――皇室特集でさえタブーとされる現在の雑誌業界。まじめな議論であっても、その取り扱いには注意を要する。そうしたタブーを恐れて、自主規制ばかりで、果たしていいのだろうか? ここでは、新右翼・鈴木邦男氏に、現在もタブーと思われている菊紋などについて、基本的な取り扱い方を聞いてみた。
鈴木邦男氏。
天皇が「現人神」と呼ばれた戦前から、左翼による過激な皇室撤廃論が飛び出し、菊タブーを掲げた右翼と盛んに衝突していた昭和期を過ぎ、今や皇室はテレビや週刊誌で大人気の“コンテンツ”となっている。新年と天皇誕生日に開催される一般参賀、果ては日常的な各地へのご訪問の際にも、喜々として写メを撮る人々であふれ、まるでアイドル撮影会さながらだ。
こうした状況は、ある意味で「皇室が身近な存在になった」ということを表しているのだろう。しかし我々は「天皇とは何か?」といった問いを投げかけられると、果たして即座に回答できるだろうか? 女性宮家創設問題など、語るべき議論についてはどこか忘れ去られてしまった印象さえある。
こうした状況に対し、新右翼・鈴木邦男氏は「以前に比べて、天皇は日常的に意識し、考える対象ではなくなりつつある」と指摘する。確かに日々、その歴史などを踏まえて「天皇とは何か?」を問う生活を送っていたら、気軽にカメラを向け、ネットにアップすることなどそうできまい。昨年5月、栃木県小山市を両陛下が訪れた際に、女子高生が携帯で撮影しSNSにアップしたところ炎上し、議論となった事件も思い出される。皇室を無邪気に慕うあまり、SNSにコラージュ作品を載せる人もいる。さらに、2ちゃんねるなどでは、匿名性を盾にしながら天皇に対して「意見する者」さえある状況だ。
このように、天皇と私たちの関係は、時代を経るに従って変化し、皇室そのものが消費の対象にさえなりつつある。ただし、これまでも左翼的な議論の上でだけではなく、無邪気な消費の対象として芸能人や一般市民が皇室をネタにし、過激な右派団体から抗議、街宣、襲撃を受ける事態もあったのだ。その本質について日常的に考えることがなくなった果てに、天皇に対してイデオロギー的価値を見いだす人々の存在さえ忘れ去られてはいないだろうか?
そこで今一度、皇室とそれを取り巻く社会の現状をまじめに考察するに当たり、まずは基本を知ることが大切であると考えた取材陣は、これまで“菊タブー”の象徴とされてきた、菊紋の取り扱い方など問題視される点について、鈴木氏に考えを聞いてみた――。
■Q-1
皇室の象徴である菊花紋章はどう取り扱うべきなのでしょうか?