ファンはどう見る 確執終焉となるか
本誌前月号の「宗教特集」でも紹介した「第62回 伊勢神宮式年遷宮」のイメージソング「鎮守の里」を担当した藤井フミヤ。歌手活動30周年の一環とも思われるが、その30周年を記念したツアーでチェッカーズの再結成をほのめかす発言をしたことが注目されている。音楽業界、お茶の間までをも騒がせた高杢禎彦との確執の行方は……?
昨年リリースされた30枚目のシングル「青春」(ソニー)。チェッカーズ時代の青春は再度やってくるのだろうか。
1983年にデビューしてから約10年間、音楽シーンの一線で活躍したものの、1992年に惜しまれつつ解散したチェッカーズ。解散の背景にはメンバー間の不和があったとされ、03年には元メンバーの高杢禎彦が、グループ内で金銭をめぐる深刻な対立があったと自伝『チェッカーズ』【1】(新潮社)で暴露。この内容に対して藤井フミヤは激怒し、「高杢を一生許さない」と口癖のように言っていたという。04年にはメンバーのクロベエこと徳永善也が舌がんで死去するという不幸もあり、音楽業界では「チェッカーズの再結成はあり得ない」というのが定説であった。
しかし、ここにきて再結成話をかたくなに拒んでいた藤井フミヤの態度に変化が見られる。昨年の12月19日、全国ツアー「藤井フミヤ 30TH ANNIVERSARY TOUR vol.1 青春」の大阪公演で、彼はデビュー30周年を振り返りながら、これまで口にしてこなかった高杢の名前を出し、上京時のエピソードを披露。さらにはチェッカーズの楽曲についても「蔵にしまっていたチェッカーズの曲を引っ張り出しました。せっかく蔵から引っ張り出したので、今度は押し入れにでもしまっておこうと思います」と、再結成を連想させるような発言までしたという。
『再結成』
チェッカーズのようなバンドスタイルのアーティストでは、東日本大震災をきっかけにプリンセスプリンセスやT-BOLANなどが再結成。近年ではザ・タイガースの再結成も話題に。
藤井フミヤが今、チェッカーズの再結成を匂わせるのはなぜか。ひとつはバンド解散から20年の月日が経ち、自分自身のルーツとして再確認する思いがあるからだろう。実際、前述のツアーではチェッカーズ時代のナンバーが披露され、「今ではチェッカーズは僕にとって良い思い出」とも語っている。
そして、見逃せないのは音楽業界の不振を背景としたビジネス的な要因だ。あるレーベル関係者は次のように話す。
「近年、CDの売り上げ低下が一層深刻化し、各レコード会社は緊急の対策に追われています。そんななか、制作費や宣伝費の削減対象として真っ先に名前が挙がるのが、藤井フミヤさんに代表されるようなベテラン・アーティストです。ベテランの場合、レコーディングにも相当な費用がかかる上、ビデオクリップなどビジュアル回りの制作費が若手とは桁違いです。最近はスタジオでカメラを回してそのまま編集した“お手軽PV”が主流ですが、フミヤさんクラスになると一流の映像作家を起用し、それなりの予算をかけなければいけないですから」(レコード会社関係者)