――数々の芸能スクープをモノにしてきた芸能評論家・二田一比古が、芸能ゴシップの"今昔物語"を語り尽くす!
『細川ふみえ写真集 piece! (艶写文庫)』(竹書房)
7年ぶりに芸能界復帰を果たした細川ふみえ。すでにバツイチ、一児の母――。
苦しい家庭生活が伝えられていただけに、芸能界にすがるしか手立てがなかったとはいえ、「同情だけで仕事が来るほど甘い世界ではない」といわれる芸能界。果たして、芸能界でどう生きていくか気になるところではあるが、厳しい状況には変わりはないと思う。
細川がグラビアでデビューしたのは90年代のことだった。愛くるしい顔と相反するような巨乳で瞬く間にグラビア界を席巻。「グラビアアイドル」ブームの先駆者的な存在だった。仕掛けたのはイエローキャブの名物社長・野田義治氏だった。
それまで雑誌のグラビアといえば、タレントがビキニで登場するのが定番で、刺激の少ない世の中では、そんな水着姿のタレントを「オナペット」としていた。それを覆したのがイエローキャブの面々。素人女性ながら「巨乳」という突出した体のパーツで男を魅了した。
「なんの芸もない子を、先にグラビアで名前を売り、芸能人としての芸を磨くのは世間に認知させてから」という逆転の発想だった。知名度を上げた細川はテレ東の深夜番組『ギルガメッシユナイト』の司会に抜擢され、タレントに転身した。後に番組からは飯島愛も登場。人気を博した。しかし、先発の細川はタレントとして先細り、対照的に飯島はタレントとしての隠れた才能を発揮。メジャータレントになった。
「お喋りのうまさの差でしょう。細川は素人の喋りの域を出なかったが、飯島は本音でズバッという頭の回転の良さがあった。それに"AV出身"というギャップもよかった」とテレビ関係者は指摘する。
それでも細川の功績は大きく、「私も彼女のようになりたい」という子が巷に続出した。受け皿になる芸能業界もにわか「芸能プロ」まで現れ、渋谷や原宿にはスカウトマンが横行した。
「数撃てば当たるで、何人でも引っかかった。捕まえた子によってグラビア、ホステス、風俗。さらにはAV業界とスカウトした子の受け皿はいくらでもあった。スカウトしてくればお金をもらえる時代でしたから、腕利きのスカウトマンは羽振りがよかった」(元スカウトマン)
グラドルの大半がスカウトがきっかけだったのもよくわかる。著者も直接、間接を含め「グラビアをやりたい子がいる。相談に乗ってほしい」とよく相談された。
「借金を返したいから」とか「ヤクザの彼から逃げたいから」といった訳アリもいれば、背中にタトゥーを入れた元ヤンまでいた。とりわけ美人でなくとも、プロポーションさえよければ誰でもできる仕事である。女の子にとっては手っ取り早かったのだろう。また六本木のクラブに行くと店にはそんな子がよくバイトしていた。
「六本木は芸能界やテレビ界の人が一番遊びに来るから、出会えるチャンスが多い」という理由だった。受け皿になる芸能界も思惑が働く。芸能関係者からこんな話を聞いた。
「とりあえずプロポーションがいいことが先決。特に巨乳とかお尻。くびれた腰とかパーツにインパクトがあればなおいい。それがなければ形容詞が付く肩書き。東大や早慶など優秀な現役大学生とか。でも、あくまでもグラドルとしての価値だから、そのあとの芸能人としての資質は別問題。売れるか売れないかまで責任はとれない」
グラドルは一過性の人気にしか過ぎない。結局、クラビア界から本当の芸能界に転身しても生き残れるのはごく少数。今なら壇蜜だろう。グラビアアイドルブームが去り、雑誌のグラビアも減っている現状では、近い将来、「グラビアアイドル」という言葉は死語になりそうな気もする。むしろ巷では近年、「熟女」「人妻」が流行っているそうだ。
AVも然り。風俗でもやたらと「人妻」などの言葉が目立つ。グラドルに夢中になった人たちは今や中高年。もう若いグラビアの子に騒ぐ年齢ではない。むしろ、円熟味を感じさせてくる人妻に関心は移りつつあるのかもしれない。若い男も草食男子と呼ばれるものが多く、年上の女に頼る傾向にある。人妻ブームは来るべくして来たとも読み取れる。風俗界は常に先を読むのがうまい。芸能界も参考にするべきかもしれない。
ふただ・かずひこ
芸能ジャーナリスト。テレビなどでコメンテーターとして活躍するかたわら、安室奈美恵の母顔が娘・奈美恵の生い立ちを綴った「約束」(扶桑社刊)、赤塚不二夫氏の単行本の出版プロデュースなども手がける。青山学院大学法学部卒業後、男性週刊誌を経て、女性誌「微笑」(祥伝社/廃刊)、写真誌「Emma」(文藝春秋/廃刊)の専属スタッフを経て、フリーとして独立。週刊誌やスポーツ新聞などで幅広く活躍する。現在は『おはようコールABC』(朝日放送)、『今日感テレビ』(RKB毎日放送)などにコメンテーターとして出演。