大統領選報道で、人気ニュースサイトとなった。すでに全米で30位以内のページビューを達成するまでに育ってきており、瀕死の状態に陥っている新聞などのマスメディアを代替する存在として、注目を集めている。