精神科診療所の内部にカメラを入れた映画監督の挑戦

そうだ・かずひろ1970年、栃木県生まれ。93年よりニューヨーク在住。観察映画第一弾となる前作『選挙』(07年)では日本のドブ板選挙を題材にし、米・ピーボディ賞を受賞した。 (撮影/細居幸次郎)

 厚生労働省の「患者調査」(05年)などによれば、日本の精神科患者数は現在、入院・通院を合わせて約300万人を超える。生活していく中で精神を患うことは、もはや誰にとっても他人事ではなくなった。しかし、いまだ精神疾患は「実は……」という前置きで打ち明けられ、周囲に隠している人も多い。

 想田和弘監督が映画『精神』を撮ろうと決めたのも、この状況に危機感を抱いたことが理由のひとつだという。岡山県にある精神科診療所「こらーる岡山」にカメラを入れ、そこに通う人々を、モザイクなしで映し出す。カメラに向かって話す患者たちは、"健常者"からそう遠いところにいる人には見えない。

「僕が子どもの頃も、精神病院はタブーな存在でした。従兄弟の家の近くに精神病院があり、肝試しみたいに中を覗いて遊んでいました。精神障害者は異星人というか、お化け屋敷の住民というイメージを持っていましたね。でも、大学時代にそれが180度変わった。当時、東京大学新聞の編集長をしていたのですが、編集や庶務の仕事に追われ、ある日突然、朝起きたら、何も手につかなくなったのです」

 学内の精神科に駆け込んだところ「燃え尽き症候群」と診断され、1週間ほど昏々と眠り続けて回復した。

「短期間とはいえ、精神疾患の患者になったわけです。では、僕はそのとき、子どもの頃に思っていた"異星人"だったかというと、疲れ切った1人の人間だった。一方、その体験を友達に話すと、『精神科は自ら行くところではない、他人から強制的に連れて行かれるところだ』と笑われました。それ以来、『自ら行ってはいけない医療機関って、なんなのだろう?』という疑問がずっとあったのです」

 想田監督は卒業後、ニューヨークを拠点に、劇映画やドキュメンタリー作品を制作し始める。あるとき、日本で2カ月ほど缶詰め状態で編集作業を続け、過度のストレスから再び心の病気すれすれの状態に陥った。

「それで周囲を見渡すと、どう見ても燃え尽きているのにまだ働いている人、精神科に通院している人、あるいは心の病を患って自殺した人などが、ゴロゴロいることに気づきました」

 自身の周りだけでなく、日本全体が精神的に病んでいるにもかかわらず、"健康な"人々は目をそらし続けている。監督は、見えないカーテンで遮られた精神障害者のドキュメンタリー映画を撮ろうと決めた。

「最初はテレビ番組にしようと考えたのですが、今のテレビでモザイクなしで精神障害者を描くことは不可能に近い。それで、映画にしよう、と」

 モザイクは本来、プライバシーの保護や、アダルト映像の性器を隠すためなどに用いるものだ。しかし近年では、町中の映像で通行人が映ればすぐ隠してしまうなど、対応が過剰になっている。想田監督が今回モザイクなしの映像にこだわったのには、理由があった。

「モザイクをかけると患者とそうでない者の関係が固定化され、見てはいけない、触れてはいけないというタブーを拡大再生産するからです。さらに、モザイクをかけることは撮影される側ではなく、撮影する側を守るものだという認識を強く持っていました。出ている人の顔を隠せば、おどろおどろしいBGMを流して異星人のように描いても、責任を追及されない。モザイクは、制作者の被写体に対する責任の放棄であり、映像の自殺といってもいい」

 完成した『精神』は、釜山をはじめ、ニューヨーク、パリ、香港などの都市で上映され、国境や文化を超えた精神障害者に対するタブー意識の存在を浮き彫りにした。日本でも6月から、撮影地の岡山を含む全国で公開が始まる。

「被写体1人ひとりに許可をもらって撮影しましたが、いざ公開となると不安がよぎります。映画のせいで、患者さんに差別や偏見の危害が及ぶのではないか、彼らを傷つけてしまうのではないか、と。でも、この不安が生まれるのは、僕の中にまだタブーがあるからかもしれない。これからが正念場ですね」
(古木杜恵)

『精神』
外来の精神科療養所「こらーる岡山」に通う、さまざまな患者たち。自殺未遂を繰り返す人もいれば、病気と付き合いながら哲学や芸術へ没頭する人もいる。そこに入ったカメラは「正気」と「狂気」の境界線を問い直し、現代人の精神のありように迫る。本作制作の経験を綴った想田監督による書籍も、6月に中央法規出版より出版予定。6月13日より、シアター・イメージフォーラムほか、全国順次ロードショー 〈公式HP

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