――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、芸能報道を斬る。男とは、女とは、そしてメディアとは? 超刺激的カルチャー論。
『アラシゴト』(集英社)
芸能人、スターに何を求めるか。若い人たちは、アイドルという存在に、何を見ているのか。
今まで飽きるくらいに繰り返し議論されてきたテーマです。それはすなわち、「答えが確定しないというより、時代時代によって変わるため、変わるたびにその議論が起こる」ということなのかもしれません。
意識したり言語化できるほどには明確になっていないけれど、人々が熱烈に求めている『何か』。それが、アイドルを含む芸能人に投影される。だからこそ、一世を風靡した人に対して「時代に選ばれた」などという表現が使われてきたのでしょう。
その意味で、80年代後半から90年代はじめまで、バブル経済と歩調を合わせるかのように、飛ぶ鳥を落としてバリバリと食ってしまう勢いだったユーミンこと松任谷由実が「美空ひばりさんが日本の復興の象徴なら、私は繁栄の象徴だと思う」「私が売れなくなるときが来るとしたら、都市銀行がつぶれるような時代になったとき」というコメントを残したのは、その嗅覚の鋭さも含めて感服するよりほかありません。
グループ単位の男の子アイドルといえば、私がリアルタイムでその全盛期を知っているのはシブがき隊が最初になります(たのきんトリオは、「アイドルグループ」ではなく、田原俊彦、近藤真彦、野村義男の3人のアイドルをまとめた“総称”みたいな感じなので、「グループ」からは除外)。で、今の若い男の子グループで、かろうじて知っているのは、Kis-My-Ft2、Hey!Say!JUMPとSexy Zoneくらいになります。
そりゃまあ、シブがき隊の時代からゆうに30年はたっていますので、今の若い方々が動画サイトでシブがき隊の昔の姿を見ても、「衣装がダサい」「曲がダサい」「振付がダサい」というご感想を持つくらいのものでしょう。まあ、「若い人たちに人気があるものの中には、時代が変わると急にダサく見えてしまうものがけっこうある」ものですが、オバちゃんの立場から、もうひとつ。私はリアルタイムで経験してきた者として、たのきんトリオやシブがき隊が「どういうふうにキャーキャー言われていたか」を知っています。当時と今とで変わったのは、ステージに立つ人たちの問題だけではありません。
今のアイドルグループと、昔のグループの決定的な違いは、何か。それは、「メンバー同士の関係性」に萌えている人がいるか、いないか、ということだと思います。昔の男の子のアイドルグループは、「疑似恋人」としての役割がメイン(というか、役割のほぼすべて)でした。メンバーの中の誰か(シブがき隊ならヤックンとかモックン。フックンは…どうだったか…笑)にキャーキャー言うことはあっても、たとえば「ヤックンとフックンの関係性」に萌えたり「メンバー同士の仲の良さ」を愛でるポイントに挙げたり…ということはなかったのです。
私の体感では、男の子のアイドルグループに「関係性萌え」を見出すファンが現れたのは、SMAPがガッツリ売れ始めた頃、あるいはKinKi KidsやV6がCDデビューをした頃、つまり90年代の中盤くらいから、と記憶しています。なので、当時は「過渡期」というか、たとえば「木村くん(←中居くんでも香取くんでもOK)がいるから、SMAPにお金を落としている」「とにかく光一(←剛でももちろんOK)が大好き!」という人もけっこうな数いましたが、いま、若い子の多くは、それぞれに「いちばん好きなメンバー」がいつつも、「嵐は、5人で嵐」「Sexy Zoneはやっぱり5人全員そろっていないと!」と感じている部分もかなり大きいのでは、と。その前提の中で「潤くんと相葉くんの関係性にキュンキュンしてる」とか「勝利と健人は、やっぱり鉄板のコンビ!」といった感じで、アイドルを楽しんでいる。ま、あくまで私の体感にすぎないのですが。
その原因を「BL的なニュアンスが一般の人々の間でも消費されるようになった」とする人もけっこういるでしょうが、私は少々違った考えを持っています。先ほど言った、「意識したり言語化できるほどには明確になっていないけれど、人々が熱烈に求めている『何か』。それが、アイドルを含む芸能人に投影される」ということに当てはめれば…。
「若い方々にとっては、『疑似であっても恋人がほしい』ということ以上に切実な問題がある。それは『自分の人生に、強いつながりで結ばれた“他者”がいてほしい。その相手は“恋人”でなくてもかまわない』ということではないか」と思っているのです。
男の子グループと並んで、若い女の子たちが熱烈に『何か』を投影するものと言えば、少女マンガです。この15年間ほどの少女マンガで、部数的にも圧倒的な数字を残した作品といえば、『NANA』(矢沢あい・作)と『君に届け』(椎名軽穂・作)を挙げたい私です。まだ完結していない両作品ですが、『NANA』の主題は明らかに「ナナとハチ、それぞれの恋」ではなく、「それぞれに恋をしていても、ゆるぎも薄くもならない、ナナとハチのつながり」ですし、『君に届け』は「主人公・爽子と風早翔太の恋」を描くだけでは、ここまでの人気作にならなかったでしょう。私が『君に届け』を読む限り、あの作品で最大瞬間風速が吹いたのは、第2巻です。「地味な世界に属する、爽子。そして、一見派手な世界に属する、ちづとあやね。その3人が確かなつながりで結ばれた」シーンが、『君に届け』をここまでの人気作にした、と確信しています。
一般人にとっては「よくなっている」とは一瞬も感じられない景気のせいなのか、それ以外にも理由があるのか、それはわかりませんが、「かつて自分にも10代だった時期、20代のはじめだった時期があった」大人の立場で言わせていただくなら、いまの若い人たちを取り巻く環境の殺伐さを思うと、私の背すじはひんやりしてしまいます。「自分の中の一部を明かしても、ゆだねても、この人は、『私』という存在を拒否しない」と信じられる相手が周りにいない…。その苦しさは、自分のセクシャリティを周りの誰にも明かせなかった、かつての私自身の苦しさと重なります。「あの時期は私が成長するために必要だった」と今でこそ思えますが、「じゃあ、あの時期をもう一度経験するか」と尋ねられたら、「絶対にいやだ」と即答できるほどに、苦しい時期。その苦しさを、現代の多くの若い人たちも抱えていると思うと、いい大人であるはずの私の胸が今でも痛くなるほどです。
その環境が、いますぐ劇的に変わる…という可能性は、残念ながら低いでしょう。ただ、そうならそうで、若い人たちが抱える「何か」にこたえる仕事をしている人(表舞台に立つアイドルだけでなく、アイドルを作っている制作側・裏方側を含みます)には、「関係性に切実な希望を見出すたくさんの人たちが、自分たちの仕事を支えている」ということは頭に入れておいていただきたい。その希望が「目に見える状態になっている」ことで、現実の社会そのものが変わっていく可能性もあるはずです。
高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という題名で書籍化。人気コラムニスト、ジェーン・スー氏の「知的ゲイは悩める女の共有財産」との絶賛どおり、恋や人生に悩む多くの女性から熱烈な支持を集める。