親友・綾小路きみまろをぶっ飛ばしたときのこと

 今回は、俺の大親友である綾小路きみまろについて語らせてもらいたい。最近は、テレビにお笑い芸人があふれているが、同じ芸人でも、きみまろが歩いてきた道はほかの芸人とは大きく異なっている。きみまろは、日が当たらない、誰も歩かないような道でしっかりと芸の腕を磨き続け、そんな彼を時代が放っておかずに表舞台に引っ張り出された男だ。

 50歳を過ぎて、大ブレークをしたきみまろを、苦労人という人も多いようだし、本人も「潜伏期間30年」などと言っているが、俺から見れば、彼はいつも第一線を歩んできたし、常に人々を笑いの渦に巻き込んできた、いわば、エリート芸人と言っても過言ではないだろう。頭もいいし、努力も怠らない。それでいて、謙虚さも忘れない人格者でもある。

 つい先月も、新宿アルタで『笑っていいとも!』(フジテレビ)に出演した帰りに、俺が経営している料理屋にひょいと顔を出してくれて、一緒にお茶をした。忙しい合間に、わざわざ顔を見せてくれるなんてうれしいじゃないか。俺は彼のそんなところが大好きだ。

 俺ときみまろの出会いは、30年ほど前だっただろうか。俺は相撲を引退し、福岡で肉体労働をした後、新宿・歌舞伎町でちゃんこ屋を営んでいた。その店の常連さんだったキャバレーの社長が連れてきたのが、きみまろだったのだ。

 きみまろは当時、玉置宏のような司会者に憧れて、キャバレーやクラブのショーで司会や漫談を披露していた。そこでの話芸は、現在の彼の芸風に通じるものがあり、毒っ気を交えて、水商売の舞台裏やお客たちの滑稽な様子を面白おかしく語るものだった。

〈小さい予算で、でっかい顔して、つまみも取らずに居座る客〉とか、〈注文取らずに、男を取り合うホステス〉とか、そんなネタをやっていたなぁ。お客やホステスを前にして、聞いてるほうは自分のことではないと思ってゲラゲラ笑うんだけど、ときには自分が馬鹿にされたと本気で思って、灰皿を投げつけられたりしたとか。それくらい、その場の空気、その場にいる人、その場の状況を見事にネタに取り入れて、そのステージで最も輝くネタを生み出すセンスは、当時から一級品だったのだ。

 それゆえ、きみまろの名前は東京界隈のキャバレーでまたたく間に広がり、引く手あまたの人気ぶりだった。挙げ句は、地方の店からもお呼びがかかり、"全国ツアー"を敢行していたほどだ。

 きみまろは、そもそも落語家や漫才師のように師匠を持っているわけでもないし、落語協会や漫才協会にも属していなかった。芸はすべて独学だし、演芸関係の協会に属していなかったので、寄席にも出られなかった。だからこそ、キャバレーという舞台で勝負するために、先人がやってこなかったような、スポンサーであるはずのお客さんやお店をいじるようなネタに磨きをかけて、見事に成功したのだ。テレビや寄席などで受ける大衆向けのネタとは明らかに違う、その場だからこそ受ける唯一無二の笑いというやつだ。俺は当時から、落語家や漫才師などの芸人の友達はたくさんいたが、きみまろの芸を見たとき、彼らが束になってかかってもかなわないと感じたね。こいつは、絶対大物になる、お笑い界のスターになると。

真っすぐに歩けないくらいぶっ飛ばした訳

 そんな俺の、きみまろに対する強い想いが爆発して、彼を思いっきりぶっ飛ばしたことがある。今となっては笑い話だが、当時はそのことが発端で、きみまろとは2年以上も音信不通になった。この間、きみまろに会ったときも、「あのときは、ホントに痛いというもんじゃなかったよ。今でも耳鳴りがしてるよ」と、苦笑いしながら思い出していたようだ。

 あれはきみまろと出会って、何年かたっていた頃のことだ。

 以前もここで書いたが、俺はその頃になると東日本最大の侠客組織であるS連合の堀政夫総裁に一ファンとして、付き人のようなことを始めていた。堀総裁は、俺のような変わった男が一緒だと退屈しないという理由で、俺を全国の行く先々に同行させてくれた。俺は俺で、堀総裁のお付きになれることを光栄と思い、堀総裁のため命まで捨てるつもりもあった。だから、俺がいなくても、また俺に万が一のことがあっても店の運営ができるようにと、女の子と一緒にお酒を飲めるような、パブのような店にのれん替えしていたのだ。パブなら、料理に気を使う必要がないし、俺の女房は博多でホステスをしていたこともあったので、彼女に任せられるからだ。

 さらに、この店の特徴は、俺の友人だった芸人たちがこぞって店に出ていたこと。暇な芸人はいつ来てもいいから、店で芸を披露してくれれば、小遣いくらいの出演料を渡すというシステムを取っていたのだ。だが、ここでも、きみまろは図抜けた存在だった。浅草の寄席などで笑いを取っていた芸人たちにとっては、水商売はいわゆるアウェー。きみまろにとっては、完全なるホームグラウンド。きみまろの後に出ていく芸人が気の毒だったほどだ。

 そんな我が店の看板芸人でもあるきみまろを、なぜぶっ飛ばしたか? それは、彼があまりにも真面目で人がよかったからだ。

 俺は常日ごろ、きみまろには「芸を披露し終わったら、店から出て行け」と言っていた。客の中には「まろちゃん、一緒に飲もうよ」と誘ってくる者もいるが、それにはこたえず、店の中では客とは一線を引いて、毅然とした態度を取ってほしかったのだ。だが、きみまろは、それを嫌っていた。

「いやー、そんなこと言ったって、せっかくお客さんが声をかけてくれたら、むげにできないよ」

「そんなことはない。美空ひばりだって、ステージ上で歌い終わった後に、客席に下りて、客と一緒に飲んだりしない。スターというものはすべてを見せてはいけないんだ」

「そんな人たちと一緒にしないでくれよ。俺は芸人なんだから」

「バカなことを言うな。芸人だろうが、客が5人しかいなかろうが、ステージがどんなに小さかろうが、舞台は舞台。客は、舞台上でしかスターと会えないから、また追っかけたくなるんだよ」

 そんなやり取りを何度も繰り返していたが、それでもきみまろは俺の目を盗んでは、ステージを下りて、客と飲んでいたらしい。彼なりのサービスということは理解できるが、長い目で見た場合、芸に自信があるのなら、自分を安売りなんかするもんじゃない。その頃のきみまろは、その腕を見込まれて、すでに森進一ショーの専属司会者の座を射止め、その後、小林幸子や伍代夏子などの司会も務めていた。着実にステップアップしていたのだから、なおさらだ。

 だが、きみまろは、俺の言うことを相変わらず聞かないばかりか、あるとき激しく俺に抵抗してきたのだ。そのときは、カチンときたね。「お前のことを思って言っているのに、その態度はなんだ!」と。

 俺はきみまろを店の裏に引きずり出して、ボコボコにぶん殴ってやった。堀総裁のお供のために毎日鍛えていた120キロもある体でやられたんだから、きみまろもたまったものじゃなかっただろう。この一件以降、彼は2年以上も俺の前に姿を現さなかったのだ。笑い事じゃないけど、どうも鼓膜が破けたのか、中枢神経がいかれちゃったのか、しばらくは真っすぐ歩けなかったらしいからな。

頂点を極めた者には下ることだけが待っている

 それでも、きみまろは、忘れた頃に何事もなかったようにひょこっと現れて、以前と同じように俺と付き合い始めた。俺も違和感なく、きみまろを受け入れた。まさに、兄弟みたいなもんだ。

 その後、俺のポリシーが伝わったのか、きみまろは、大ブレークした今でもテレビに積極的には出ようとはしない。テレビであまり見られない、あまり近しい存在じゃないきみまろだからこそ、お客さんは高いお金を払って、ステージを見にきてくれる。そんなお客さんを目いっぱい楽しませようと努力するからこそ、きみまろの芸はいまだに磨かれている。

 プライベートのきみまろは、一般人以上に寡黙だ。正直いって、面白い人間ではない(笑)。常に何か考えているし、どこかにネタが落ちていないか神経を尖らせている。「遊びが芸の肥やし」などという芸人が多い中、気を休めることなく、何かに追われるようにネタを求め続けるその貪欲さは、逆にかわいそうになるくらいだ。

 水商売で一旗揚げた後、彼は森進一ショーなどの司会の場で、森さんたちのファンである中高年のおばさんたちをネタにしていじり回し、笑わせる術を磨いてきた。基本形はキャバレー時代と一緒で、「その場」を最大限に生かすこと。こうした笑いの道は、彼自身が切り開いたもので、それに類する者は後にも先にもまだいない。俺が、きみまろを「第一線で活躍してきたエリート」というのは、そういうわけだ。

 だが、そうしたきみまろの技術以上に俺が評価しているのは彼の「心」の部分だ。どんなに売れても、いい気にならずに、周りの人々や神様に感謝することを忘れない。

 人間は、階段の2段目から落ちてもけがなどしないが、2階から落ちれば大けがをする。屋根の上からだったら、死ぬことだってある。人生だって一緒である。神様はいたずら好きだから、本人が調子に乗っていると、すぐにハシゴを外したがるものさ。そうやって、転落していった奴らを、俺は何人も見ている。

 ある分野を極めた者に待ち受けているのは、下るだけの人生だ。だがそれが、一気に転落するようなものなのか、階段を一歩一歩下りるようななだらかなものなのかは、その人間の心がけ次第。与えられた地位や財産に固執することなく、周囲への感謝や施しを怠らずに、ちょっとずつ身軽になって、最期は「無」になり、「あばよ」と言って逝くのが理想じゃないか。

 きみまろには、これからもそういう下りの道をゆっくり歩いてもらえることを俺は祈っている。

たかはし・みつや
元関取・栃桜。現役時代は、行事の軍配に抗議したり、弓取り式で弓を折ったり、キャバレーの社長を務めるなどの破天荒な言動により角界で名を馳せる。漫画「のたり松太郎」のモデルとの説もある。

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