被差別部落出身者が本音で対論 部落問題は今でもタブーなのか?

 差別の解消を目指すための糾弾闘争や金目当てのエセ同和の暗躍によって、部落問題は"アンタッチャブル"なものになっていった。しかし、ここ数年、部落に関わる事件が表面化したことで状況は一変。そんな現在の部落問題について、2人のノンフィクションライターが語る──。

上原善広氏。

上原善広(以下、上原/東京在住) 東京に住んでいると、部落に関する事件報道はほとんど一報しか入ってこないのですが、やはり大阪のほうが報道は多いですか?

角岡伸彦(以下、角岡/大阪在住) そうですね。扱いも大きくて、小西邦彦氏が逮捕された飛鳥会事件【1】のときは、夕刊1面トップでしたから。

上原 東京では、そこまで大きく報道されてなかったですね。ただ、僕は出身が大阪なので、あの事件以後は地方に行くと、同盟員【2】や部落の人に「大阪のせいで偏見をもたれる」みたいなことを言われるようになりましたね。ただでさえ「前から大阪のもんは金ばっかり」と言われてたのに。


角岡 僕はそんなに言われなかったけど、あの事件がきっかけで「テレビに出てくれ」なんて依頼が増えた。あんな不祥事を起こして、部落外【3】の人には「お前ら、どないしてくれんねん」みたいな意識があるでしょ。でも、僕は同盟員でもないし「そんなの知らんがな!」と言いたいのですが、出自を思うと、まったく無関係ではなということもあって......。

上原 今は、さすがに報道も落ち着きましたね。

角岡 まあ、ほかに何か事件が起きたわけでもないしね。

上原 角岡さんは大阪に暮らしていて、部落問題をタブー視する雰囲気を感じることはありますか? 僕は大阪の地元に帰ると、知り合いや親戚などから部落問題について「余計なこと言うな」なんてことを言われることもあるんですが。

角岡 部落には、そういった「寝た子を起こすな」っていう風潮が今でも根強いからね。

上原 だから、飛鳥会事件の報道もひと段落して、今はもう大阪でも「静かにしておいてほしい」という雰囲気になっているように思いましたが、いかがですか?

角岡 まあ今でも、腫れ物を扱うような感じではあるんですけどね。ただ、そういったタブーを作り出したのは(過去の糾弾を恐れた)部落外の人間だけかというと、僕はちょっと違う見方をしていてね。部落と部落外の両方が、部落をタブー視する原因を作ってきたと思っている。つまり、部落の中でも「寝た子を起こすな」という人たちがいる一方で、激しい糾弾闘争をやってきた人たちがいるわけですよ。

 行政や学校、民間企業なんかに集団で押しかけてガンガン糾弾してきた。当然やられた側は萎縮する。それで、「部落の言うことは、なんでも『ハイハイ』と聞いておけば無難だ」と、臭いものにフタ、みたいにタブー化してしまう。この悪循環は確かにあった。僕なんかでも、(部落外の人から)陰口や文句みたいなことを言われて「うっとうしいな」って感じることがありますよ。何をどのように書いても、どこかから文句を言われますから。

上原 言う側にしてみたら、角岡さんならわかってくれると思って言ってるんじゃないですか?

角岡 そんなことないよ。部落の中には、僕のこと敵視しているような人もいるしね。そんな人は解放運動の立場からちょっと外れるような意見や事象があると、「それは違う」なんて言ってくる。具体的な差別事象がどれほど普遍的な話なのかで、お互いの話が全然交わらない。僕は物書きだから、できるだけいろんな物事を客観的に見ることを心がけているんやけどね。

上原 部落の当事者には、そういう視点がほとんどないですからね。

地域によって異なる部落というイメージ

上原 東京で、これまで実際に起きた(結婚や就職など)部落差別の話をすると、「まだそんな差別があるの?」という反応が返ってくることが多い。逆に、大阪で部落差別が解消傾向にある、と話すと「そんなことはない」と言われる。部落差別ってもともと、地域によってかなり温度差がある。

角岡 "差別がまだある・もうない"という単純な議論にしてしまったら、おかしいと思うんですよ。もちろん今でも差別はあるんだけど、長い時代を経てきてどう変化してきたのかを、客観的な言葉で伝えていかなくちゃダメだと思う。実際、長い目で見たら、差別は厳しくなくなってきている。僕は、「マシになってきている」という言い方をしているんですけど。もちろん、それは部落差別に限った話じゃなくて、女性差別にも障害者差別にも言えることで、あらゆる差別が運動の結果としてマシになってきたわけですよ。そういったことを伝えていかなくてはいけないと思うんです。

上原 近年では部落に関する悪いイメージが伝わってますね。(奈良市の病欠職員問題など)部落問題に関する事件が一気に表面化したのが、同対法【4】が失効した直後で、これは内部では数年前から懸念されていました。しかし、単純に考えて僕にはこのタイミングが不思議だったんですが、角岡さんはどう思われますか?

角岡 当時は小泉首相による"聖域なき構造改革"があって、それまでタブーだったところにもどんどん切り込んでいくという、社会全体の雰囲気があったからかもしれないですね。社会の流れとして、何を許すか、許さないかの基準が変わっていった。ただ、同対法が失効するしないは関係なく、大阪の同和行政は変わらざるを得なかったと思う【5】。

上原 そりゃ、あのままじゃいけませんよね。

角岡 タブーと言えば、上原さんは04年に「噂の真相」で、部落出身の著名人を挙げていくという記事【6】を書いてたじゃないですか。あれは、なぜ実名じゃなくてイニシャル表記に?

上原 あれは、編集部とも相談して、実名を出すのをやめたんです。「部落出身ということを隠していない、確実な人は実名を出してもいいのでは」って僕は言ったんですけど、現実的にはやはり無理ですからね。

角岡 あの記事の趣旨が"ウルトラ解放フェスティバル【7】"の誌上開催なのに、「名前を出さないと、全然意味があらへんがな」って思った。むしろ逆に部落出身ということをタブー化・陰湿化させているようにも取れてしまう。「部落出身者が皇族に嫁いだ」なんて衝撃的なことも書いてあったけど、あれは誰のことなの?

上原 また伏せ字になるけど、××です。

角岡 ええ!? それはちょっと怪しいなぁ(笑)。いくらなんでもそれはないんじゃない? それはさておき、いろいろなマイノリティが存在する中で、部落出身者だけがそれを名乗りたがらないという現実があるじゃないですか。芸能界だけでなく、どんな業界でも。中には三國連太郎みたいに出自を語る人もいるけど、それはごくわずか。それがすごく変だと僕は思っている。

上原 あの記事については、はっきりいってイニシャルはどうでもいいんです。それは興味もってもらうのが目的で書いただけで、本当の狙いは「こうして皇室に嫁いだ人がいるんだから、差別とかいうのは時代遅れだよ」ということだったんですけどね。読者にはぜんぜん伝わっていなかったみたいですけど(笑)。しかし、在日と違って部落はカミングアウトが進みませんね。

角岡 部落の人間からしたら、「隠せるんじゃないか」という意識があるわけですよ。一見、どこも変わらないんだから、言わない限りわからへんだろうという。だから、さまざまなマイノリティがいる中で、隠そうとする意識は部落が一番強いんじゃないかと僕は思ってるんです。

上原 角岡さん自身は、そういう意識を持ったことはあります?

角岡伸彦氏。

角岡 ありますよ。たとえば初対面の人に「物書きをやってます」なんて言うと、「どんなテーマを書いているんですか?」と当然聞かれるわけですよ。そんな時、一瞬の戸惑いがあるっていうか、(テーマが「部落」というのは)やっぱりちょっと言いにくいわけです。

 僕みたいに部落出身ということを公表している人間であっても、それはある。もちろん、そんな自分に対して「そんなに卑屈にならんでも......」という気持ちはあるんですけど、そんなに単純な問題じゃないんですよね。

上原 まあ、物書きとしてもマニアックやなと思われるし。


角岡 いちいち説明するのも面倒くさいっていうのもあるしね。

上原 東京と大阪でも、また違うでしょうね。東京だったら「マニアックだな」で終わるでしょうけど、大阪だったら切実だから「シーン......」となるかもしれないな。

角岡 マイナスイメージを持って見られるんじゃないかという恐怖感はありますね。部落の人間は怖いとか、最近だったら不正に金儲けしているとか、少なくとも良くは思われていないだろうから、僕もそう思われるんじゃないかと。まあ、実際に言ってみたら「ああ、そうなんですか」で終わってしまって、そんなスッと流すのかよってことも多いですけど(笑)。

部落で"食える"か!?出版社が避けるワケ

上原 そういえば以前、角岡さんはあるシンポジウムで「あなたにとって部落とは?」って聞かれた時に、「僕のウリです」って答えてましたよね(笑)。

角岡 まあ、それでメシ食ってるところもあるしね。

上原 部落問題のこと書いてて、メシなんて食えないですよ(笑)。

角岡 そんなことないよ。東京と大阪じゃ状況が違うってこともあるのかもしれないけど。ただ、部落問題でメシを食いたいとは思ってない。「これは書かなあかん」と思うことがあって、ほかに書く人がいないから自分で書いてるというだけで。ただ、今後は書いていくテーマとして、部落問題の比率は低めていきたいとは思ってる。

上原 僕も、今後はちょっと一線引こうかなと思ってます。もう無理なんですよ。これ以上は書けないというところまで来たんだなと考えますから。

角岡 そうは言っても、またなんだかんだ書きたいこと、書かなあかんことは出てくるでしょう?

上原 いや、書くことはいくらでもあるんですよ。ずっと取材してきたテーマもあるし。そうじゃなくて、出すところがないんですよね。出版社にとって、部落問題はハイリスク・ノーリターンだと思うんですよ。

角岡 それは内容の問題ではなくて?

上原 もちろん、僕の力不足ということが一番大きいと思いますよ。だから、今の時点で自分が面白いと思って100%の力を注いだものが出版できないのなら、今はもっと力をつける時期なのだろうから、ちょっと引こうと思ったんです。僕はもともと「部落問題」を書きたいのではなくて、「人間のこと」を書きたいんですね。部落はテーマのひとつでしかない。もちろん、テーマとして追うのをやめるわけじゃありません。角岡さんは"ウリ"とおっしゃいましたが、僕にとって部落出身というのは"業"なんですね。だから、それについては書き続けるつもりです。しかし、これ以上のことをやるには、今の時点では力不足なので、10年、20年後に力をつけてクオリティを高くして、再び取り組みたいと思っています。ハイリスクでも、ハイリターンだったら出版社も出すと思いますしね。

角岡 僕はまったく違う感覚を持ってるけどなぁ。例えば「週刊ポスト」(小学館)は、ここ1〜2年で散発的に部落問題を何回も取り上げている。あれは「部落問題を扱うと売れる」っていうことらしい。部落出身の野中広務のインタビューを掲載した号は完売したそうだし。

上原 でも、本当に部落の記事で売れたんですかね。僕は反対に「週刊現代」(講談社)は同和問題の記事で売れなかったって聞きましたよ(笑)。

角岡 へぇ〜。それは今度、「週刊現代」の編集者に聞いとくわ。

上原 東京と大阪の温度差もあるんじゃないですかね。それとも、僕のやってることが、突っ込みすぎなのかな(笑)。運動団体とも仲良くしてないし。

角岡 それは僕も同じやん(笑)。

今も残るタブー意識と今後の部落問題

角岡 タブーということでちょっと思い出したんだけど、以前ある通信社の依頼で高山文彦さんの『水平記』(新潮社)の書評を書いたんです。その中で使った"部落民"という言葉がそこの社内規定に引っかかって、すべて"被差別部落民"という言葉に直してほしいと。でも、部落民という言葉は差別語じゃないし、その原稿中に何度も出てくる。それを全部「被差別部落民」という言葉にしたらすごくクドくなるし、短い原稿だから文字数的にも厳しい。それで納得できないから、「なんでダメなんですか?」と聞いたら、向こうも「詳しいことはわからない」と言うんです。そんなアホなって。それで原稿は自分からボツにしてもらいました。

上原 それはまた、角岡さんも厳しいですね。

角岡 そんな言い換えに、なんの意味もないと思うからね。それで、最近だと同じく高山さんの『エレクトラ』(文藝春秋)っていう中上健次の評伝が出版されましたよね。これは中上が部落出身であるということが大きなテーマのひとつになっているのに、朝日新聞の書評では部落の問題について触れていない。それは不自然でしょう。

上原 確かに、まったく触れないっていうのは、逆に変ですよね。

角岡 さらに中上健次の娘で作家の中上紀さんも、「部落解放」(解放出版社)という部落解放同盟の機関誌にこの本の書評を書いたんで読んでみたら、これも部落についてまったく書いてない。部落問題をテーマにしている本なのに、それが出てこないのはおかしい。僕が編集者だったら絶対書かせたけどね。父親や自分が部落出身であることをなんとも思わないのであれば、それでも構わない。ただ、自分がどう考えたかっていうのは出しとかないと。

上原 まあ、部落問題って「運動色」がついているイメージがあるから、触れたくないんじゃないかな。僕は反対に、(自身が連載を持っている)「実話GONナックルズ」(ミリオン出版)に怒ったことがありました。

 ある若いカメラマンが、「部落民が北朝鮮拉致事件にかかわっている」という記事を書いたんです。彼が現場に取材に行ったのと同じ頃、僕もそこの部落の取材に行ってたんです。ほかの場所については知りませんが、「そこでは絶対ありえない」と思ったんです。そこに住んでいるのは高齢者ばかりで、人口も6人しかいない。そのカメラマンは、周囲の人たちから「あの部落がきっと拉致にかかわっているはず」「あそこで殺人事件があった」という差別意識丸出しの話を聞いて、そのコメントをそのまま記事にしたんです。しかも、実際に部落の人たちのところには取材にも行っていない。それはいくらなんでもおかしい。僕は運動家じゃないから糾弾したりはしないけど、さすがに編集部とその彼については誌面で「弱いもんイジメするな!」って、批判しました。

角岡 それはよく糾弾にならへんかったね。

上原 誌面に書かれたことに対しては、誌面で反論・批判すればいいと思っています。しかし、ただでさえその部落ではすごい偏見にさらされているのに、
同対法の恩恵もほとんど受けていない、そんな地方の小さい貧しい部落を、それもまた中小出版社がいじめんなよ、ということですよ。いろんな人に部落について書いてほしいとは思っていますけど、こういうのは困る。

角岡 部落外の人にも、おもしろい人はいるけどね。以前、大阪芸術大学の学生が「(部落の地場産業とされる)屠場を撮りたい」といって僕のところへ来たんですよ。それで僕も協力して加古川にある屠場を撮影できることになったんですが、出来上がったものを見てみたら、メチャメチャおもろい。なんのタブー意識もないから、ストレートに撮りたいものを撮って、ストレートに聞きたいことを聞いてる。当然、ヤバい言葉なんかもいっぱい出てくるんだけど、それもそのまま使ってる。素人で部落に一度も行ったこともないような20歳の大学生が、そんなものを撮ってる。自分も含めてプロのジャーナリストは何をやっているのかと思いましたね【8】。

上原 それは屠場とかのテーマもあるけど、彼自身にもすごいセンスがあるんですよ。そんな若者がもっと出てくれば、部落問題も現在のようにタブーなものじゃなくなるのにな。

 最後に、ちょっと抽象的な話なんですが、角岡さんはこれからの部落はどうなっていくと思いますか?

角岡 あえて変な言葉を使わせてもらうと、より"同化"が進んでいくと思います。もともと部落民とそうじゃない人で違いがあるわけじゃないから、同化という言葉はそぐわないんだけど、すでに同化は進んでいて、現在では自分が部落民だという自覚がない人も多くなってきている。若い人なんか特にね。そういう意味で、部落と部落外の意識の差っていうものがなくなってきていると思うんですよね。

上原 一世代、二世代変われば、意識が違ってきますからね。ぼくはこれから先も部落は残っていくと思いますけど、意識についてはどんどん変わっていくでしょうね。

(構成/橋富政彦)

上原善広(うえはら・よしひろ)
1973年、大阪府松原市生まれ、東京都在住。著書に『被差別の食卓』『聖路加病院・訪問看護科』(新潮社)、『コリアン部落』(ミリオン出版)がある。

角岡伸彦(かどおか・のぶひこ)
1963年、兵庫県加古川市生まれ。神戸新聞記者を経てフリーに。著書に『被差別部落の青春』(講談社)、『ホルモン奉行』(解放出版社)、『はじめての部落問題』(文藝春秋)など。

〈脚注〉
【1】 06年5月、財団法人「飛鳥会」の元理事長で部落解放同盟飛鳥支部長だった小西邦彦が、大阪市開発公社から業務委託された西中島駐車場の収益を不正に着服した業務上横領罪、暴力団元組長らの健康保険証を詐取した詐欺罪などの罪で逮捕された。

【2】 部落解放同盟員のこと。

【3】 被差別部落地区以外の意。

【4】 69年に施行された、同和対策事業特別措置法の略。同和地区と地区外との格差是正、環境改善、同和教育の推進などを目的とした法案。当初は10年間の時限立法として制定されたが、何度か延長され、その名前を変えつつ、02年3月まで続いた。

【5】 飛鳥会事件で逮捕された小西被告(当時)が元暴力団幹部だった経歴などが報道されたことを受け、大阪市は同和行政の見直しに着手。すべての同和行政予算を削減した。

【6】 「噂の真相」04年3月号に掲載された上原の記事『陰湿な差別の中でカムアウトできない 「噂真」最後のタブー「部落出身芸能人」』のこと。

【7】 マンガ家の小林よしのりが提案した部落差別解消のためのイベント。小林はこのフェスティバルで部落出身の芸能人や作家、スポーツ選手、政治家など著名人が一斉にカミングアウトすれば差別はなくなると主張した。

【8】 大阪芸術大学芸術学部の学生・満若勇咲が、加古川食肉センターで働く人々と食肉ができるまでの過程を撮影したドキュメンタリー作品『にくのひと』。先月17日にアムネスティ・フィルム・フェスティバルで上映された。

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