――1890(明治23)年に明治天皇より“下賜”された、わずか315文字の文章で構成された「教育勅語」。要は「日本の教育はかくあるべし」との“お言葉”であるが、いま、この教育勅語ががぜん注目を集めている。戦後教育の中では長らく、「戦後日本を誤らせた元凶」といった扱いさえ受けてきたこの短文にはしかし、どのような意味があり、戦前日本においてはどのように受容されていたのか? その実態に迫る。
森友学園系列の幼稚園で、教育勅語を唱和させられる幼稚園児たち。(テレビ東京の報道番組より)
日本社会全体の“右傾化”が取りざたされるなか、戦前・戦中における国民教育の根幹にあったとされる「教育勅語」が注目を集めている。2017年2月には、朝日新聞の報道によって、大阪府豊中市の国有地払い下げ問題に端を発する“森友学園騒動”が発覚。この森友学園系列の幼稚園である塚本幼稚園では、園児たちが毎朝朝礼で教育勅語を朗唱していたことも判明、ニュース番組では実際の唱和シーンが映像で映しだされ、その時代錯誤っぷりが物議をかもした。
この騒動にからみ、政府は3月、民主党衆議院議員からの質問主意書に回答する形で、「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導」は「不適切」としながらも、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定。朝日新聞報道によればこのニュースに対し、日本宗教史が専門で上智大学教授の島薗進氏がコメントを寄せ、「個々人の命が軽んじられた歴史を学ぶためなら必要かもしれないが、教育現場で一方的に教え込む権威主義的な使い方をされかねない。日本の未来に関わる判断であり、時の政府の都合で閣議決定などすべきものではない」とした。(17年4月1日付「朝日新聞」より)
しかしこうした一連の流れと呼応するかのように、一部保守主義者の間で、「教育勅語」の再評価・復活を目論む動きも出ている。森友学園前理事長の籠池泰典夫妻との関係性を問われた稲田朋美防衛大臣は、3月上旬の参議院予算委員会の答弁で、「教育勅語」について「例えば道徳、それから日本が『道義国家』を目指すべきであるという、その核について、私は(評価を)変えておりません」と述べている。