小沢一郎民主党代表の公設第一秘書が、政治資金規正法違反により逮捕・起訴された、西松建設献金事件。東京地検の捜査が与党の大物・二階俊博経産相の周辺にまで及ぶのか、連日、その一挙一動が報じられている。一方、「秘書逮捕は国策捜査」との指摘が多数聞かれる中、元検事の郷原信郎氏は、「突然の逮捕では、検察の政治性が批判されることは避けられない」と語る。「政治資金規正法の解釈」「小沢批判と検察批判の交錯」「検察の説明責任」など、事件をめぐる検察の判断を考察する──。
【今月のゲスト】
郷原信郎(桐蔭横浜大学法科大学院教授)
神保 東京地検は3月24日、民主党小沢代表の公設秘書を政治資金規正法違反で起訴しました。小沢代表は同日の記者会見で続投の意向を示し、この問題はひとつの節目を迎えたといえるでしょう。逮捕直後には、政権交代の可能性が大きい総選挙を控えた時期に、検察が政治資金規正法の虚偽記載だけで野党第一党の党首の公設秘書を逮捕するなんていうオンチなことをするだろうか、ほかに何か大きな山があるのではないかという見方もあったが、結局何も出てきませんでした。今回は元検事で桐蔭横浜大学大学院教授の郷原信郎さんを招き、起訴に踏み切った検察の判断と、説明責任について議論を進めたいと思います。
郷原 私は公設秘書の逮捕直後から、「まさかこれだけで終わるとは、常識的に考えられない」と言いながら、実際はそこで終わるだろうと思っていました。その先に大きな事件があるとは思えなかった。だからこそ、逮捕したこと自体がとんでもないと思っていましたが、検察の処分が行われるまではそれを言うのは控えていました。
宮台 起訴内容も、小沢さんに捜査の手が及ばないだろうということも、予想どおりでしたね。
郷原 面白いのは、申し訳程度に「民主党岩手県第4区総支部でも1400万円分の虚偽記載があった」というものが付け加えられたこと。「逮捕事実だけじゃなかったぞ」ということを言うために、出てきたものがこれかと思うと、情けないですね(笑)。端的に言えば、今回の強制捜査は完全な失敗であり、検察にきわめて初歩的な誤算があったと考えられます。
神保 東京地検の谷川恒太次席検事と佐久間達哉特捜部長は24日、異例の記者会見に臨み、「政治資金をめぐる癒着や腐敗の防止のため、政治団体の収支の公開を通じて、"政治と金"の問題を国民の不断の監視と批判のもとに置くことを目的とした、政治資金規正法は議会制民主主義の根幹をなすべき法律であり、政治資金の実態を偽ることは、国民を欺き、その政治的判断をゆがめるものにほかならない」とした上で、「事件の悪質性を考えると、衆院選が秋までにあると考えても放置することはできないと判断した。政治的な意図を持って捜査することはありえない」と語っています。この説明についてはどうですか?
郷原 正確な部分と、捻じ曲げられた部分が入り混じっています。「政治資金規正法は議会制民主主義の根幹をなすべき法律だ」というのは正解ですが、「政治資金をめぐる癒着や腐敗の防止のため」という部分には、検察の思想が入っている。政治資金規正法は、規"制"法ではなく規"正"法であり、政治資金を最初から悪と考えて、それを抑制するという法律ではない。政治資金規正法はアメリカの占領下にあった1948年に作られたもので、「政治資金が国民の浄財として政治家に拠出され、それが政治を動かす糧になる」というアメリカ的な考え方を前提に、政治活動の中身と資金の拠出先を透明にして、「国民の不断の監視と批判のもとに置く」ことを目的としています。つまり、最初から「政治資金をめぐる癒着や腐敗の防止」を目的とした法律ではなく、資金の流れを透明化することによって、国民が政治家の「癒着や腐敗」を判断できるようにする法律なのです。ここで検察は、完全に読み違えをしている。もっと言えば、意図的に歪曲して解釈している可能性もあります。
神保 検察に法律の解釈を変更する権限まで与えてしまえば、検察は立法府の上に立つ存在になってしまいます。そもそもなぜ、このようなことが起こってしまったのでしょう?
郷原 背景にあるのは、成果を挙げられない特捜検察の行き詰まりでしょう。特捜に40名近くの検事を専従させていることの合理性の説明がしにくくなっており、胸がすくような政界捜査をしようと何度も手を出しているものの、結局うまくいっていない。日歯連闇献金事件もやり損ない、ライブドア・村上ファンドなどの経済捜査に手を出したものの、大やけどを負ってしまった。2007年の守屋武昌・元防衛事務次官の接待問題も、検察が掘り起こしたというよりも、国会の証人尋問で出てきたようなもので、キーマンとされる日米平和・文化交流協会の秋山直紀理事を無理やり脱税容疑で逮捕したものの、結局何もできなかった。そうした積み重ねの中で、検察が今度こそと突っ込んだのが、今回の西松建設事件だったんです。1月には西松建設の元社長を外為法違反容疑という形式犯で逮捕し、メディアにも「巨額の裏金に絡んだ疑獄捜査が始まる」という期待感が高まったが、ここからも何も出てこない。無理やりに進めようとした長野県知事への献金事件の捜査も、参考人に自殺者が出てしまった。そして完全に追い込まれていたのが、3月初めの状況です。
神保 「初歩的な誤算」という言葉もありましたが、当初検察は、小沢さんまでたどり着けると踏んでいた節もあったとのことですね。
郷原 検察は追い込まれた状態で、最後にやるとしたら、この事件しかなかったということだと思うんです。ではこの事件をやれるのか、と考えたときに、普通だったらこんな時期に踏み込むことはできない。踏み込むとしたら、「小沢氏側は徹底抗戦せず、頭を下げて辞任するだろう」という判断があったとしか思えない。そこが誤算だったのだろうと。
宮台 76年のロッキード事件や、87年に明らかになったリクルート事件のときは、検察とマスコミと国民が三位一体になって、一糸の乱れもなく「悪いのはコイツらだ!」と噴き上がり、噴き上げられてしまったほうは頭を下げる、という流れでした。検察は、まさにそうした流れを期待したのでしょう。ところが、国策捜査の対象になった外交官で文筆家の佐藤優さんによる数年にわたる国策捜査批判や、今回の騒動をめぐる郷原さんの活発なマスコミ活動などもあって、思い通りになりませんでした。戦略的な誤算という以前に、検察は「正統性の危機に対処するための活動において、正統性を過信する」という自己矛盾に陷っています。
東京地検の焦りと国策捜査という風評
神保 今回の捜査で検察には、よりによって法解釈の上でも「初歩的」なミスがあったとのことですが、こちらについてもご説明ください。
郷原 3月8日の産経新聞には、「政治資金規正法は政治団体の代表者に、会計責任者への監督責任について罰則を設けており、これに違反する疑いがある。特捜部は政治資金収支報告書の虚偽記載への関与の有無の解明と並行して、監督責任についても調べを進めるもようで、監督ミスが認定され、起訴された場合には、小沢氏は最終的に衆院議員を失職する可能性も出てくる。小沢氏への参考人聴取でも、監督責任について確認するとみられる」ということが、「捜査関係者の話でわかった」とはっきり書いてあります。この「監督ミスが認定されれば失職する可能性がある」ですが、政治資金規正法の条文によれば、「選任および監督」の両方に過失がなければ、政治家本人の罪は問えないんです。
神保 そして、選任の段階で過失があったとは考え難いと。
郷原 選任過失というのは、ダミーで仕事をさせない予定の人間や、明らかに無能な人間を選んだケースくらいで、実際にはほとんど考えられません。そして、これが記事のどこにも書いていない。また同記事には、「特捜部は(平成)15年、元参院議長で埼玉県知事だった故土屋義彦氏の資金管理団体の虚偽記載事件で、会計責任者だった土屋氏の長女が起訴された際に、土屋氏から事情聴取。彼は監督責任を認め、特捜部は監督ミスを認定した。ただ、土屋氏は知事を辞職したことなどから、特捜部は反省の情がみられるとして起訴猶予処分とした」とある。このときも「選任」という部分を詰めないで辞任させたということです。今回も同じやり方で、辞任しないなら失職させてやるぞ、と考えていたのならば、まさに初歩的なミスでしょう。わかっていて言っているとしたら、いっそう悪質です。
宮台 佐藤優さんは、インテリジェンス活動の基本は新聞記事から背後を読み抜く力で、秘密文書にアクセスすることじゃないと述べておられます。今回がまさに典型例ですね。そこで疑問なのですが、郷原さんがおっしゃるような初歩的なミス、すなわち専門性の欠如そのものであるようなミスが、「天下の特捜」にありうるんですか?
郷原 正直に言うと、私も自民党長崎県連事件の捜査を指揮していたときに、「選任および監督」という条文を、目を皿のようにして読み、選任過失なんてとても立証できるわけがないんだから、読み方によっては監督責任だけでも代表者の責任罪を問えるんじゃないか、と考えたことがあります。ただ、法務省刑事局に問い合わせたところ、立法の経緯からも無理だということでした。こうした検討をした経験のない人は、よく勘違いするんです。
神保 特捜に焦りがある中で、小沢さんを辞任に追い込めれば、新たな民主党が政権を取ったにしても「きれいな政権になった」と感謝されるかもしれないし、自民党政権が続いてももちろん感謝されて、どっちに転んでも検察にとっては良い話になるように思えた。そして、唯一のリスクは小沢さんが踏ん張って反転攻勢に出た場合だったが、検察に逮捕されて反撃できた政治家はいないことから考えると、そのリスクはあまり現実的ではないと検察が考えても不思議はなかった。ところが、そもそも小沢さんの責任も追及できるという法解釈がまちがっていたとすれば、これはもう検察の大失態ということになります。しかも今回はリーク報道によって、いつもならそうなるはずの小沢叩き一辺倒にもならなかった。検察には、何重もの読み違いがあったということでしょうか。
宮台 それに加えて、政治資金のレギュレーションに関するヨーロッパ流の考え方とアメリカ流の考え方という「政治学の初歩中の初歩」を検察幹部が知らないのが致命的です。ヨーロッパの考え方では、利権によって政治家の行動にバイアスがかけられる可能性を恐れ、政治家個人に献金してはいけないことになっています。ところが、郷原さんがおっしゃったように、日本の政治資金規正法が参照しているはずのアメリカ流の考え方は、政治家個人への献金は認めるものの、政治家の行動にバイアスがかかったかどうかを有権者自身に判断させるべく、ディスクロージャーを徹底させるものです。どちらもオーソドックスな発想ですが、区別しなければいけません。ややこしいのは、アメリカ流を参照した日本の政治資金規正法の存在にもかかわらず、日本の市民が政治に対するアクティブな参加意識を持たないので、政治家のバイアスをちゃんとチェックしてこなかったことなんです。
郷原 独禁法もそうですが、アメリカ流の法律が、日本社会とのギャップが生じたまま、変に運用されている例ですね。そんな中で、もともとの理念がねじ曲がり、政治資金規正法の中身も、必ずしもアメリカ的ではない方向に流れていきました。企業から政治家個人への献金は禁止されたものの、政党支部を通じてしり抜けにされるなど、法律自体がチグハグでゆがんだものになっている。そうしたゆがんだ刀を好きなように使えるとなれば、検察の権力はきわめて強大なものになります。
宮台 一貫しない法令群があると、検察は法令遵守を名目に、恣意的な裁量に基づいて動けるようになります。実際に今回も、そのことが証明されました。他方、00年以降の検察の動きを見ていると、「自らの正統性を回復したい」「そのために世論の期待にこたえたい」という焦りが感じられます。しかしながら今回の失敗で、検察の威信にますます傷がつきました。仮に今回の一件が大失敗して小沢さんの命脈がつながることになれば、オウム事件直前の公安調査庁と同様、「特捜検察は時代錯誤の大所帯だ」という議論が出てくる可能性があります。その意味で、「お取りつぶし」につながる巨大な墓穴を掘りましたね。
郷原 実際のところ、世の中の期待値と検察の内実との間には、大きな乖離があるんです。客観的に言うと、世の中が期待している、胸のすくような政界捜査、巨悪との対決というのは、夢であり幻です。しかし、「そんな検察だったら、税金を払っていられるか」という声が出てこないようにするためには、幻想を持たせ続けなければいけない。00年以降の検察は、そういう重責にさいなまれてきているのです。
企業経営に置き換えれば、完全に破綻しかかっている状況で、つまり事業全体を見直した上でのイノベーションが必要なのですが、それができない。手前味噌になりますが、自民党長崎県連事件では、捜査手法のイノベーションで、政権政党の地方組織による集金構造の核心にまで迫ることができました。これを特捜検察に承継してもらいたかったのですが、旧来型の企業と同じように受け入れることができない。しかも、周りを特捜サポーターのマスコミが固めているものだから、裸の王様状態で、深刻化する状況に気づいていないんです。
神保 自民党長崎県連事件で行われたイノベーションとは?
郷原 簡単に言えば、今回のような間違った政治資金規正法の使い方とは逆のやり方です。政治資金規正法や公職選挙法は、ひとつの事象を違法だとして手をつけると、似た案件がすべて処罰の対象になる。それではあまりに政治的影響が大きくなってしまうので、その事件が差別化できることが条件になります。長崎地検の捜査班は、その高いハードルを越えたのです。それを乗り越えようとすることで、捜査員個々人の能力が引き出され、組織のパワーにつながり最後には納得のいく成果を挙げることができたのです。
神保 なぜ今回の件では、そうしたハードルが設けられなかったのでしょうか?小沢さんの秘書を挙げるのであれば、当然検事総長まで話は通っているでしょうし、慎重になるべき案件だと思うのですが。
宮台 これだけ反対報道があれば、検察からの問い合わせがなかったとしても、刑事局から「危ないネタだぞ」というメッセージが出てきたりはしないのでしょうか?
郷原 逮捕前に法務省サイドとしっかり詰めているか、というところが疑問ですね。選任上の過失について思い違いをしていたとすれば、法務省で質疑をすればすぐにわかることです。普通に考えれば質疑をしていないということはありえないのですが、佐久間特捜部長は元法務省刑事課長であり、また岩村修二検事正は刑事局で長く仕事をしてきた人ですから、「検察で十分判断できる」と考えた可能性もなくはないですね。
神保 では、以前のような胸のすくような捜査を検察ができなくなったということには、どんな原因が考えられますか?
郷原 政界捜査で大きな摘発ができたのは、昭和30〜40年代前半のことです。もともと国会議員の汚職事件は非常に難しい。国会議員の職務権限は、基本的に国会で質問したり、表決に加わること、あとは国政調査を行うことくらいです。そうした職務権限の行使に関連してお金をもらえば贈収賄ですが、議員の仕事の大半は政治活動であり、その中で口利きをしたり、ものの世話をしたりということが大きく、それにかかわるのが政治資金になる。そこでの金のやり取りが問題ならば、政治資金規正法できちんと罰することができるようにすべきなのですが、先ほど申し上げたように、これがチグハグな法律になっており、「政治腐敗の防止」という点においては大穴があいています。つまり、検察に武器が与えられていない状態がずっと続いてきたんです。そんな中で、政治資金規正法を使いたいという気持ちはわかるが、そうであるならば、武器を整備する。つまり、実態に即したちゃんと使える法律にする必要性を国民に訴えなければいけないでしょう。
問題を単純化させるメディアのご都合主義
神保 さて、小沢代表は24日の記者会見で「この種の問題で、逮捕、強制捜査、起訴という事例は記憶にない。納得いかない」と語り、続投を表明しました。この会見については、どう感じましたか?
宮台 「国策捜査だ」と最初に宣言してしまったのは、それが真実だとしても、初動の間違いですね。郷原さんがおっしゃったように「政治資金規正法の背後にある思想はしかじかのものなので、西松建設からの献金であることは知っていたものの、従来の法運用に倣って振る舞ってきた。ほかの政治家の事務所も多くはそうなので、私の事務所だけが特別におかしいというのなら、検察はその理由を説明してほしい」と言うべきでした。もともとヤヤコシイことなので、国民どころか、マスコミ自体が問題の所在をわかっていません。であれば「マスコミを通じて国民に本質を伝える」ような構えで臨むべきでした。小沢さんは『馬鹿マスコミの国民を扇動する力を軽く見すぎているのか』という気もします。郷原さんが小沢さんの顧問弁護士であれば、絶対に生じなかった初動のミスだと思いますが。
郷原 私はもともと、どちらかといえば反小沢ですし、これまでの政治資金の集め方が法律上問題ないとしても、これからの民主党が目指すべき方向として正しいとは思っていません。公共事業の受注業者からの献金を糧にして政治的な力を得てきた小沢さんの手法を国民は支持しないと思いますし、これを機に思い切った変わり方をしてほしい。しかし、先決なのは検察の問題です。この捜査を日本社会が容認してしまったら、自民党も民主党もなく、政治というものが死んでしまう可能性がある。小沢さんの続投にそうした判断があるとしたら、私は間違っていないと思います。
神保 メディアの話も出ましたが、25日朝には「秘書の大久保隆規被告が虚偽記載を認めた」という報道が盛んに行われました。郷原さんは、これについても疑問を持っているそうですね。
郷原 大久保被告は当初「西松建設からの献金だとは認識していなかった」と供述していたものが、「実はわかっていた」として、虚偽記載の事実を認めているというが、これはまったくおかしいんです。政治資金規正法には資金の拠出者を記載しろとは書かれておらず、外形的な寄付行為をした団体の名前を記載すればいいことになっている。つまり、争点は西松建設の政治資金団体に実体があったかどうかであって、大久保被告が西松建設からの献金だと認識していたことがわかっても、自白にも何にもならない。しかしこの件が、あたかも罪を認めたかのように報じられていた。NHKではトップニュースとして扱われていましたが、公共放送の報道として考えられないことです。
神保 その報道は、検察が誤解していた「西松からの献金だと知っていたら罪である」というシナリオに沿ったものだということですね。
郷原 放送関係者が知る由もないことだったら仕方がありませんが、私がテレビや新聞であれだけ主張してきたことですから、わからないはずはありません。思考停止状態にあるとしか思えません。
宮台 マスコミも、今の特捜検察と似たような立場に陥っています。インターネットの普及など複数の背景があって、セット・イン・ユース(スイッチの入ったテレビの数)が減っていく中で、ますますポピュリズムに走る──俗情にこびる──ようになっているんですね。そのことでマスコミがどんどん正統性を失いつつあります。マスコミも、検察と同じ「正統性の危機に陥っているのに、正統性を過信する」という愚昧に陥っているのです。
郷原 本来のマスメディアは、あるがままの事実を伝えるだけではなくて、その中身をきちんとわかってもらう努力をしなければならない。そのためには、メディア自身が物事の本質を知らなければなりません。ところが、これまでのやり方で十分にやってこられた人間にとっては、視聴者が多くを知り、本当の市民社会になってしまうことが怖い。そこで、「これを悪いと思っておけばいいんだ」と言っているんです。しかし、現状ではメディアから変わることには期待できません。市民が法を理解する努力をして、社会からメディアを変えていくしかないのでは。
宮台 僕はその点には楽天的です。『マル激』のようなニュース解説面においてだけでなく、昨年の秋葉原事件に見るように第一報においてさえ、インターネットがテレビを凌駕しつつあります。インターネットは「アルファブロガー」の概念に象徴されるような"評判"のシステムです。そこでは情報の目利きとして"評判"の高い人が発信する情報にアクセスして、マスコミ情報を相対化することが当たり前です。その中でマスコミが生き残るためには、資本力がなければ発揮できない分析能力を使って、受け手の通念を標的にする「目から鱗」的な情報によって勝負するしかなくなります。どのみち、それしか生き残りの道はないのです。そこに追いつめられるまで、マスコミは退潮するだけ退潮すればよいのです。
郷原 今回の献金事件も、マスメディアは世論調査で「小沢さんは辞めるべきか、続投すべきか」というふうに問題を単純化して、検察の問題なんかは表に出さないようにしています。しかし、宮台さんのお話を聞いて思ったのですが、それなりの影響力を持っている人は、こうした事態をバカバカしく感じているのかもしれませんね。
神保 マスメディアにも、郷原さんのおっしゃるような問題を理解している人はたくさんいるはずです。しかし、それが表に出てこないのは、一にも二にも記者クラブ問題とマスメディア社内の縄張りの問題がある。まず記者クラブで特権的なアクセスを認めてもらっているから、検察のリークはそのまま書かざるを得ないし、検察批判なんてとんでもない。その後、捜査情報をもらえなくなってしまいます。検察担当にとっては、検察を批判することではなく、捜査情報を取ってきて報道することが仕事ですから。
また縄張り問題については、防衛問題を例にとると、防衛省担当の記者もしくはそのOBの解説委員しか記事を書くことができない。検察についても同じで、現在の検察担当か元検察担当の解説委員以外の記者が検察の記事を書くことはまずない。記者会見に出ている記者も同様。だから、社内のどこかにまともな記者がいたとしても、縄張りを超えて記事を書くことができないようになっているので、そういう記事は紙面には出てきません。
テレビでは、『サンデープロジェクト』(テレ朝)のようにたまたま報道局の縛りの弱い番組があると、郷原さんのような発言が表に出てくることもありますが、報道局から上がってくる原稿はあくまで旧態依然たる記者クラブ原稿です。しかし、一般市民もインターネットを通じて情報収集できるようになったので、かつて無敵を誇った検察による記者クラブを通じた情報操作がうまく機能しなくなっているような気がします。今回の一連の出来事は、期せずして、メディアも変わらざるを得なくなってきていることを、示しているのかもしれません。
(構成/神谷弘一 blueprint)
『マル激トーク・オン・ディマンド』
神保哲生と宮台真司が毎週ゲストを招いて、ひとつのテーマを徹底的に掘り下げるインターネットテレビ局「ビデオニュース・ドットコム」内のトーク番組。スポンサーに頼らない番組ゆえ、既存メディアでは扱いにくいテーマも積極的に取り上げ、各所からの評価は高い。(月額525円/税込)
URL:http://www.videonews.com
宮台真司
首都大学東京教授。社会学者。代表作に『終わりなき日常を生きろ』『サイファ覚醒せよ!』(以上、筑摩書房)など。
神保哲生
ビデオジャーナリスト。ビデオニュース・ドットコム代表。代表作に『ツバルー地球温暖化に沈む国』(春秋社)など
郷原信郎
77年東京大学理学部卒業後、三井鉱山入社。80年司法試験合格、83年検事任官。東京地検知事などを経て、06年退官。