サブプライムから見えた資本主義の"正体"

──アメリカのサブプライムローンの破綻に端を発するといわれている、昨今の世界金融危機。返済能力の有無を問わない無責任な金融商品とされることが多いサブプライムローンであるが、今回のゲスト小幡績氏によるとこの問題は、金融資本が自己増殖することでバブルを作り出し、やがて崩壊するというバブル経済の"お約束の過程"にすぎないと指摘する。世界経済の脅威となるサブプライム問題から、金融資本主義の正体が浮き彫りになる──。

【今月のゲスト】
小幡 績[慶應義塾大学大学院准教授]

神保 今回は慶應義塾大学大学院の小幡績准教授を招き、いまだに先の見えない金融危機とサブプライムショックを再考し、"金融資本主義の正体"というテーマで議論を進めたいと思います。小幡さんは、昨年8月に『すべての経済はバブルに通じる』(光文社新書)という本を出されましたが、サブプライムショックとは何かということを説明した書籍の中で、これ以上にわかりやすく、かつ面白いものはありませんでした。

宮台 素晴らしい本です。証券化とは何か、どんな証券化が何を意味するかを、こんな平明に説明した本はない。サブプライムショックの根本を、そもそもバブルが「仕方ない」現象であることを踏まえて、深い次元で解説しています。

神保 小幡さんはサブプライムローンを、「誰も損をしない仕組み」と呼ばれています。まずはこちらから説明していただけますか?

小幡 サブプライムというのは、要は信用力がなく、普通の銀行からお金を借りられない人に対して、住宅ローンを貸し付けるわけですから、まずこれが驚きです。さらに、入り口は超低金利で、頭金ゼロで家が買えてしまう。もちろん、後に金利が跳ね上がるわけですが、貸す側も借りる側も、そんなことも気にせずに喜んで貸し借りしていた。

 本来なら、貸す側には「回収できない」、借りる側には「返せない」という不安があるはずでした。しかし、戦後のアメリカでは、ほぼ一貫して住宅価格が上がり続けていた上に、1995年からは大幅に上昇していた。この住宅価格の上昇にすべてを依存して、「損をしない仕組み」を作り上げていた。つまり、借りる側は金利が上がったら家を売って、また同じように新しい家を買えばいいし、貸す側も家を売らせることで、即座に全額回収できるわけですから、いずれにとってもノーリスクだった。まさに、バブルの典型です。

神保 借金を完済するのではなく、不動産の転売が繰り返されることが前提になっていたんですね。

小幡 付け加えるならば、実はサブプライムローン市場があること自体が、バブルを作っていたんです。つまり、サブプライムで貸し続ける限り、移民や低所得者など、これまで住宅を持てなかった人々に住宅を持たせることができ、常に住宅の新規需要は増え続ける。そこでさらなる住宅価格の高騰が期待でき、バブルも膨らみ続けるという構造がありました。

神保 小幡さんはまた、住宅ローン債権を小分けにして「証券化」することで、リスクがリスクでなくなったとも書かれています。証券化をすると一見、リスクは分散するが、総体としてのリスクは変わらないように思えるのですが、実はここにも魔術のようなトリックがあるようですね。

小幡 真っ当な経済学やファイナンス理論から見ると、実体は何も変わらないのに、その資産から生まれるリスクとリターンの構造が変わるのです。例えば、「小幡が5000万円の住宅ローンを借りていた」として、「それを神保さんひとりに請け負ってもらう」という話になったとしたら、私の収入も前歴もわからず、リスクの定量化ができないから、怖くてお金を出すことができないでしょう。

 そこで、小幡からだけでなく、10万件のローンを集めてプールする。それを再び10万分の1にすると、小幡という固有名詞はなくなって匿名化される。借り手の全員が同時に破綻することはありえないので、分母が増えれば増えるほど、貸し手のリスクは薄まっていきます。さらに、プールされたローンを証券化し、小口化して切り売りすることで、少額からの投資が可能になり、さらにリスクを取りやすくなる。

 証券化の本質は、標準化による商品化です。どんな金融商品も、リスク・リターン、それに基づく格付けの3つの軸で評価されることになる。つまり、元が住宅ローンだろうが、自動車ローンだろうが、また企業のローンだろうが関係がなく、誰でもこの3つの軸だけ見ればいいから、多くの人間が個人のニーズに合わせて投資したくなる。そうなると、債券の値段は元よりも上がっていくわけです。

神保 なるほど、債券の中身とは別のところで、債券自体の値段が上がる要素が出てきたと。

宮台 ご著書に、「売ろうとしても売れないという流動性リスクが債券の最大のリスク」とあります。「みんなが買えるがゆえにみんなに売れること」が価値なのだと。例えば神保さんが「知る人ぞ知る」堅実な中小企業を運営していても、外国人投資家は目を向けない。神保さんの活動を一生懸命調べてリスクとリターンを算出して投資をできる人は、ごく少数。この場合、投資判断が間違っていなくても、急にキャッシュが必要になって債券を売ろうとしたとき、無名企業だから買い手がつかない。これが「みんなに売れない」リスクです。

小幡 いま宮台さんがおっしゃったことは、資本主義の本質にもかかわる問題です。例えば、トヨタというブランドの債券ならば売れるが、中身がいかに優良でも「神保株式会社」という名前では売れない。商品化して、格付けを受けるということは、要は「AA」「AAA」というブランドのマークを押してもらうこと。わかりやすく説明できるかが重要で、中身は問題ではないということですね。

神保 ここまでのお話を聞くと、ローンの証券化というプロセスには死角がないように思えます。誰も損をしない仕組みで、しかも自己増殖するようになっている。にもかかわらず、これが破綻して、サブプライムショックに陥った理由とは?

小幡 まず、サブプライムローン自体がおかしくなったのは、金利が上がり、住宅ローン会社が資金を調達できなくなったことが原因です。これにより住宅バブルも終わった。しかし一方、証券化商品自体はサブプライムだけじゃないから、さまざまな債権が証券化され、流動化するプロセス自体は止まりにくい。サブプライムとは違って、こちらには依然としてリスクがないように思える。しかしながら、証券化商品は「いつでも売れる」ことにポイントがあるわけだから、どんなに些細なきっかけでも、一定規模の人たちが「買わない」と言い始めたら、全体として売り逃げようと考える人が増える。プロの投資家の行動パターンは一緒なので、買うのも同時だし、売るのも同時です。そして、証券のような金融商品が高騰しすぎていた、つまりバブルだという共通認識があったからこそ、いったん壊れると、とことん壊れることになる。きっかけは、なんでも良かったんです。それが07年8月のパリバショックという形で表れた。

資本主義の本質は "先食いして儲ける"

神保 では、今回の金融破綻のきっかけとなった、サブプライムローンの崩壊について、あらためて解説していただけますか。

小幡 06年の秋に、多くのサブプライムローン会社が、金利が上がり資金調達が困難になったことで、新規の融資を停止し始めます。そうすると住宅の買い替えができなくなり、住宅価格の高騰が頭打ちになる。07年2月末頃には、ウォールストリートでは「サブプライム・メルトダウン」という言葉が飛び交っており、この時からすでに兆候はあったんです。そして同年8月、フランスの大手金融機関が米サブプライムローンの金融商品に投資して損失を出したファンドを凍結した。いわゆるパリバショックです。このことが「サブプライムローンの被害は世界中に広がるんだ」と投資家にショックを与え、みんながサブプライム以外のバブルもはじけるのではないかと考えて、一斉にパニックになり、市場からの出口を求めて殺到したんです。

 素人が訳もわからず盛り上がって作ったバブルととらえるのは間違いで、プロ中のプロがバブルだとわかった上で勝負にいって、プロ同士でチキンレースをやっていた。これは現代のバブルの特徴です。彼らにとって明らかに誤算だったのは、パリバショックでサブプライムおよび類似の金融商品に、まったく値がつかなくなったこと。どこかで売り抜けられると思っていたものが、価値がゼロになるまで売れなかったことが衝撃だったんです。

神保 プロの投資家にとっては、ほかの投資会社がバブルに乗っかって良い成績を出しているのに、「うちは堅実だから」なんて言っていたら、単に能無しだと思われてしまって、解約されてしまうと。そうして誰もがゲームに参入していくのはわかるが、一方で"チキンレース"の最後に、真面目な長期投資のつもりの人が入ってきてババをつかむ、ということになるのは問題ではありませんか?

小幡 バブルの終盤が賭場になり、ギャンブラーだけが勝手に崩れていくのなら問題はない。ところが、神保さんがおっしゃるように、真っ当な投資家や一般の人も巻き込んでしまい、またその賭場が崩壊した影響が、ほかの市場、ひいては実体経済にまで及んでしまうことは問題です。

神保 一般の人が巻き込まれるという背景に、僕は可視化の罠を見た思いがします。つまり、すべての債券が標準化され、格付けなどの形で分かりやすい指標がつけられるが、一方でその債券の実態はどんどん見えなくなっている。1億円の住宅を買った債券が、実は転売を前提とした、実質破たんしているものだということがわからないまま、何万人もの人がその証券を買っているんですから、考えてみれば恐ろしい話でしょう。実は、いずれ立ち行かなくなるのも時間の問題だったということですね。

宮台 債券はもともときちんと探索すれば内容が見えます。でも探索しないと見えないし探索コストがかかるので、一般には"見える"状態にまでアクセスしがたい。証券市場では簡単な数字が提示されることで、ディープに観察すれば見えるものとは「違うものが見える」ようになります。リスクとリターンを誰もがわかるように格付けした時点で、見る人が見ればわかったものが抜け落ちるだけでなく、新しい何かが加わる。情報の量だけでなく質が変わる。「わかりやすくなる」というより「違うものが見える」。可視化の罠です。

神保 悪く取れば、証券化にかこつけて、実は実態を見えなくする「非可視化のトリック」という意図もあったのではないか、という見方もできると思うのですが、実際はどうなのでしょう?

小幡 サブプライムの証券化を思い立った人間がそういう意図を持っていた可能性はゼロではないものの、私が観察している限りでは、騙しを行ったというより、単に無責任だったと思います。サブプライムローンの個別の債権を見ると、確かにとんでもないものもあるが、自分の金じゃないから良いか、買う人間もどうせ転売するだろう、すべてがこんな債権ではないから大丈夫なんじゃないか、と。こうした中で、金融市場が非常に不誠実になっていったことは否めません。自分で使うためではなく、人に売りつけるために買っているわけだから、実態がどうであっても構わないんです。

神保 実体経済と金融資本の本質から、今後の経済についても話を進めましょう。80年の段階で、世界の実体経済規模が10兆ドル、金融資本が12兆ドルだったものが、07年現在では実体経済が55兆ドル、それに対して金融資本が196兆ドルという数字になっています。言い換えれば、実体のない資本が膨れ上がったわけですが、現在の世界経済は、どんな局面を迎えているのでしょうか?

小幡 80年は象徴的な年で、第2次オイルショックがあり、先進国経済の成長が止まりました。つまり、実体経済の成長が頭打ちになり、ここから金融経済にシフトしていった。そして約30年後、資本主義の終焉が始まって、いよいよそれが最終局面に来ている、という見方もできなくはないでしょう。自著の冒頭にも書きましたが、資本主義というのは、要はねずみ講です。方々で「そんな本当のことを言ってしまっては身も蓋もない」と言われましたが(笑)、実際に、アメリカでは、金融市場のドンが「ねずみ講をやりました」と告白し、捕まっている。お金を株式に投資して、それを売って儲ける、つまり株式投資が最たるもので、ある企業や国の今後の成長を先食いして儲けてしまおうというのが、資本主義の本質なんです。

 となると、新たなフロンティアの発見がなければ、資本主義経済は回らなくなる。90年以降、世界はバブルの連続でした。フロンティアという意味からすると、90年代前半はソ連、東欧と社会主義の崩壊があった。社会主義の資本主義化、企業の民営化で、投資銀行はかなり儲けて、金融資本は膨れ上がりました。このブームが終わり、90年代の半ばには、アジアをはじめとする新興国経済への投資が流行する。アジアの金融危機で一旦はつまずきますが、今度は地域ではなくテクノロジーのブレイクスルーで、ITバブルというものを作り出した。これが崩壊した後、9・11、エンロンショックなどを経て、03年以降は、世界経済の中で最後のフロンティアの食い尽くしが始まり、アフリカなどの、市場化されていない自給自足経済を、資本主義市場経済に取り込んでいった。

 ところが、金融市場というのは将来の成長も織り込んで膨らんでいくから、実体経済よりもはるかに伸び率が大きい。したがって、実体経済のフロンティアがなくなることで投資機会がなくなり、お金が余ってくるんです。そうなると、金融経済の中でグルグルとお金を回すことでバブルを作り、投資機会を得るしかない。私は、資本の自己増殖本能による「キャンサーキャピタリズム(ガン化した資本主義)」と呼んでいるのですが、これが金融経済の行き着く先であり、今回の金融バブルの背景です。そういう意味では、金融資本主義最後のバブルであるといえるかもしれません。

宮台 なのに、未来への「みんなの期待」を先取りするがゆえの〈バブル化〉も、資本主義の外側が消えるがゆえの〈フロンティア消失〉も、両方とも回避できない。だから、金融資本主義化も、金融資本主義化の終焉も必然だと、小幡さんはおっしゃる。

神保 金融資本主義の終焉ということになると、イコール資本主義の終焉、ということになりませんか? フロンティアは、もうないんですよね。

小幡 雑誌やテレビでも、「最後は救いのある締め方をしてください」と言われるけれど、論理的に詰めていくとそうなります(笑)。しかし、みんなが世界経済は崩壊すると言っている中で、人がバタバタと死んでいくわけでもないし、景気が悪いとボヤきながらも、そこそこ暮らしている。これが不思議なところで、実体経済はそこまで崩れていないんです。つまり、金融資本主義がなくなっても、経済がなくなるわけではない。

 しかし、金融資本主義がなくなり、次にどんな経済が生まれるかと考えると、これが難しい。今後の経済においては、信頼と関係性がキーワードになるでしょう。しばしば「公私混同はせずに、ビジネスはビジネスライクにいこう」「日本はベタベタしていて変だ」などと言いますが、よく考えれば、公私混同こそが真っ当なのではないでしょうか。世の中には、1500億円の詐欺をはたらく人間がいても、当然殺人よりは軽い刑になるが、多額の損失を出した被害者の人生は終わってしまうし、自殺者も出ます。(金融機関には)公私混同して人生を懸けてもらわない限り、安心してお金を預けることはできないんです。公私混同はおかしいとする考え方自体がおかしくて、これこそ、本来は人の営みである経済をゲーム化して、失敗してもいいように、実際の生活と意図的に分離しているのではないかと。

投資における公私混同の有益性と社会的適応

宮台 公私混同とは面白い。アメリカのコミュニティバンクは伝統的に「儲かりそうだからカネを貸す」のでなく、何で儲けているのかを見て「地域に役立ちそうだから」「周りの人間が幸せになりそうだから」貸す。リスクやリターンの標準化された指標にとどまらず、近くにいないと意味を持たない情報や社会的利得を評価します。これが公私混同だとすると、内容を精査せずに「コネがあるから貸す」新銀行東京も別の意味で公私混同です。むろん小幡さんが推奨されたのは前者。単に儲かるから貸すのでなく、活動がソーシャルだから貸す。でもソーシャルだからといって「みんながわかる」という意味でのパブリックじゃない。かといって「身びいき」でもない。新銀行東京が"泥棒"だとすると、コミュニティバンクは"共栄"的。むろん、身内だけの"共栄"こそ"泥棒"だから、右翼国際主義みたいに「諸パトリの共存」を目標とするかどうかです。

小幡 実は、アメリカで尊敬されている投資家は、公私混同をしているんです。ウォーレン・バフェットは、全人生を懸けて投資していて、全資産を会社(バークシャー・ハサウェイ)の株に投入しているし、遺産はビル・ゲイツのビル&メリンダ・ゲイツ財団ほか、チャリティー団体に寄付すると発表している。またジョージ・ソロスも、金の亡者のように思われるかもしれないが、自分の金に全人格を乗せて投資を行っています。つまり、公私が一体化している人だけが信頼できる。一方でそのほかの投資銀行やヘッジファンドの多くは、人の金を借りて、損失を出しても知りませんという状況です。今回、欧米の銀行が大きな損失を出した時に、「自己投資ではなく、お客さんから預かったお金からの損失なので、うちは大丈夫です」という声明も出ましたが、これはまさに信頼関係を踏みにじる行為ですね。みんなが「儲かる」という一点でつながっていたから、儲からなくなれば、関係は崩壊するんです。

宮台 小幡さんのおっしゃる「公私混同」はソーシャルコミットメントです。「自分としての自分」の外側にあるものも「自分の一種」であるかのように見なして行動する。「他人の痛み」を「自分の痛み」と見はなす選好構造です。自分が末長く儲けるのに必要な他人との間のプラットフォーム(共有財)というだけじゃ、小幡さんの指摘する「他人のカネだからいいや」問題は克服できない。社会学者パーソンズも大恐慌から同じ教訓を引き出しました。彼は、価値コミットメントは生得的でなく社会環境が埋め込むものだと考え、社会環境全体の設計を企図するニューディーラーを擁護します。「社会成員が利他性を自然感情だと見なすように刷り込むにはどうすればいいのか」を考えよということです。

神保 資本の自己増殖により、金融資本主義が崩壊したかのように見える。しかしながら、これまで幾度もバブルの崩壊を経験しながら、のど元過ぎれば......という形で繰り返してきた経緯があります。ここで膿を出し尽くしたら、経済は公私混同をキーワードにした新しいフェイズに移行するのか、それともこれまでのようにバブルと崩壊を繰り返すのか。あらためて、小幡さんのお考えを訊かせてください。

小幡 両方ありうるし、難しい問題なのですが、思い切って言えば、やはりアメリカ型の資本主義は終わると思います。現在は、大暴落した株や証券化商品から資金が逃げ出し、アメリカ国債に殺到して、国債が大きく値上がりしています。しかし、同時に、アメリカ国債のCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)、いわば倒産保険が値上がりしている。つまり、アメリカ国債が不払いになる、デフォルトするという予想が高まっているにもかかわらず、同時に大きく値上がりしているということで、明らかにおかしく、国債という最後の砦がバブルになっているんです。これが崩壊したら終わりで、世界の基軸通貨であるドルも終焉を迎える。ユーロも危ないし、円が基軸通貨になることも考えづらいから、結局はドルを選ぶしかないだろうという予測が一般的ですが、どの通貨も信用できない、という状況が訪れても、理論的にはおかしくないんです。そうした時に、各国の経済はブロック化して、本当に信頼できる人としか取引ができなくなる可能性がある。

 のど元過ぎれば、という話であれば、アメリカ的なスタイルが終わったとして、これからの世界をリードするのは、日本になるのではないかと思います。日本はすでにバブルの崩壊を経験していたから、今回のバブルに入らなかった。宗教テロリズムについても、9・11に先行して、オウム事件が起こっている。さらに少子高齢化は最高に進んでいて、都市の犯罪や子どもの犯罪も、世界で最も複雑化している。よく考えると日本は世界の最先端なのです。オタク文化も含めて、日本は異端であるからこそ価値があるということからすると、世界が日本的になることは想像しづらいけれど、良くも悪くも日本の状況が世界をリードするという時代が来るのではと。経済回復のシナリオとしては、中国やインドなどの新興大国は、傷が浅く長期の成長が見込めるので、投資が集中する。例えば中国バブルをきっかけに、世界経済がもう一度復活する、ということはありえるでしょう。次に来る資本主義が、日本的なウエットさを持ったものなのか、あるいは中国的な全体の統制を重視したものになるのかはわからないが、いずれにしても現在とは別のスタイルになるだろうと思います。

宮台 見込んだ通り、小幡さんは面白い方です(笑)。確かに、日本は世界に先んじていろんな現象が起こります。「近代の否定ではなく、近代を相対化する近代主義が大切だ」という昨今の最先端思想も、もともとは亜細亜主義がルーツです。日本が先んじるのはなぜか。地域性や宗教性や階級性の縛りがないからです。

 地域性からいうと、維新後の近代化は集権的再配分に基づきます。江戸時代のような独立採算ユニット(藩)を認めず、中央から資本主義を操縦しました。だから「世界で最も成功した社会主義国」と呼ばれてきました。でも縛りのなさは功罪あります。中央から再配分できなくなったとき、人々を包摂する地域性の不在はアノミーをもたらすからです。

 アメリカでは宗教的良心が、ヨーロッパでは階級的連帯が、中国では血縁的包摂が、縛りであると同時に、包摂のよすが。日本はこれら縛りがないので高速で大規模に近代化を遂げたけど、逆に地域的包摂も宗教的包摂も階級的包摂も血縁的包摂も効かないので「カネの切れ目が縁の切れ目」になりやすい。地域も宗教も階級も血縁も相続財産ですが、「よくも悪しくも」なのですね。相続財産を欠く日本は、空洞化しやすいが、実験もしやすい。

 僕が思うに、「アジアという公私混同」が重要です。インドや中国は長期的に投資対象になりますが、彼らの経済成長がもたらす資源負荷や環境負荷はインド人や中国人だけでなく世界中を苦しめます。日本は環境対策技術でこそ欧州各国に抜かれたけど、エネルギー利用の効率化技術は世界最高水準。こうしf技術はインドや中国に売れるだけでなく、インド人や中国人の利益になります。だから「同じ亜細亜じゃないか」という公私混同から出発する壮大な構想は「あり」です。

 いずれにせよ、1、資本主義に代わる枠組みはない。2、資本主義の市場均衡は人々の選好構造に依存する。人々が利己的ならば資本主義は「非社会的」均衡を、人々が利他的ならば「社会的」均衡をもたらす。3、だから世界の存続は「いい人たちが営む資本主義」に移行できるかどうか次第。4、それはパーソンズ的な意味での「埋め込み」が成功するか次第。というわけです。日本には「いい人」を埋め込むための文化的リソースはあるかもしれない。

(『マル激トーク・オン・ディマンド 第403回』を加筆、再構成して掲載)


『マル激トーク・オン・ディマンド』
神保哲生と宮台真司が毎週ゲストを招いて、ひとつのテーマを徹底的に掘り下げるインターネットテレビ局「ビデオニュース・ドットコム」内のトーク番組。スポンサーに頼らない番組ゆえ、既存メディアでは扱いにくいテーマも積極的に取り上げ、各所からの評価は高い。(月額525円/税込)


宮台真司
首都大学東京教授。社会学者。代表作に『終わりなき日常を生きろ』『サイファ覚醒せよ!』(以上、筑摩書房)など。


神保哲生
ビデオジャーナリスト。ビデオニュース・ドットコム代表。代表作に『ツバルー地球温暖化に沈む国』(春秋社)など。


小幡 績
東京大学卒業後、大蔵省入省。99年退職。01年ハーバード大学大学院博士課程修了。一橋経済研究所専任講師などを経て現職。


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