結成15年のV系の大御所は『デスノート』のモデル!? Plastic Tree

──ファンなんですよ。この2年間のライブは、ほとんど観てます!

長谷川 光栄です。

有村 ありがとうございます。

──プラほどのキャリアのあるバンドに、「ビジュアルさん」に出ていただけるなんて、うれしすぎです!

有村 でも、僕たちまだビジュアルって言ってもいいんですか?(笑)

──エックス、ルナシー、黒夢と並んで、V系の大御所ですよ。

有村 でも世代的にはその後ですよ。

──1度も活動休止してないのはプラだけですね。プラの場合、ほかのV系と違って、ホストみたいなメイクやキャラじゃないからあんまり関係ないとは思いますが、キャリアがあるということは、当然年齢も重ねていくわけじゃないですか。自分の年齢、老いをどう考えていますか?

有村 頑張ればいいかな、思い込みで(笑)。前の自分より、突き詰めたところで表現できればいい。年齢的な老いが功を奏するときもあるしね。例えば、昔だったら「こういうメイクは絶対できない!」ってことも、いまならできたりするし。

──許容範囲が広がった?

有村 昔はガチガチで、「おかっぱ以外しません、目の周り黒いのしかやりません、これ以外やりません!」って感じでした。

──ちなみにメイク時間はどれくらいなんですか?

有村 アーティスト写真では薄いんですけど、ライブでは濃くやるので、ひとり40分くらいです。

──結成当時は、自分たちでメイクしてたんですか?

有村 当時、メイクさんが持ってるようなメイクボックスを持ってるのがステイタスだったんですよ(笑)。開けると階段みたいになってるやつにバンドのステッカー貼るのがカッコよかったんだけど、うちのバンドは黒いシャドーとファンデーションしかなかったから、百均で買った工具箱に入れてました(笑)。

──えー! ギルティ(東京・恵比寿にあったライブハウス。現在は渋谷)でやってたとき観てたけど、コテコテにメイクしてると思ってた!そんなプラの印象的なライブといえば、やっぱり07年の初武道館なんですが、達成感ってありましたか?

長谷川 ステージ出てお客さん見たとき、「わあ!」って思いましたね。単純に続けてきてよかったなって気持ちのほうが強かったです。

──感動して泣いちゃってるファンもたくさんいましたよね。

有村 僕自身もすごい感動しちゃいましたね。こういう光景が見れるなら、やっててよかったなと。

──緊張しました?

有村 イベントでは武道館ってやったことあったんですけど、ワンマンは全然違いますね。前の日はいろんなことが頭を巡っちゃって、寝れなくて......。

──武道館って、自分たちが10代の頃、好きだったバンドを観にいってた場所だったりしますよね。

有村 もっと大きいとこはいっぱいあるけど、やっぱり聖地だから、思うところはありましたね。

──ちなみに、『デスノート』の「L」って、有村さんがモデルって噂がありますが。実際、どう見たって有村さんにしか見えないですよ。

有村 いろんな方々から聞きますね。なんとも言えないけど。もし違ってたら、とんでもなく寒い奴になりますし(笑)。まあ、本当だったとしたら光栄です!

──ファンは全員、「L」のモデルは有村さんだと思ってますよ!

有村 僕はあんなに頭も良くないし、あんなに役に立つ男じゃないし、真逆ですけどね。似てるのは、目のくまと髪形と猫背なとこだけです。

──そっくり!

有村 だったら、主題歌やらしてほしかったな(笑)。

──確かに、レッチリじゃなくてプラがやるべきだった!

有村 「お願いします」って、頭を下げたいくらい(笑)。

長谷川 「デスノート」って曲を作っちゃったりして(笑)。

有村 「全然意識してないです」って言いながら(笑)。


プラスティック トゥリー
(右から)Gt.ナカヤマアキラ/Vo.有村竜太朗/Ba.長谷川正/Dr.ササブチヒロシ 1993年結成、97年メジャーデビュー。07年に初武道館ライブを行い、昨年9月発売のアルバム『ウツセミ』で、オリコンチャート9位を獲得。幻想的なセットの中で、時に淡々と歌い、時に素足で駆け回る有村のパフォーマンスで、多くのファンを魅了。服飾ブランド「GADGET GROW」のモデルでもある。活動歴が長くライブ動員も多いので、V系の中では兄貴的存在。

第10アルバム
『ウツセミ』

(発売/ユニバーサルミュージック)
「このイントロだったらAメロはこんな感じだろう」とか「このBメロだったらサビはこうだろう」とか、次が予想できる音楽も多いけど、プラはいい意味で期待を裏切ってくれるからうれしい。想像以上のメロディが待ち受けているし、普通の流れじゃんと思ったら、ギターソロでどっかん! と大きな展開をしてくれたり。このアルバムで見えた光景は、暗くておめでたい、そして愛しいという感情。捨てられた子犬を拾ってきちゃった感覚に近いかも。


Kei-Tee的インタビュー後記

  恋の始まり、頭の中で彼らの「水色ガールフレンド」が流れていて、妊娠中は「メランコリック」が流れ、破水したとき「スピカ」が静かに流れていた。楽しいとき、プラを聴いて幸せをかみしめ、つらいとき、プラを聴いてどん底まで落ち、日はまた昇ると信じた。あたしの中で、荘子より使える哲学書のような存在かも。大好きなバンドに会えるなんて、ライターやっててホントよかった! 好きな盤麺(バンドメンバーの意)を追いかけ、所属する事務所で働いていた友達を笑えないです(笑)。拝金主義だった20代の頃、プラにはまったく興味がなかったけど、丁寧に生きたいと思った頃から、プラのファンになったあたし。バンドもファンも老いる(成熟する)って、悪くないわ。

<筆者プロフィール>
1973年、東京都生まれ。"神に最も近い男"角川春樹の娘にして、角川春樹事務所顧問、出版プロデューサー。根っからのビジュアル系好きで、元バンギャルにして元アイドル。1歳の愛娘の子育てに奮闘中。自著に、自薦他薦セレブのインタビュー集『セレブの血』(ワニマガジン)がある。 公式サイト

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