――戦後のテレビドラマ黎明期から幾多の名作を生み出してきた脚本家・山田太一。今は連続ドラマこそ書かないが、特別ドラマをたびたび手がけ、そのたびに幅広い世代のファンたちを魅了し続けている。そんな彼は、かねてから「テレビドラマのあり方」に対して、さまざまな意見を述べてきた。では70代の今、『あまちゃん』や『半沢直樹』のように再びテレビドラマに脚光が当たり始めた現状を、どう見ているのだろうか――?
(写真/奥山智昭)
――山田さんは、今話題の『あまちゃん』と『半沢直樹』は、ご覧になっていますか?
山田 半沢さん……は見ていないですね。『あまちゃん』【1】は(宮藤)官九郎さんらしいドラマだと思って楽しく見ています。テレビをよく知っていて、朝のドラマはこういうものが当たるという勘みたいなものが非常に素直に出ていると思います。それは舞台をやっている方が肌で感じるものなのかもしれないね。一方で、(宮藤氏が監督した)『中学生円山』なんかは本当に映画の面白さがよく出ている。彼のほかの映画も見ましたけど、非常に生真面目に、お客さんのことをバカにしないでバカなことをやっている(笑)。それが僕はいいな、と思う。アチャラカをやっていると、作りもアチャラカになってしまう人もいますからね。やっぱり宮藤さんは底力がある人だと思います。
――宮藤さんのドラマ作りにもそれは感じますか?
山田 もちろんあると思います。ただ、それはそれとして、テレビドラマには可能性があるんですから、もっといろいろな人が出てきてもいいと思います。木皿(泉)さんの『Q10』【2】だってよく考えられていますし、時間をかけて作っていますよね。そういう作品がたくさん出てきたら、テレビドラマはもっと面白くなると思いますよ。
――この20~30年で、テレビドラマの作り手の側にも、さまざまな変化が起こっていると思います。作り手のひとりとして、山田さんはどのようにお感じになっていますか?
山田 「いい作品を作ろう」というより「いい商品を作ろう」という意識になっているんじゃないかな。視聴率のことばかり気にしている人たちや、どこかから突っ込まれないかと気にしてばかりいる人たちが力を持っていると、やっぱり作品を損ないますよ。営業や編成の人たちの意見も大事だけど、ドラマの中心は作っている側にあるべきです。いろいろな人の顔色をうかがいながら作っているようでは、いい作品なんてできっこありません。それは本当に悪いことだと思うな。高視聴率で作品も良いというのが一番いいのだけれど、最近は高視聴率を取ること自体が欠点のような気がしてきました。
――高視聴率が欠点とは、どういうことでしょう?
山田 いろいろな人が気に入るやつというのは、それだけでうさんくさいでしょう?(笑) 結局、ものを作るということは、個人に帰することだと思うんです。
――作品は個人から生まれるものであると。
山田 作り手の思いとか、履歴とか、好きな音楽とか、いろいろなものが個人から発している領域で作られたドラマはいいものが多いと思います。作り手の顔がちゃんと見えるということ。ドラマは計算で作れるものではないんです。
――決まった方程式があるわけではないということですね。
山田 人気のある俳優さんを揃えて視聴率を計算したって、ドラマはできません。かつて当たった人と当たった人を組み合わせれば視聴率も2倍になると考えていることがおかしい。人気者をひとりつかまえたら、2~3人は新人を使うとか、年齢が上の人は変化球として使うとか、それぐらいのセンスは欲しいですよね。
――山田さんが書かれた『ふぞろいの林檎たち』(TBS/83年~)では、フレッシュな若手を主役に据えられていましたね。
山田 それは、プロデューサーに力が与えられていたからできたことです。やっぱり作り手が中心だったんですよ。
――山田さんは、キャスティングする俳優や女優の顔を思い浮かべながら脚本を執筆するとお聞きしました。
山田 テレビドラマはそうですね。主役の4~5人ぐらいは決まっていないと駄目なんです。見る側が心揺さぶられる組み合わせになっていればいいと思っています。
――『男たちの旅路』(NHK/76年~)での鶴田浩二さんと水谷豊さんも、視聴者にとって意外性のある組み合わせだったと思います。
山田 それに、たとえば僕は岸惠子さんに、フランス帰りのお洒落な人の役なんて書こうとはまったく思わないですよ(笑)。かきたてられるものがないんです。町の電器屋のおかみさんをやってもらったのですが(『沿線地図』TBS/79年)、岸さんには思いもよらない役だったでしょう。でも、そういうアンバランスさが役者にとっても、視聴者にとっても面白いんですよね。
――『岸辺のアルバム』(TBS/77年)では、清楚なイメージの八千草薫さんが不倫に溺れる役を演じて、視聴者を驚かせました。
山田 役者さんに、今までやらなかった役柄をやってもらう。それが僕らの作品の発想の仕方ですよ。だけど、今は「こういうキャラクターが当たったから、次も同じようなキャラクターで」という発想でしょう?
――今のお話で思い出しましたが、90年代から00年代にかけてドラマ界を支えた木村拓哉さんが、次のドラマではアンドロイドを演じるそうです(『安堂ロイド~A.I. knows LOVE?~』TBS/10月スタート)。だんだん演じる役柄がなくなっているとも感じますし、迷走しているようにも思えます。
山田 うーん……大変だと思う。ある年齢になってくると、若い時に輝いていた人ほど壁が高くなるんです。方向転換は二枚目ほど難しい。『南極大陸』【3】は少しだけ見ましたけど、「木村拓哉さんがやってくださっている」という空気が画面から伝わってくる。そんなの見たくないですよ。だけど、すごい人だから活かす道はいっぱいあると思います。たとえば、汚れ役をやるというより、本当に汚れてしまえる世界を選ぶとかね。
――本当に汚れるとは?
山田 いつも木村拓哉さんはちょっと不平そうな声を出すじゃないですか(笑)。それはもうあの人のキャラクターなんだから、作品の中でもっと引き出して、みんなで笑いものにしちゃうとかね。もっといろいろな声が出せるはずなのに、いつも同じような声しか出さないから、それではこなせない、新しいキムタクさんを引き出すような役があればいいと思いますね。