サイゾーpremium  > 連載  > 社会学者・橋爪大三郎×宗教学者・島薗進「現代日本と宗教の関係」
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『人類の衝突』8月17日発売。予約受け付け中。

 なぜ、宗教と文明は対立するのだろうか? そして、日本は何を考え、どう立ち振る舞うべきなのか――。

 日本を代表する宗教学者と社会学者の泰斗による対談『人類の衝突』が「月刊サイゾー」に掲載されたのは2015年3月号。当時、イスラム国による日本人拘束事件は、最悪の結末を迎えた。あれから1年半以上経った現在、宗教の対立に、解決の道筋は見えていない――。

 ここでは、「月刊サイゾー」に掲載された連載を大幅に加筆し、注釈を加えた書籍化を記念し、第一回を特別に無料公開としてお届けしたい。


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(写真/江森康之)

イスラム教をめぐる昨今の事件は、日本にとって多くの問題を投げかけることとなった。そもそも、日本の宗教観は諸外国とはまったく異なっており、我々日本人には理解し難い部分も少なくはないはずだ。そしてさらに2015年はオウム事件から20年を迎える。こうした中、現代の日本社会と宗教の関係について、我々はどのように考えるべきなのだろうか?

 人間の文明は、なぜ互いに衝突し合うのか――。社会学、そして宗教学の重鎮2人による「現代日本と宗教」というテーマを予定して始まったこの対談、"宗教"という概念の性質上、話題は"人間と文明""国家とイデオロギー""文化と民族"といった幅広い範囲に及んだ。

 日本における宗教学の第一人者・島薗進と、社会学の第一人者・橋爪大三郎。この日が事実上の初顔合わせだったが、同じ1948年生まれの2人は、宗教学と社会学という別の学問領域から、実は同じところを見ていたようだ。「日本と世界の文明はどのように構成され、21世紀の今、どこに向かおうとしているか」というテーマを、縦横無尽に語り合う。文明の構造を知らなければ、なぜ文明が相争うのかも説明できない。イスラム国によるテロや、日中韓の関係悪化を考えるためにも、その考察は欠かせないだろう。数回に分けてお送りするこの対談は、両氏が共同で作り上げた、21世紀を生き延びるための「文明論の概略」である。

島薗 橋爪さんは非常に大きい世界史的規模で宗教について考えていらっしゃるので、今日はそういったまなざしで日本の世相を見るとどう見えるのかな、ということを伺いたいと思っています。

 社会学が全体的にデータの取れる領域をこぢんまりと実証する方向に向かいがちな中で、橋爪さんのなさっている仕事は、社会学が本来持っているべき視野を回復するという意味で、私はとても共鳴しているんです。

橋爪 それは恐れ入ります。

 例えば、社会学者のマックス・ウェーバーはひと昔前、日本で評価が高く、ウェーバリアンといわれる研究者が大勢いましたが、今では時代遅れということになっています。

 当時、ウェーバリアンたちがなんと言っていたかというと、「日本は、ウェーバーの掲げる近代化のものさしに従って、しっかり近代化しなければいけない」といった主張だった。そうこうするうち「日本は先進国に成り上がって、高度資本主義やポストモダンの段階になったのだから、日本は実ははるかに進んでいるのだ」と、80年代から言われだした。

 ただ、ウェーバーは別に近代化論をやろうとしたのではない。ウェーバーが優れていたのは、「世界はまだらだ」と言ったことだと私は思います。キリスト教文明は絶対でも普遍でもなく、単なる「ワンオブゼム」にすぎない。世界にはユダヤ教も、イスラムもヒンドゥーも、儒教文明もある。そういう人類社会の多様性を、ウェーバーは一番描いてみたかったんだと思います。

島薗 確かに日本の社会学ではウェーバーの近代化論の影響はとても大きかったと思いますが、宗教倫理の図式を整理し直すという話はウェーバー専門家の中で終わってしまって、世界の文化の違いが深刻な問題として残り続けるという現在の問題意識については、学問研究が十分に進んだとは言い難いような気がします。

 それは世界においてもそうで、やはり異文明の研究というのは文献学的な土台が必要になることから、なかなか取り組めない。西洋の学者は、インドや中国・東アジアの文明については、少なくとも古典文献から読むという姿勢はなかなか身に付いていないようです。

 そういった中で、日本人は西洋人とは違うという自意識を持ってきていますから、それを踏まえれば、日本的な観点から世界文明を比較し、それが私たちの生活にどう影響しているかを考察するという視座が出てきてしかるべきだと思います。そのあたりを今日はじっくりお話ししたいですね。

橋爪 そうですね。

島薗 そう考えたときに、ひとつの大きな基盤となる考え方は、冷戦後の社会は世界がいくつかにブロック化するということです。

 これは、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』(邦訳98年/集英社)などでも似たような議論がなされましたが、かつて冷戦時代は東対西という分裂があった。つまり「西=自由主義陣営で個人の自由を重んじる世界」と「東=共産主義陣営で集団的な秩序を重んじる世界」という枠組みがあったわけですが、冷戦終結後はそれに代わって、各文明圏が各々の宗教的伝統にのっとって社会を構成するようになっていった。

 一般的にはそのように理解されているし、私自身もそれに近い考えを持っていますが、それでは、日本は儒教と大乗仏教の組み合わせにより構成される東アジア文明圏に属するのかというと、ハンチントンは中国と韓国は儒教文明だが、日本は独立した別の文明であると提唱していた。あの議論には政治主義的な要素もうかがえるので怪しい箇所もありますが、確かにうなずける部分はあると私も見ているのですが、いかがでしょうか。

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