ドン底の週刊誌編集長よ、グラビアを語らずしてジャーナリズムを語るな!

――「しゃべるな!」と言われたことを、あちこちでしゃべりまくり、命まで狙われたこともあるというタカス。周囲から怒られる度に「貝になる」と誓うのだが、その放言癖はいまだ健在だ。

私の友人、雁野さとしが東京12区から衆院選挙を目指している。まだ若い40歳が、1000人以上の"どぶ板"をやっている。森田健作より100倍動いているぞ。

 5月15日、「闘論!週刊誌がこのままなくなってしまっていいのか」というシンポジウムが東京・四谷にある上智大学で行われた。主要な週刊誌11誌の編集長や元編集長がパネリストとして登場するという(実際は「サンデー毎日」編集長が非礼のドタキャンで10誌)。大学のゼミ主催のこういうイベントは、編集長が集まりやすい。イベント後、女子大生と合コンできるからだ。

 私は呼びかけ人である元「週刊現代」編集長の元木昌彦氏から誘いを受けて、席を取っておいてもらった。

 第1部「なぜ週刊誌は凋落したのか」という座談会に登壇したのは、ジャーナリストの田原総一朗氏とノンフィクション作家の佐野眞一氏ら。佐野氏は、「週刊新潮」の朝日新聞阪神支局襲撃事件に関する誤報について、2つの問題を指摘した。ひとつは「右翼に対して金銭の授受があった」ということ。2つ目は「真犯人を知っているはずの『週刊朝日』は早く報道すべきだ」ということ。佐野氏は新潮社と長い付き合いがあり、「愛があるからこそ言いたい」というような前置きを言っていたが、本当に新潮社に対して愛情があるなら、なぜ「週刊新潮」で「朝日は犯人を知っている」と書かないのだろうか。なぜこんな市民講座の中で「私だけが知っている」というしたり顔で重要なことを言うのだろうか。理解に苦しむ。はっきり言おう。佐野眞一は信用ならない。

 第2部は週刊誌編集長経験者による討論。といっても、クロストークはなく各編集長が一方的に話し、参加者による質疑応答の時間もなし。

「週刊ポスト」の海老原高明元編集長はこう言った。「週刊誌は売ってナンボだ」と。売るためにヌードグラビアを掲載し、それで買ってもらって、中身のジャーナリズム的な記事を読んでもらうと。これは本音だろう。実際、90年には70万部だった「週刊ポスト」は、ヘアヌードを掲載するようになった95年には84万部に伸びた。

 部数を伸ばすことに貢献したヘアヌードというのは、「週刊ポスト」の撮り下ろしではない。私がプロデュースしたもの。私が弱小出版社――当時のKKベストセラーズ、リイド社、ワニブックス、07年につぶれた英知出版などから出版した写真集のパブリシティ用として出したポジを巻頭グラビアに掲載して売れたのだ。

 その写真がわいせつだのなんだのと警察に呼ばれたら、「写真集の転載ですから」と逃げ、写真集の出版社は「高須さんからの買い入れですから」と逃げ、出頭したのは結局ほとんど私だった。

 そんな時代があったというのに、「週刊ポスト」は04年にヘアヌードをやめると宣言。妙なジャーナリズム路線にシフトした。結果、08年の部数は30万部に落ち込んでしまった。いくら出版不況とはいえ、他誌よりも著しい部数減少である。

 ちなみに、「アサヒ芸能」も一時期ヌードをやめて路線変更を図ったが、その結果、エロに徹したライバル誌「週刊大衆」が21万部(08年)のところ、約半分の12万部と大幅に差がついてしまった。

 週刊誌が100万部売れた全盛期を取り戻すには、再びグラビアで引っ張っていくしかない。シンポジウムに出席した週刊誌編集長たちはそこを理解しているのだろうか。「週刊金曜日」の北村編集長が、週刊誌編集者の楽しさについて「国会議員をクビにできること」と語っていたが、そんなことじゃ週刊誌は売れない。第一、これまで週刊誌のスクープによって役職を追われた政治家たち、宇野宗佑にしても山崎拓や鴻池祥肇にしても、みんな女絡みのスキャンダルじゃないか。「ジャーナリズム」といいつつ、結局は下世話、エロ。エロス&スキャンダルこそ週刊誌の真骨頂である。

 記者クラブでエリート面する新聞社を批判する週刊誌だが、週刊誌の中でも小さな権力、権威付けがあるとわかった。エロに対して奇妙な差別があるのだ。夕刊紙でもエロ面の記者には差別があるらしいからな。

 私は、薄暗い路地裏の存在だったエロ本を、コンビニの蛍光灯の下で読んでもらおうと注力してきた。東京都の無駄な規制や出版社による自主規制のために、今はエロの出る幕がなくなってる。少しでも突出したことをやろうとすると、「高須さん、それは激しすぎる」と言われてしまう。あたかもエロは20年前に逆行したようだ。しかし、考えてみてほしい。エロ本を読んで不良少年になった人がいるだろうか。規制になんの意味があるのか。

 エロスは平和のリトマス試験紙。酸化しつつある日本のエロを憂う。私は日本のラリー・フリントになりたい。(談)

高須基仁(たかす・もとじ)
中央大学経済学部卒業後、某玩具メーカーにて数々のヒット商品を開発。その後、紆余屈曲があって、出版プロデューサーとなり数々のヘアヌード写真集を手がける。別名、毛の商人。公式ブログ

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