――新聞や週刊誌では、作家のスキャンダルは掲載されないのが暗黙の了解。でも、なんでそんなイビツな構造に!? 「噂の眞相」の元デスクにして文壇担当・神林広恵さんに、文壇タブーの成り立ちを聞いた。
文壇タブーが作られる構造には、「権威型タブー」と「エンターテインメント型タブー」という2パターンがあると思います。
「権威型タブー」というのは、例えば吉本隆明や大江健三郎のような権威ある存在が、新聞紙上などでオピニオンを主張する。その際、彼らのオピニオンを権威づけするため、ネガティブなことは書かない。また、彼らほどの権威になれば、出版社や新聞社のトップなどと懇意になる可能性が高く、そうなると当然、その作家のスキャンダルはタブーになり、掲載できなくなります。そして、もうひとつの「エンターテインメント型タブー」は、売り上げ重視型タブーともいえ、出版社が自社の"商品"である作家に対して悪口を書けないという理由によるもの。出版社は作品の売り上げを収入源としているため、作家は大切な商品であり、もし彼らの機嫌を損ねれば、最悪の場合版権を引き揚げられて、収入を断ち切られることになる場合もある。そのため、文芸書籍部門を持つ出版社の週刊誌が、自社で贔屓にする作家のスキャンダルを書かないのは、いわば企業の論理として当然。現在の文壇では、こちらの「エンターテインメント型タブー」のほうが圧倒的に増えています。とはいえ、例えばかつて「噂の眞相」では、渡辺淳一と川島なお美の不倫スキャンダルを報じましたが、この際も企業論理が働き、他マスコミは完全に黙殺しました。渡辺淳一という売れっ子作家に対し、出版社側が萎縮し、自粛した結果です。この件は文壇スキャンダルという垣根を超え、芸能スキャンダルという意味合いも大きかったにもかかわらず、です。
かつて「噂の眞相」が文壇スキャンダルを多く手掛けたのは、作品解釈、作家研究という目的もありました。もちろん、文壇が他誌では扱われない、タブーな存在だったという理由もありましたけど(笑)。作家自身についての情報が極端に少なくなると、例えばその作家の死後、後世の人が作家研究を行うことが難しくなる。明治期の作家について研究するときに、彼らの人となりを当時の雑誌はけっこう詳細に報じていて、それが資料として重用されています。今活動している作家だと、資料となるのは作品自体と限られたインタビューくらいしかない。しかも、自分に都合の良いことしか載らないインタビュー内容だけでは、作家を解釈する正しい資料にはならない。村上春樹のようにプライベートを一切出さないタイプの作家は、100年後に十分な研究ができなくなる恐れさえあります。そういう意味で、文壇スキャンダルはもっときちんと世に出すべきでしょう。
とはいえ、そもそも今は話題を振りまいてくれる作家がいなくなったのも事実。作家がどんどん小粒になっていっているように感じます。破滅的だったり無頼だったりというタイプが少なくなり、私生活も平凡にまとまってしまって、スキャンダルも出にくいのかも(笑)。文壇という世界の影響力が弱まっているのかもしれません。(談)
神林広恵(かんばやし・ひろえ)
フリーライター。1988年から04年の休刊まで、「噂の眞相」で編集者として活躍。著書に、同誌の舞台裏や、作家・和久峻三とトレンドプロデューサー・西川りゅうじんから起こされた名誉毀損裁判の顛末などを綴った、『噂の女』(幻冬舎アウトロー文庫)がある。