相撲界では、3月の大阪場所が終わると、三重県伊勢市にある伊勢神宮で奉納相撲をする。相撲が神事でもあることは知っていると思うが、その地域を守る神々に、力士たちが磨き抜かれた技を奉納するという奉納相撲も、各地の神社で古来から行われてきた。中でも、天照大御神が奉られた日本を代表する伊勢神宮での奉納相撲は、格別の意味を持つんだ。
俺も現役時代は、伊勢神宮の奉納相撲に参加したもんだが、それよりも忘れられない思い出が伊勢神宮にはある。この時期、テレビで奉納相撲の様子などが流れると、つい思い出してしまうんだ。くだらない話だが、まぁ聞いてくれ。
現役引退後の俺は、風来坊のような暮らしをしていたが、32〜33歳の頃は、新宿・歌舞伎町でちゃんこ屋を経営する傍ら、日大鶴ヶ丘高校の中で学生食堂を運営していた。この学校に小津さんという先生がいたんだが、この人の父親が伊勢神宮の顧問弁護士だったんだ。で、あるとき、その小津弁護士から、こんな話があった。
「桜さん、今度、伊勢神宮の大宮司が、東京でお見合いをすることになったので、お前さんの店を使わせてくれないか? 元相撲取りで面白い奴がいるって話をしたら、その人も『ぜひ、そこでやりたい』っていうんだ」
伊勢神宮の大宮司とは、俺の店にはなんとも似つかわしくないお方だ。なんたって、大宮司の二条弼基さんっていうのは、五摂家と呼ばれる公家のひとつ、二条家の当主。しかも、お見合い相手は、伊勢松坂藩の藩主の流れを汲むお姫さまっていうじゃないか。大宮司は60歳前後の初老で再婚らしいが、お姫さまをもらえるなんて、なんともうらやましい話だぜ。
ところが、お見合い当日、小津さんと大宮司はいらっしゃったが、お姫さまが一向に現れない。
「小津さん、肝心のお見合い相手はまだ来ないんですか?」
「何言ってるんだ。もう来てるんだよ、そこに」
小津さんが視線を向けたのは、小津さん、大宮司と一緒に来ていた、おばさんだった。
お姫さまなんていうから、どんなかわいい人が来るかと思ったら、あぁ、そうか。お姫さまだって年は取るわな。俺が勝手に若い娘だと思い込んでいたんだから、こんな失礼な話はない。お2人とも、年を取られての再婚同士ということで、めでたい話じゃないか。
2人はうちの店で鍋などつつきながら、会話も弾ませ、その後、結婚したわけだ。これが縁で、俺も大宮司とはすこぶる親しくさせていただくことになり、結婚披露宴にも参加させてもらった。
ちなみに、2人の披露宴は、都内のビアホールで慎ましく行われた。司会は、俺が頼んだ、弟分の綾小路きみまろ。俺も演歌を熱唱したのだが、来賓は公家や宮家といった由緒正しき人たちだから、きみまろの毒舌漫談や俺の唄を聞いて、別の世界の生き物と接しているような顔をしていたな。名前だけは公家のようなきみまろは真っ赤な礼服、俺はコバルトブルーのジャケットを着て、厳かな雰囲気の中で明らかに浮いていたんだから無理もない。
それでも、大宮司は大喜びしてくれた。大宮司は、まったく偉ぶるところがなく、とてもお茶目な人だったのだ。「暇なときは遊びにこい」なんて言って、よく伊勢に誘ってくれたもんである。
そんな関係が始まって2〜3年した頃、大阪場所が終わり、奉納相撲の時期に大宮司からの誘いで、伊勢神宮に遊びに行ったときのことだ。大宮司が、あるイタズラを俺に提案してきたのだ。
世紀のイタズラで師匠はカンカンに
それは、奉納相撲で伊勢神宮にやってくる日本相撲協会のお偉方を脅かしてやろうというものだった。当時の相撲協会の理事長は、俺の師匠だった、元横綱・栃錦の春日野親方。俺の親代わりで、引退後も世話になっていたお方だ。
実は、奉納相撲の際、相撲協会の理事長以下3名ほどの幹部が、一般人どころか、横綱だって足を踏み入れることができない神宮の奥の院で、大宮司、中宮司らに挨拶をするというしきたりがあった。十両までしか上がれなかった俺なんて、鳥居すらくぐることを許されなかった身だ(幕内力士以上でないと、くぐれないのである)。そんな俺に対して、大宮司はこんなことを言ってきたのだ。
「理事長が挨拶に来るから、お前は俺の横についていろ。ちょっくら脅かしちゃおうじゃないか」
イタズラは嫌いじゃないが、まさか大宮司から提案されるとは。
なんて人だ。それにしても、奥の院に足を踏み入れるばかりか、そんな神聖な場で師匠を脅かすなんて、普通は「恐れ多くて、できません」と断るだろうが、俺も俺で「いいですねぇ」と乗っちゃうのだから、いい加減な男だ。しかも、「どうせなら、大宮司が着ているその装束と同じやつを貸してください」なんておねだりまでしてしまったが、さすがに、「馬鹿もん!これは、大宮司しか着られない白装束なんだ。お前さんは、自分の羽織袴を着て、俺の横に座っているんだ」と、あっさりと却下された。そりゃ、そうか。
さて、奉納相撲の日。春日野理事長一行が、神妙な面持ちで神宮の奥の院に入ってきた。大宮司らに近づいて正座をするも、終止伏し目がちだったため、俺の存在には気づかず、口上を読み上げる儀式を粛々と進めている。その後、大宮司に挨拶をしようと顔を上げたとき、そのすぐ横にいた俺が、師匠の視界にパッと入ったわけだ。
あのときの様子は、忘れられないねぇ。スローモーションのように、今でも脳裏に甦ってくるよ。
師匠は俺の顔を見て、一瞬、何が起こっているのかわからなくなって、固まっていた。そんな師匠に対して、大宮司は、俺をつかまえてこう言ったものだ。
「紹介します。私の友人です」
師匠はそれを聞いて、さらに混乱していたね。だが、すぐに表情は一変。俺をじーっと睨みつけ、頭から湯気が立ち上るような形相になった。だが、そこは神聖な奥の院。その場で俺を叱るどころか、余計な言葉を発することも許されない。「この野郎!」という、声にならない声が、静寂の中、ひしひしと伝わってきたぜ。
だが、動揺させてしまったためか、師匠は奥の院を出る際、つまずいて転んでしまったのだ。俺が慌てて師匠に駆け寄ると、とうとう言葉を発した。
「触るな!」
その一言だけ残して、師匠は伊勢神宮を後にしたのだった。
その後、東京に戻ってから、師匠に呼び出されて、びっちり怒られたのは言うまでもない。
「相撲にかかわった人間なら、伊勢神宮や奉納相撲の持つ意味はよくわかっているだろ。それなのに、あんなことをするとは!」
「いやでも、弼(たね)ちゃんがそうしろって......」
そう、俺はその頃、大宮司と「弼ちゃん」「桜」と呼び合う仲だった。大宮司が、そう呼べというのだから、仕方がないだろう。
「弼ちゃん? この野郎、どこまでお前は不謹慎なんだ!!」
師匠は、俺がイタズラの筋書きを書いて、大宮司らを巻き込んだと思ったんだろうな。まぁ、無理はないさ。言い出しっぺが大宮司だなんて、考えるはずがない。大宮司の茶目っ気には、こちらが驚かされたほどだ。
それにしても、師匠には悪いと思いながらも、楽しかったねぇ。こんな経験、普通の人間じゃできっこないんだから。
宮様との約束をすっぽかして、犬の散歩
ただ、そんな大宮司に、大迷惑をかけたこともあったもんだ。しかも、これこそ、人から見たら、不謹慎極まりない失敗だったろう。
大宮司が公家であることは、先ほど述べた通り。ゆえに皇族とも深い関係にあるわけだが、あるとき、大宮司と親しくしている高松宮宣仁親王との食事会に、俺が誘われたことがあったのだ。
大宮司いわく、「知り合いの元相撲取りで、型破りのおかしな奴がいる」などと宮様に話したら、「ぜひ会いたいので、今度連れてきてほしい」ということになったそうだ。そこで、宮様が各界の方々と交流を図るために催されている食事会にお呼ばれすることになったわけだ。場所は、新宿のセンチュリーハイアット東京。俺が住んでいる西新宿からは、目と鼻の先だ。へぇ、皇族って、こういうところで食事会をするのか。いずれにせよ、なんとも光栄なことである。
ところが、俺さまと来たら、食事会の日時をすっかり忘れていたのだ。当日、食事会の開催時刻に、俺は悠々と犬を連れて、新宿中央公園で散歩をしていた。思い出したのは、散歩中に、センチュリーハイアットの建物が視界に入ってきたとき。はて、そういえば......。
「いけねっ、今日はあそこで高松宮様に会う日だった!」
だが慌てても、もう遅い。携帯電話などもない時代、連絡もできないし、犬を家に連れて帰って、着替えてから向かっても、宴もたけなわ、他の方々に迷惑をかけるだけだろう。こういうときは、いつものように開き直って「まぁいいか、忘れちまえ。なるようになるさ」と思うしかない。しかし、皇族の食事会をドタキャンするとは、我ながらひどいもんだな。
もちろん、後日、宮様の食事会をすっぽかした俺に、大宮司は雷を落としたね。
「宮様の希望で、宮様の隣の席を空けて待っていたんだぞ!」
「それは申し訳ありません。次の機会は絶対行きますので」
「馬鹿野郎! 次なんてあるわけないだろう !!」
大宮司は、怒り、あきれながらも、苦笑いしていたね。結局、「ホントに、お前はめちゃめちゃな奴だ」と、すぐに許してくれたけど。
お茶目な人は、心も広い。包容力もあるし、常に前向きだ。大宮司に限らず、俺が付き合ってきた、組織のトップに立つような人たちは、皆そんな人柄だった。
大宮司はすでに亡くなられたが、あの世でもイタズラをしているかもしれないな。大阪場所が終わると、いつもそんな大宮司の笑顔が俺の中に蘇ってくるのだ。