――「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の戦前の皇族にもスキャンダルはあった? 当時は一部でしか知られていなかった、あるいは完全に秘されていた天皇、そして皇族たちにまつわるさまざまな噂話、風説、醜聞の数々を追う!
今上天皇に連なる天皇家と、15宮家の系譜
戦前皇族の多くを占めた伏見宮系の皇族たちは、南北朝時代の北朝3代崇光天皇(在位:1348~1351年)まで遡らないと、今上天皇につながる血統とは交わらない。
※略した代数は、天皇は皇位継承の代数、皇族は当主の代数を示す。
近年の眞子・佳子フィーバーや、「週刊文春」が2007年に報じた、高円宮家の長女・承子女王によるイギリス留学中の“奔放mixi”騒動など、皇室の人々に関するニュースは今日でも、ある種のセンセーションと共にスキャンダラスに報じられることが多い。では、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」であった戦前には、そうしたスキャンダルは存在しなかったのだろうか? もしあったとするならば、どのような事件がどう報じられていたのだろうか? 近現代の皇室事情に詳しい、静岡福祉大学の小田部雄次教授に話を聞きながら、考察していくこととしよう。
「何をスキャンダルととらえるかにもよりますが、お騒がせ事件程度のものから襟を正すべき事柄まで、皇室にまつわるニュースは、戦前から国民の関心事のひとつではありました。ただし、千田稔さんが『明治・大正・昭和 華族事件録』(新潮文庫)で書いているように、明治期にかつての公卿と諸侯を統一して創設された同族集団である『華族』の場合は人数も多く、殺人、詐欺、情事、反社会行為、法令違反など数多くの事件が報道されているのですが、『皇族』──すなわち『天皇の血統である皇胤と皇胤男子の配偶者』に関しては人数も多くなく、また不敬罪に問われる可能性もあったため、当時においては、いくつかの事件がスキャンダルのように扱われた、という程度だったと思います」(小田部氏)
場合によっては「スキャンダルのように扱われた」という皇室関連の話題。その最たるものは、大正天皇に関する一連の噂話だろう。
「大正天皇の“奇行”については、原武史さんの『大正天皇』(朝日文庫)に数多く紹介、分析されていますが、その中でも最も一般に知られているのは、『遠眼鏡事件』でしょうね」(同)
元来病弱で、“精神薄弱説”などが巷間まことしやかに語られていた大正天皇。その“根拠”のひとつとしてよくいわれるのが、帝国議会の開院式で詔勅を読みあげた大正天皇が、その後持っていた詔書を筒状に巻いて、遠眼鏡のように覗いたとされる事件。しかし、このエピソードについては、その時期や目撃した人物など多くの点が不明であり、実際にあったかどうかよくわからないところがあるのだという。
「大正天皇は漢詩に才能を発揮するなどしていますし、知的な障害を抱えていたなどというのはあり得ないでしょう。遠眼鏡事件が本当だとしても、彼の几帳面な性格を表したもの──すなわち、覗くことによってきっちり丸まったかどうかを確かめようとした、ととらえることも可能です。いずれにせよ当時は皇室への批判や憎悪を語ることが許されない時代だったので、噂話の域を出ない“奇行”を誇大に吹聴することで、一般国民も憂さを晴らしていたという面もあるでしょう。『遠眼鏡事件』が語られるようになったのは、そんな庶民感情の表れだったのかもしれません」(同氏)