"語りたがり"で何が悪い? 矮小化する「アイドル評論」の今

『アイドルにっぽん』巻末に掲載されている宮沢りえ(左)、後藤久美子(右)、そして中森の3人。

アイドル同様、時代とともに移り変わっていくアイドル評論の世界は、00年代後半、Perfumeや初音ミクといった新しいタイプのアイドルの出現によって、その模様を大きく変えつつあるという──。そこで、70年代から現在までのアイドル評論の変遷を辿った。

 アイドルの起源について、コラムニストの中森明夫は、自身の25年分のアイドル論考をまとめた著書『アイドルにっぽん』(新潮社/07年)の中で、南沙織を「国産アイドル第一号」としている。南沙織がデビュー曲「17才」をリリースしたのは、1971年6月。南は、同年4月にデビューした小柳ルミ子、10月にデビューした天地真理とともに「三人娘」と呼ばれた。73年には、オーディション番組『スター誕生!』(71年~83年/日本テレビ)からデビューした森昌子、桜田淳子、山口百恵が「中三トリオ」と呼ばれ人気を博す。70年代は、歌の巧拙や外見的な価値そのものよりも、存在自体が大衆から愛されるタレントという意味でのアイドルが誕生した時代だった。

 では、アイドルを語るアイドル評論は、どのように成立したのだろうか? アイドルソングの評論を主とするミニコミ誌「よい子の歌謡曲」のメンバーによって編集された『80'sアイドル ライナーノーツ』(JICC出版局/91年)の中に、「80年代はまぎれもなく、アイドルの時代だった」とある。この言葉を受けて中森は、「80年代は『アイドルの時代』であると同時に『アイドル論の時代』でもあった」(『アイドルにっぽん』)と続けている。

 アイドル評論ブームの先駆けとなった評論家・平岡正明の著書『山口百恵は菩薩である』が講談社から出版されたのは79年。「よい子の歌謡曲」が創刊されたのも79年で休刊が91年。89年には小倉千加子著『松田聖子論』(飛鳥新社)、稲増龍夫著『アイドル工学』(筑摩書房)なども出版されている。当時のアイドル評論の主流は、アイドルを「時代を映す鏡」として解釈するという切り口だ。すなわち、大衆心理が投影されたアイドルを素材に時代性や社会を語るというものだ。『アイドル工学』の中に見られる「『百恵』対『聖子』から時代を読む」といった見立てが、典型と言ってよい。中森は、91年に「週刊SPA!」(扶桑社)に発表した「ピンク・レディーの80年代論」の中で、「80年代を過ぎた今では、アイドル論的視点は普遍化したように見える」と語っている。70年代に生まれたアイドルが、80年代に全盛期を迎えると時を同じくして、アイドル評論も"評論"としての社会的地位を確立したと言える。

時のアイドルと共に評論の中身も変化

『アイドルにっぽん』の巻末には16歳の宮沢りえ、15歳の後藤久美子と並んで写る中森の写真がある。撮影されたのは89年4月。この写真が象徴するのは、70〜80年代のアイドルが、「アイドル歌手」だったのに対して、90年代に入ると、 その本流が「CM美少女」になったことだ。80年代アイドル歌手の全盛期を支えた『ザ・ベストテン』(TBS)の放送が78年から89年までで、牧瀬里穂、宮沢りえ、観月ありさの「3M」がブレイクしたのが90年代初頭であることからも、90年前後を境に流れが明確に変化したのがわかる。と同時に、評論の質も変容していく。アイドル歌手には歌番組やオリコンチャートというランキング(評価軸)があったが、CM美少女には指標がない。そこで注目されたのが、アイドル評論家・北川昌弘が、コンテスト受賞歴やCM出演本数などのデータ(と北川の独断と偏見)に基づいてアイドルをランク化した「T. P. ランキング」だ。北川はそれまで社会学的な切り口が主流だったアイドル評論の世界に、"データをベースにして、アイドルを鑑定する"という新たな視点を持ち込んだ。つまり、アイドルへの目線が、売れている(大衆の支持)かどうかが評価の第一義ではなくなり、より多様な評価軸が持ち込まれるようになったのが、この時代なのだ。

 00年代になると、CM美少女から続くアイドルの流れは、グラビアアイドルやアイドル女優へと移っていく。だが00年代中盤になって「グラビアン魂」(「週刊SPA!」/リリー・フランキー×みうらじゅん)のようなグラビアアイドル評論も出てきたものの、中森が「皆さん、"少女映画"や"アイドル女優"の状況をもっと面白くしましょう!」(『アイドルにっぽん』)と語るように、「アイドル歌手→CM美少女→アイドル女優」という、本流に沿ったアイドルへの評論はいまいち盛り上がりに欠けている。

 なぜこれらのアイドルに対する評論は盛り上がりに欠けてしまったのか?それを理解するためには、一度時計の針を80年代半ばまで戻す必要がある。

 アイドルというジャンルが、成熟を迎えた80年代半ば以降、すでに確立したアイドルの仕組み、アイドル論的な視点を自らの内に取り込んだメタ的なアイドルが出現する。メタ的なアイドルとは、アイドルに内在する虚構性を自覚し、アイドルを"演じる"ことができる自己批評的なアイドルを指している。例えば、秋元康の手による「なんてったってアイドル」(85年)を歌った小泉今日子や、素人が"アイドルごっこ"をしたおニャン子クラブがその典型だろう。そして、秋元康が開拓したメタ路線の正統な後継者と言えるのが、97年につんくのプロデュースで結成されたモーニング娘。となる。

 そのような意味において、モー娘。は、非常によく"設計"されたアイドルである。2ちゃんねるには、モー娘。およびハロプロについて語る板だけで(羊)(鳩)(狼)の3つの板があり、中でも「雑談2」のカテゴリーに置かれたモー娘。(狼)は、04年にニュー速VIPが開設されるまで、2ちゃんねる屈指の読者数、書き込み数を誇った。ネットの普及によって、ファンの誰もが自身のアイドル論を語り、それを発表する場を得た。モー娘。は、そこに格好のネタと素材を提供した。そこでは、マジメなアイドル語りから「石川梨華ってウンコするの?」といったものまで、ありとあらゆる「論」が飛び交った。にもかかわらず、00年代のアイドル評論が、いまいち盛り上がっていないように感じる背景には、3つの理由があると推測される。まず、語る場所が紙からネットに移ったことで、限定的な場所でしかアイドル論が伝播しなくなり、タコツボ化したこと。次に、語り手が評論家からファン一人ひとりに移ったこと。そしてもっとも大きな理由として、アイドルファンの言葉が、メタ的であるがゆえに「批評しやすい(語りやすい)」対象ばかりに集中し、グラビアアイドルやアイドル女優にはあまり向けられなかったということが挙げられる。

送り手の意図を越えて"発見"されるアイドル

 そういった中でも、00年代以降のアイドル評論で注目すべき存在として「楽曲派」とも呼べる一群がある。近田春夫の「考えるヒット」(「週刊文春」/97年〜)、松本亀吉の「歌姫2 0 01」(「Quick Japan」/97〜98年)、 ライムスター宇多丸の「マブ論」(「BUBKA」/00年〜)など、アイドルの楽曲中心に批評する評論家たちの総称だ。彼らの評論からは、70〜80年代の職人芸的アイドル歌謡へのリスペクトが窺えるのが特徴である。

 こういったアイドル歌謡見直しの流れと、ネットでのアイドル語りの流れが、(半ば奇跡的に)合流して、ブレイクに繋がったのがテクノポップアイドルユニットのPerfumeだ。

「Quick Japan」(太田出版/07年)第74号で組まれたPerfume特集の中では、編集者・ライターのさやわかが「『アイドル』の意味を回復する3人」と評し、読売新聞(07年10月24日/夕刊)に掲載された宇多丸と掟ポルシェの対談では、「アイドル界最後の希望」と絶賛している。彼女たちのブレイクの過程を最も的確に表現しているのは、ファンサイト「hype」の次のような紹介文だ。

「ここは、木村カエラと掟ポルシェと宇多丸とミドリとBase Ball Bear小出と凛として時雨ピエール中野とダイノジ大谷と田上よしえとSPECIAL OTHERSと下井草秀と菊地成孔と亀田誠治と松本亀吉と大谷能生と佐々木敦と辛酸なめ子とプロレスラー佐藤光留と久保ミツロウと羽生生純とばらスィーと東村アキコと深町秋生と(〜中略〜)ニーツオルグネットラジオと彼女ら自身の実力と魅力のおかげで売れた、Perfumeのファンサイトです」

 すなわち、Perfumeに触れた人たちはそれぞれ、自分だけが発見したものとして彼女たちの魅力を語り、人々が口々にその魅力を語ることで、さらにその魅力に触れる人の輪が広まっていった。誰かの言葉がネットワークを通して話題になり、それを受けて、さらに言葉が乱反射したのだ。Perfumeはそうやってジャンルの枠を飛び越え、幅広いファンを獲得していった。

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 また、Perfumeに限らず、「2ちゃんVIP板のアイドル」を経て「ブログの女王」となった中川翔子、「グラビア界の黒船」リア・ディゾン、「電子の妖精」初音ミク。ここ数年、ネット経由でブレイクしたアイドルは、従来のマスメディア発のアイドルとは違った場所で"発見"されたアイドルたちだ。

 Perfumeのプロデューサーである中田ヤスタカは、Perfumeを「誰がコントロールしているのかわからないユニット」といい、初音ミクを制作したクリプトン・フューチャー・メディアの佐々木渉は「キャラクターのイメージが固定されていないからこそ、ユーザーさん一人ひとりが"理想の初音ミク"を描くことができるのではないか」という。

 00年代後半のアイドルは、送り手の意図を超越したところで、ファンの手で「発見される」ものとなり、それを語る評論もまた、ネットを通してアイドルファン自身の手によって築き上げられているのではないだろうか。

(文/岡田康宏)

表註

【1】北川昌弘...1957年、北海道生まれ。アイドル研究家。豊富な知識を武器に、「ブレイクするアイドル」を予言し的中させてきた。著書に『NIPPONアイドル探偵団』(宝島社)など。 【2】みうらじゅん...1958年、京都府生まれ。マンガ家。アイドルなどの切り抜きを集めた「エロスクラップ」を作成していることでおなじみ。「グラビアン魂」で、妄想力を生かしたグラビアの楽しみ方を提唱。 【3】リリー・フランキー...1963年、福岡県生まれ。イラストレーター、作家。「いやらしい眼」だけで女性を見ていないという自負のもと、日本美女選別家協会を過去に主宰。著書に『アイドルという人生』(オルタブックス/共著)など。 【4】杉作J太郎...1961年、愛媛県生まれ。マンガ家。本号表紙の加護ちゃんへの熱狂ぶりはつとに有名。昨年5月には、加護ちゃんの活動再開を勝手に記念して、トークイベント「新あいぼん祭り」を開催。 【5】掟ポルシェ...1968年、北海道生まれ。ロマンポルシェ。として活動。アイドル歌謡に造詣が深い、ハロプロファン。今はなき『m9』(晋遊舎)の創刊号にて、「掟ポルシェが真面目に語るゼロ年代アイドル論」を発表。 【6】宇多丸...1969年、東京都生まれ。RHYMESTERのMC。「アイドルソングだけが表現し得る『何か』がきっとある!」と訴え続けている。著書に「BUBKA」(コアマガジン)の連載をまとめたアイドルソング時評『マブ論CLASSICS』(白夜書房)。 【7】近田春夫...1951年、東京都生まれ。ミュージシャン、歌謡曲評論家。著書に、Jポップやアイドル歌謡を批評した『考えるヒット』シリーズ、『定本 気分は歌謡曲』(文藝春秋)など。まさに音楽評論界の小林秀雄。 【8】さやわか...ライター、編集者。「Quick Japan」(太田出版) 74号のPerfume特集メインライター。「ニーツオルグ」というウェブをやっていた時期、ネットラジオでPerfumeの曲を流しまくってたことで有名。 【9】松本亀吉...1967年、大阪府生まれ。特殊会社員、ライター。文芸誌「溺死ジャーナル」を創刊後、「Quick Japan」などにアイドルや芸能についてのコラムを寄稿。著書に『歌姫2001』(太田出版)。 【10】吉田 豪...1970年、東京都生まれ。プロ書評家、プロインタビュアー。矢部美穂、いとうまい子といった"元アイドルたち"の少女時代から全盛、そして現在に至るまでを振り返ったインタビュー集『元アイドル!』1・2(ワニマガジン)が出色。 【11】中森明夫...1960年、三重県生まれ(1959年説もアリ)。コラムニスト。執筆活動を開始して以来、時代時代のアイドルを考察。単なる人物批評ではなく、背景にある文化や社会にまで切り込んでいる。【12】平岡正明...1941年、東京都生まれ。評論家。ジャズ、文学、思想、芸能などを語る、縦横無尽な全身評論家。歌謡曲評論としては、本文中で挙げた山口百恵本のほか、『中森明菜 歌謡曲の終幕』(作品社)などで、評論対象の内面や時代性をめぐって論考している。 【13】稲増龍夫...1952年、東京都生まれ。法政大学社会学部教授。『アイドル工学』(筑摩書房)にて、アイドルの送り手、受け手、さらには元アイドルへの取材を通して、60年代から80年代後半までの若者文化の変容を解き明かした。
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