元国会議員・山本譲司が語る「根底にある異質な者を排除する意識とは?」

――知的障害者・精神障害者が刑務所に収監されてしまう日本の司法システム・福祉システムの貧弱さを指摘し続けてきた山本氏に、メディアの裏に潜む問題点について聞く。

千葉県東金市の幼女殺害事件では、軽度の知的障害を持ち、後に逮捕された容疑者をメディアが執拗に追った。(テレビ画像はフジテレビのニュース番組より)

──まず、1年2カ月間の服役中に見た、刑務所の現状について教えてください。

山本譲司(以下、) 刑務所に収監される直前は、自分のことは棚に上げて、どんな悪党たちが待ち構えているのかと内心ビクビクしていましたが、実際の塀の中は、予想とはまったく違っていました。受刑者は、収監されると、最初に知能指数(IQ)検査や精神診断を受けるのですが、IQテストを一緒に受けた約50人の新受刑者のうち10名ほどが、知的障害があるのではないかと思われるような人たちだったんです。中には、自分が今どこにいて、何をしているのかさえわかっていない人も含まれていました。

 それを裏付けるデータもあります。『矯正統計年報』(法務省、2007年)の「新受刑者の知能指数」の項目によれば、新受刑者総数3万450人のうち、22%に当たる6720人がIQ69以下【編註:障害者手帳の交付基準において、最重度の知的障害者のIQは20未満、以下、重度IQ20〜34、中度IQ35〜49、軽度IQ50〜75】となっています。また、「新受刑者の精神診断」の項目を見ると、新受刑者総数の5・6%に当たる1720人、つまり、約18人にひとりに、なんらかの精神障害(知的障害、人格障害、神経症、その他の精神障害)があると診断されています【下の図表参照】。

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──そうした現実を目の当たりにして、どう感じましたか?

 議員時代、養護学校や福祉施設にはよく足を運んでいましたし、福祉についてはそれなりにわかっているつもりでした。しかし、現実は何も見えていなかったのだと気付かされ、愕然としましたね。そもそも精神障害や知的障害のある人は、例え罪を犯したとしても、精神鑑定を受け、その結果「責任能力なし」と判断され、刑務所に入ることはない、とばかり思い込んでいましたから。

──なぜ、それほどまでにたくさんの知的障害者や精神障害者が、一般刑務所に収監されてしまっているのでしょうか?

 彼らの大半は、軽微な罪で捕まった人たちです。120円のおにぎり1個を盗んだ被告に対して、国選弁護士が何十万円もかけて精神鑑定をやり、何週間も準備して裁判に臨むことなど、実質的にはありえません。だから、精神鑑定も行われず、知的障害者や精神障害者であっても、その障害が理解されることもなく実刑判決が出てしまう、というのが実情なんです。

 さらに、最近の刑事裁判が、少年審判と同じように、どんな罪を犯したかではなく、「要保護性」を考えるようになってきていることも一因です。被告人にあきらかに知的障害があるとわかっていても、彼らの場合、社会に身元引き受け先のないケースが多いので、とりあえず刑務所に「保護」「避難」させようとする。つまり、刑務所が福祉の代替施設になってしまっているわけです。

 僕は、刑務所のように自由も尊厳もない場所には、二度と戻りたくありません。しかし、知的障害のある受刑者の中には、出所しても行き場がなく、また刑務所に入りたいと考えている人も多い。彼らからすれば、残飯をあさることでしか生きていけない"外"の社会は、尊厳などない世界なのです。以前は僕も、一般の人と同じく、刑務所に対して、あの塀が、極悪人から市民を守ってくれているのだと感謝していました。ところが、実は、受刑者のほうこそ、あの塀によって冷たい社会から守られているんです。

──しかし、刑務所の中のそうした実態は、一般にはほとんど伝わってきていません。

 メディアは、神戸連続児童殺傷事件(97年)を契機に、少年事件に関してはかなり積極的に報道するようになりましたが、知的障害者や精神障害者の事件に対しては、相変わらず及び腰です。事実、浅草女子短大生刺殺事件や下関駅放火事件(06年)は、容疑者に知的障害があるとわかった途端、ほとんど報じられなくなりました。東金女児殺害事件の報道にしても、、容疑者逮捕時、あれほどセンセーショナルな取り上げ方をしたにもかかわらず、どんどんトーンダウンしつつありますよね。知的障害者・精神障害者の事件は、非常にセンシティブな問題でクレームも怖いし、丁寧に伝えようと思えば思うほど、時間と手間がかかりますから、なかなか記事にはしづらいんでしょう。現場記者にも話を聞きましたが、いくら取材をして原稿にしても、障害のことを書くとボツになるとわかっているから、条件反射的にペンをしまう習慣がついている、と言っていました。

──一方で、精神障害者や知的障害者が加害者となった重大事件を、理解不能な凶悪犯罪として伝える報道も目立ちます。

 メディアは結果的に、精神障害者や知的障害者は得体の知れない存在なのだとして、一種の「モンスター」を作り上げてしまっているのではないかと思います。今、この国全体に社会防衛的意識が広がっています。そうなると、マイノリティーを排斥しようとする動きが強まってくる。そのような、異質なものをどんどん排除してしまおうとする風潮を端的に表している言葉が、はやりの「KY」でしょう。あれは、「空気を読めないやつ、すなわち異質な人間は排除してもいい」というような言葉ですから。

 そうした流れの中で、東金女児殺害事件が起きました。ある放送局は、カラオケを歌ったりしている容疑者の「KY」なシーンを繰り返し放送しました。そうすることで、視聴者の違和感と憎悪を駆り立て、「モンスター」に仕立て上げようとしたわけです。

 さらにいえば、報道しないことによっても、「モンスター」像は膨らみます。加害者に責任能力のない可能性があれば報道しなくていい、という建前の下、本当に伝えなければいけない微妙な問題に触れるのを避け、ある日ぷっつりと、報道すること自体をやめてしまう。これも、非常に恐ろしいことだと思います。

──ではこの先、メディアの側は、いったいどんな事件報道を心がけていくべきでしょうか?

 メディアの機能のひとつは、隠された社会問題を顕在化させることです。精神障害者や知的障害者の事件報道に当てはめていえば、事件の皮相の部分だけでなく、関係者の成育歴や生活環境などをしっかりと調査し、事件の起こった背景を深く掘り下げて報じる姿勢が大切です。メディアは、障害者問題を報じるとき、必ずといっていいほど、「この問題は根深いので、継続的に取り上げていく」などと言いますが、実際に継続しているメディアはひとつもありません。それぞれの事件をケーススタディとして積み上げ、正確に伝えていけば、読者・視聴者の評価も得られるでしょうし、報道を通じて我が国の貧困な福祉体制を変えていくことも可能だと思います。

やまもと・じょうじ
1962年生まれ。作家、元衆議院議員。秘書給与流用の詐欺罪で逮捕され、栃木県黒羽刑務所に服役中、精神・知的障害のある受刑者たちの世話係を任されていた。その経験をもとに知的障害者福祉の現場に携わりながら、『獄窓記』(ポプラ社)、『累犯障害者』(新潮社)などを執筆し、講演活動も行う。


事件報道は判決をも変える!? 問われるメディアの報道姿勢

 昨年4月、山口県の光市で起きた母子殺害事件(1999年)の差し戻し控訴審公判で、00年に下された1審判決(無期懲役)が破棄され、被告に死刑が宣告された。高裁において、犯行時18歳の被告に死刑判決が下されるというのは、極めて異例のことである。97〜98ページにも登場した河合幹雄・桐蔭横浜大学法学部教授は、「過去の判例に照らせば、死刑判決の出る事件ではありません。検察側でさえ、そう予想していたはずです。厳罰を望む世論が、判決に影響を与えた側面は否定できないでしょう。裁判所という存在は、世論に弱いものなのです」と解説する。いうまでもなく、そうした世論の形成には、事件を大々的に、かつセンセーショナルに報じた各メディアが一役買っている。つまり、ある事件の報道のされ方が昨今の厳罰化の流れをいっそう加速させ、司法判断にまで影響を与えてしまうということは、大いにあり得るのだ。

 もちろん、それは、少年事件だけに限った話ではない。特に精神障害者や知的障害者が加害者となった事件では、とかくその動機の不可解さや、犯行の異様さばかりが強調され、センセーショナルに報道されがちだ。しかも、今年5月21日からは、裁判員制度が開始される。従来のような、感情的で公平性を欠く事件報道ばかりが繰り返されれば、多少なりとも裁判員の心情に、ひいてはその結果としての判決にも影響を及ぼしかねない。

 裁判の公正さを保つためにも、報道メディアには、これまで以上に慎重、かつ冷静な報道姿勢が求められるのである。

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