『「森進一ベスト~歌手生活50周年記念盤~」』(ビクターエンタテインメント)
「まるで切れた凧」と揶揄されている剛力彩芽(25)。実業家・前澤友作(42)との恋はエスカレートする一方。剛力の所属事務所「オスカー」はタレントの危機管理能力を問われているが、既にお手上げの状態という。
「事務所が25歳まで恋愛禁止を掲げた結果、解禁になった途端、一気に恋に弾けてしまったのが剛力。恋愛はともかく、せめてSNSでの余計な発信をやめさせるべきですが、前澤は芸能界の人間ではないうえ、発信能力もある。ヘタに事務所が介入すれば、そのまま事務所の話を発信されてしまう危険を伴う」(芸能関係者)
昨年は武井咲(24)がEXILEのTAKAHIRO(33)とデキ婚。一説には「結婚するにはデキ婚しかなかった」とまで言われている。今はタレントを縛れば逆に反発を買う恐れが生じ易い。そんな中、プロダクション経営の難しさを如述に垣間見せたのが剛力の恋愛騒動である。
芸能プロの歴史は1960年に遡る。ジャズミュージシャンだった故・渡辺晋氏が、それまでタレントに仕事を斡旋し出演料の一部を取るだけだったプロダクションを変革。タレントの収入や福利厚生をしっかり確保して芸能人にも市民権をという目的で今のプロダクション形態が作られた。
通称「ナベプロ」は歌手だけでなく作詞家、作曲家も傘下に収め、系列会社も設立。後に「ナベプロ王国」と呼ばれるまでの巨大事務所を作り上げた。クレージーキャッツ、ザ・ピーナッツを皮切りに今も現役で活躍する森進一、布施明、沢田研二らを輩出した。ナベプロ出身の中尾ミエにかつて話を聞いたことがある。
「福岡から上京してきた私に社長は自宅を寮のようにして居候させてくれた。家族の一員のように生活できたことは今でも感謝しています。給料の管理もしてもらい、将来の為に貯金してくれた。その貯金で家を建てることもできました。年頃になりボーイフレンドができると、外は危ないと社長の家がデート場でした」
ナベプロはタレントだけでなく社員にも家を建てることを推奨。その為に土地を押さえるという財テクにも優れていた。土地を所有したことで思いがけない珍事に出くわしたことがある。ナベプロ所属のタレントの取材を巡って、住んでいた家の近くで聞き込みをしていた。近所の聞き込みは取材の基本。ところが、どこの家も「知りません」とにべもない。実は近所の家の大半はナベプロのタレントや幹部の家だった。
取材は事務所に筒抜けだった。
ナベプロの影響を受け、後発の大手プロも社長宅の居候だけでなく、マンションを借り上げて寮にしていた時代もあった。
人気タレントを多く抱え、「ナベプロのタレントなくして番組はできない」と言われるまでに力を持ったナベプロは番組制作にも進出。日テレを中心に番組を制作し、テレビ界を牛耳るまでになった。現在に照らし合わせれば、「吉本興業」など大手事務所が番組制作に関わるようになった原点である。
週刊誌などのメディアも最大の取材対象はナベプロ。全盛時のナベプロは有楽町の雑居ビルに部屋を借りていた。何度となく事務所を訪ねたことがある。雑然と並ぶ机。人息とタバコの煙が部屋中を循環している。片隅の机で取材していると、お客など構わず大声が飛ぶ。まるで喧嘩しているようだった。ナベプロ出身で後に巨乳軍団「イエローキャブ」を設立した野田義治氏からこんな話を聞いた。
「芸能界は声が大きいほうが勝ち。たとえ間違った意見でも大きい声のほうが正しくなる不思議な世界。大は小を兼ねるようなもの。自然にマネージャー連中は声が大きくなった。その癖が続いているから、タレントに対しても大声で怒ってしまう(笑)」
スキャンダルの取材等で事務所ともめると、電話でも大きな声で怒鳴ってくるマネージャーもいた。声に圧倒され、聞くことも聞けずにいた苦い経験もある。
大声はひとつの武器になった。タレントが増えればマネージャーらスタッフも増える。マネージャーはタレントを育てながら、自身の腕も磨く。タレントによってマネージャーを育てたのがナベプロだった。
晋氏がやがて他界。奥さんの美佐夫人を中心に二人の娘が後を引き継いでいるが、ナベプロの凄さはそれだけではない。ナベプロで腕を磨いたマネージャーがそれぞれ独立。ドリフターズが所属する「井沢オフィス」。サザンや福山雅治のいる「アミューズ」ら現在の芸能界をリードする人物が独立して事務所を経営しているが、暖簾分けのように出身母体であるナベプロに対しての恩義は欠かさない。友好関係を続け、仕事の協力だけでなく、いざとなればナベプロのために一肌脱ぐ。ジャニーズから独立した元SMAPの3人と飯島三智氏は未だにジャニーズとは犬猿の仲。同じ釜の飯を食った仲間との絆を大事にするナベプロとは大きく違う。
タレントの管理、育成法でもナベプロの伝統は今も生きている。
次回はナベプログループのタレント管理と売り出し方を紹介する。
(敬称略)
二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。