――真言宗の僧侶の家庭に生まれた、ジャニーズ事務所代表のジャニー喜多川社長。この出自が関係しているかどうかは定かでないが、ジャニーズとファンの関係は宗教のそれと類似している……という指摘がある。では、宗教に造詣の深い識者はどうみているのだろうか?
真言宗にルーツを持つ、ジャニーズ事務所代表のジャニー喜多川社長。
サイゾーの読者でないにしろ、多少なりとも芸能界に精通している人であれば、「ジャニーズとファンの関係は宗教的である」などという説を耳にしたことがあるだろう。徹底的に統制されたファンの行動や、ファンクラブの会員のみに門戸が開かれたコンサートチケットの購入システム(後述)など、ファン心理を突いたビジネスモデルを見るまでもなく、妄信的(に見える)なファンのジャニーズタレントに対する振る舞いは、まさに巨大宗教団体の信者と対比して語られることがある。ジャニーズ事務所代表であるジャニー喜多川社長の父親が、真言宗の僧侶であることも、こういった説のもっともらしさを後押ししているのかもしれない。
ジャニーズ事務所の記念すべき第一号ユニット「ジャニーズ」が、1964年にデビューしてからちょうど半世紀。これまで多くのユニットを世に送り出してきたジャニーズだが、芸能界の歴史において、芸能プロダクションそのものがブランド化し、所属するユニットやメンバーが数多くのファンを熱狂させ、巨額の収益を上げる例は、ちょっとほかに思い当たらない。
そこで本稿では、ジャニーズを日本の多神教風土に根差したひとつの宗教形態だという仮説を立て、それを検証してみたい。
まずは導入として、ジャニーズに造詣の深い現代思想の専門家に聞いてみよう。『隣の嵐くん カリスマなき時代の偶像』(小社刊)で嵐を解読した、関修氏はこう言う。
「アイドル文化の盛んな日本では、AKB、ハロプロ、EXILEなど、ほかにも多くの比較対象がありますが、ジャニーズほど――その存在がファンのみならず、一般の人々にとっても――自然と身の回りに偏在し、一緒に生活している存在はないのではないでしょうか」
確かに、関氏が一番お気に入りの嵐が登場するCMを見てみても、キリンの発泡酒や日立の家電、任天堂のゲームなど、一般的に身近にある商品が多い。無論、彼らが国民的アイドルと言われることも関係しているが、関氏によれば"身の回りに自然とある”ということこそ、生活の場に存在する自然の中にも神を見いだすという、神道に代表される日本における宗教の特徴だという。
そこからジャニーズを宗教的に読み解く、という今回のテーマが浮かび上がるわけだが、まず日本人にとっての神が、西洋における神とはまったく異なった性質のものであることを指摘してみたい。宗教解説の第一人者である島田裕巳氏に、ご登場願おう。
「西洋、特にキリスト教における神とは、唯一絶対神にして創造神であるわけですが、これを日本の神と引き比べた場合、その性格はだいぶ異なる。日本には八百万の神、という言葉に象徴されるように、あまたの神が存在し、さらに明確な創造神は存在しません。そして、日本の神々にはそれぞれに役割がある。天神なら学問の神、稲荷神なら商売の神といったようにです。さらに、日本の宗教体系は多神教であると同時に、祈りの体系においては1対多なわけではなく、無数の神の中から自分の祈りに合致した対象を選び、祀るわけです。このひとつの神を選び取ることにこそ、日本の信仰の特徴的な構造がある」
ここで翻ってジャニーズとファンの関係を見ると、ジャニーズでは基本的にコンサートのチケットを確実に入手するためには、「ファミリークラブ」というファンクラブに入会しなければならない。さらに、このファンクラブは各グループに分かれており、つまるところ、どのグループを応援するかを決める必要がある(ひとりで複数のグループのファンクラブに入ることも多い)。嵐のコンサートを見たいと思えば、嵐のファンクラブに登録せねばならないシステムだ。
そしてさらに、そのグループの中でどのメンバーを応援するかを決めることで、ファンの立ち位置は初めて明確になるといっていいだろう。最初からひとりの対象しかないのではなく、ジャニーズの多くのアイドルの中からひとりを主体的に選択する。そこにこそジャニーズファンとアイドルの関係性が成立するのであり、多神教的なテーゼが浮かび上がってくるのではないだろうか。前出の島田氏は言う。
「多神教の世界では、神々はそれぞれ対抗関係にあり、その中から人は選んだ神を熱心に祀ることで深みにはまっていく。たとえば、京都の祇園祭にしても、あれはそれぞれの地域が地元の神を祀るために山車を出すんですね。その山車同士の間に対抗原理が働いているんです。その構造をジャニーズに代表されるアイドルと比べた時、その根底にあるものはそれほど変わらないような気もします」