チャート上位は同じ顔……【オリコン】ランキングが“変われない”理由
2020年1月18日 08:00
2016年9月 1日 21:00
2015年には「NHK紅白歌合戦」に4年ぶりに復帰して話題となった歌手・小林幸子。
卓越した歌唱力を活かして“ボカロ曲”に挑戦したり、コミケに参加したりと新境地を開拓し、見事に「紅白」復活を果たした。
最近も、人気オンラインゲーム「ファンタシースターオンライン2(PSO2)」のゲーム内のライブに登場するなど注目を集めているが、その復活の背景にあるものとは――。
天才少女歌手として10歳でデビューし、『おもいで酒』や『雪椿』など数々のヒット曲を世に放ち、「紅白」に通算34回出場を果たすなど、輝かしい実績を誇る小林。
2014年には歌手生活50周年を迎えたが、その一方で13年に自ら「ニコニコ動画」にカバー曲を投稿し、3日間で100万回以上のアクセスを記録し、ボカロ曲をカバーした『さちさちにしてあげる♪』や『千本桜』を世に放ち音楽チャートを賑わせるなど、常に新しいことに挑戦するチャレンジスピリットも忘れない。
小林は、「正直、はじめは『ボカロって何ですか?』って感じだったのですが、色々と勉強させて頂く中で、『ボカロ曲』にも興味を持ちはじめて。ただ、実際に歌ってみると、『ボカロ曲』はコンピューターで作成した曲なので、普通ではあり得ないような音階やメロディーラインが出てきたり、ブレスする所がなかったりするんです。(人気ボーカロイドの)初音ミクさんは36節ある曲でも、1回も息継ぎなしで歌っちゃうわけですよ。でも、人間は息をしないといけない。私もプロの歌い手として、『ここでは切れない!』と思って歌うんですけど、呼吸困難になったりもしました(笑)」とボカロ曲との出合いを振り返る。
今では、“演歌歌手・小林幸子”として、“ラスボス”として世代を超えて愛される歌手となったが、自身の類まれなるチャレンジスピリットについて小林は、「元々の性格なんですよ。基本的に、何かやっている方が楽しいなっていう。『自分はこうでなくてはいけない』とか、『演歌を何年も歌っているから』とか、そういうことばかりを考えるよりも、『楽しんで行かなきゃ!』って。自分の“許容量”を超えていくというか、色んなことをやらせて頂くのは楽しいですしね。それに元来の“オマケ精神”もあると思います」と語る。
“オマケ精神”の原点は、幼い頃に見た母の背中にあるという。
「私は生まれが新潟で、両親が肉屋をやっていて。母がお惣菜担当で、コロッケとか、メンチカツとか、ポテトサラダとかを作って売っていたんです。お客さんが『ポテトサラダ100gください』って注文した時、母はお惣菜を1度計った後、かならず一はけ分を上乗せして、『オマケしておきますね』って小さな声で言うんです。そうすると、お客さんがすごく喜んでくださって。子供心に、そうした母とお客さんとのやりとりを見ていて、『オマケをすると喜ぶんだな』って…。この仕事をはじめてからも、『みんなが喜んでくれる“オマケ”は何かないかな?』というのが、常に頭の中にあって。そうした“オマケ精神”が、『紅白』での(巨大)衣装や色んなことに挑戦させて頂くことにも繋がったんだと思います」
今月には国内400万ID突破のセガゲームスの人気オンラインゲーム「PSO2」に“地球親善大使”として登場。
ゲーム内でライブを行うなど、また新たな試みにも挑戦しているが、「新潟や台湾の大使はやらせて頂いたことがあるんですけど、まさか自分がゲームの中で“地球親善大使”になるとは思いませんでした。ゲームの中でライブをやっている小林幸子がいるというのは、面白いですよね」とハニカむ。
その笑顔の裏には、「自分の“許容量”を超えて何事も楽しむ」という“幸子イズム”が垣間見える。
もちろん、そうした“幸子イズム”を支えているのは、天性の才能と経験に裏打ちされた、聴き手を魅了してやまない歌唱力だ。
「私もこの50年間、演歌だけではなく、歌謡曲やスタンダードナンバー、ジャズ、シャンソンと何でも歌ってきましたから。クラブやキャバレーでお客さんに合わせた曲を歌ったこともありましたし、米軍のキャンプ場で洋楽を歌ったこともありますし。だから(ボカロ曲にも)抵抗はなかったですね。50年間の歌手生活の中で培ってきた引き出しを開けて、歌わせて頂くのは達成感もありますし」
小林幸子というと、演歌や若者たちの間ではボカロ曲のイメージが強いが、すでに20年近く前に今をときめく人気ゲームとのコラボも果たしている。
昨今、世界中のファンを魅力しているスマートフォン向けゲームアプリ「Pokémon GO」。
その劇場版アニメ映画の第1弾である98年公開の「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」のエンディングテーマ『風といっしょに』を歌っているのだ。
「ちょうど、当時ポケモンの主題歌を聴いていた方たちが20代、30代になっていて。しょこたん(=中川翔子)からは“神”扱いされていますしね。初めて会った時、いきなり泣かれてビックリしましたけど(笑) 現場でもスタッフの方から『僕、幸子さんのポケモンの歌で育ちました』、『私、子供の頃に“風といっしょに”をよく聴いていました』とよく声を掛けて頂いて。ありがたいことですね」
50年間を超える歌手生活は、決して平坦な道のりではなかった。
時に逆境や挫折も味わっただろうが、そのたびに常に“前向きに自分の許容量を超えて何事も楽しむ”精神で乗り越えて来た。
長い歌手生活で培った“幸子イズム”こそ復活の原動力と言えるだろう。
小林幸子(こばやし・さちこ)
1953年12月5日、新潟県出身。64年に天才少女歌手として10歳で『ウソツキ鴎』でデビュー。79年にリリースし、200万枚突破の大ヒットとなった『おもいで酒』をはじめ、『とまり木』、『雪椿』など数々のヒット曲を世に放つ。「NHK紅白歌合戦」には34回出場し、「日本レコード大賞」の「最優秀歌唱賞」など数々の歌唱賞を受賞。2013年に芸能生活50周年を迎えて、最近では若い世代からも高い支持を集めている。
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