1964年に製作され、アカデミー賞5部門を獲得したディズニー映画の名作『メリー・ポピンズ』。空から飛んできた乳母のメリー・ポピンズがロンドンの銀行家ジョージ・バンクスの一家に現れ、娘ジェーンと息子マイケルをはじめ人々を不思議な体験に巻き込むというファンタジーであり、現在、それを原作とするミュージカルが日本で上演中だ。会場ではパンフレットが販売されているが、そこに収録されるはずだったある原稿が“お蔵入り”になったという。その内容と掲載できなくなった理由とはーー。『ディズニーの魔法』(新潮新書)などディズニー関連の著書を数多く出版している早稲田大学教授・有馬哲夫氏が緊急寄稿!
今年3月25日から東京の東急シアターオーブでミュージカル版『メリー・ポピンズ』が上演されている。主催・企画製作はホリプロ、東宝、TBS、梅田劇場。ほかにも放送局、カード会社、証券会社などが共催に名前を連ねている。
特筆すべきは、ディズニー(正式にはウォルト・ディズニー・カンパニー)主催ではないことだ。もちろん、直接の原作になった映画の著作権はディズニーのものだから、この点では関係している。だが、『ライオンキング』や『美女と野獣』などのように日本ではおなじみのディズニー・劇団四季のコンビではない。放送局もディズニーと関係が深い日本テレビではなく、TBSだ。協賛企業のひとつにディズニー★JCBがあるが、これは日本のカード会社であって、ディズニーに莫大なブランド使用料を払ってはいるが、ディズニーの系列会社ではない。つまり、ディズニーの作品を非ディズニー企業や劇団がプロデュースし、上演しているのだ。
ミュージカル『メリー・ポピンズ』公式サイトより。東京公演は渋谷・東急シアターオーブで5月7日まで上演中。その後、大阪に巡回し、梅田芸術劇場メインホールにて5月19日~6月5日に上演される。
そもそも、このミュージカル版『メリー・ポピンズ』は、イギリスをはじめとするヨーロッパの劇団がディズニーに高額の著作権使用料を払いつつも独自にプロデュースしてヒットさせたもので、アメリカ発でもディズニーの手になるものでもない。これは、とてもいいことだと私は思っている。多くの文化的要素が入り込み、国籍を異にする人々の創意工夫が反映されたものになるからだ。
原作を大胆に改変したW・ディズニーとトラバース夫人との対立
このように、このミュージカルは、プロデュースや権利関係のことも複雑なのだが、原作関係も相当複雑だ。現在、日本で上演されているものの直接的な原作は、ウォルト・ディズニー・プロダクションズ(ディズニーの当時の社名)が1964年にリリースした映画『メリー・ポピンズ』(なぜか「Mary」を「メリー」にしている。正しくは「メアリー」)だ。これは、実写・アニメーションの合成映画だというほかにミュージカル仕立てになっているところが特徴である。ミュージカル映画といっていい。
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一方、この映画にも原作があって、パメラ・トラバース夫人の児童文学の名作『メアリー・ポピンズ(Mary Poppins)』がベースになっている。だが、一方は活字の本であるのに対し、もう一方は、アニメーションと実写の合成とはいえ、ミュージカルだ。したがって、映画版をプロデュースしたウォルト・ディズニーは、かなり大胆に設定やストーリーやキャラクターの属性(例えばメアリーは、原作ではおばさんだが、映画では若い女性)を変えている。これは、メアリー・ポピンズ(本のタイトルであると同時に主人公の名前)の生みの親トラバース夫人からすれば、とんでもないことである。
彼女にとって、何よりも許せないのは、自分が創作したのではないところで、観客が喜び、感動することだ。当然、映画の製作中、トラバース夫人とウォルトは衝突を繰り返すことになる。それを、商魂たくましいディズニーは『ウォルト・ディズニーの約束』という映画にしている。転んでもただでは起きないのだ。
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トラバース夫人、というより中立の立場から一言いわせてもらうと、この映画ではトラバース夫人が偏屈で頑固で変わり者であるかのように書かれているが、実際にはウォルトのほうが頑迷でエゴイスティックでエキセントリックな人間だった。トラバース夫人は自分の父の思い出がこもっている自伝的作品をいいようにいじられたのだから、映画で描かれたように不機嫌に振る舞って当然なのだ。
アイルランド、父親への愛憎……トラバース夫人とウォルトの共通点