(写真/江森康之)
──ノンフィクションや報道では暴けなかった企業社会のタブーを描いた優秀な経済小説は、古今東西数多く存在している。労組の腐敗、金融合併の内幕、世界を股にかける商社マンの逸脱と堕落、広告代理店の傲慢……。ドキュメントノベルだからこそできる“描写”はどう生まれてきたのか? 『小説 電通』『十三人のユダ──三越・男たちの野望と崩壊』などの名作経済小説を物してきた大御所・大下英治と、現役記者時代に『謀略銀行』でデビューし、古巣の新聞業界の腐敗を暴く『自壊の迷路』を執筆中の大塚将司が、城山三郎経済小説大賞選考委員であり、経済小説の読み方を説いてきた評論家・佐高信の司会のもと、その取材方法、執筆の原動力、そして経済小説が置かれた現状を徹底的に語り合う。
佐高 今日は現代を代表する経済小説家のお2人にお集まりいただいたんだが、率直に言って、今ほど経済小説を書きにくい時代もまたないんじゃないですか?
大塚 そうですね。経済小説を書くという行為は今、常に訴訟になる危険性を孕まざるを得ないですから。名誉毀損ですね。ノンフィクションではなくて小説という形式で企業の内幕を書いても……。
佐高 告訴されたら、作家側が負けてしまうね【註1】。大塚さんは『日経新聞の黒い霧』で、元勤め先である日本経済新聞社の闇を追及して訴えられましたよね?
大塚 あれはノンフィクションでしたが、今はフィクションでも同じ。すぐに名誉毀損になってしまう。
佐高 大下さんはそのへんどう?
大下英治氏(写真/江森康之)
大下 そりゃ書きにくいですよ(笑)。昔は違った。僕がまだ駆け出しの頃、師匠の梶山季之さんから言われた言葉があるんです。「スキャンダルを週刊誌でやろうと思ったら、たとえ事実であっても告訴されてしまう。だがフィクションとして書けば、それを逃れられる」と。 梶山さんがちょうど東海道新幹線の利権問題をモデルに、『夢の超特急』(63年)という作品を書いていた頃のことです。つまり事実としては99%間違いないだろうというスキャンダルがあっても、週刊誌でも当事者たちを実名で記事にはできないことがある。だからその事実の枠組みだけを書きながら、中に出てくる名前を変えようというのが経済小説の始まりなんですよ。
佐高 企業名や人名を変えることによって、ノンフィクション以上のギリギリのことが書ける。昔はそのやり方で数々の名作が生まれましたね。
大下 さらに歴史的なことを振り返るなら、梶山季之と城山三郎、邦光史郎、この御三家が経済小説のパイオニアです。その後に清水一行さんが出てくるわけなんだが、要するに彼らの登場までは経済小説というジャンルが存在しなかった。『蟹工船』(29年)なんかのプロレタリア小説や、例外的に野間宏の証券小説『さいころの空』(58年)なんかはありましたけど、経営者に焦点を当てた小説のジャンルはなかったんです。それが戦後ある時期からサラリーマンがビジネスマンになった時に、経済の熾烈な戦いが起こる。その内幕を描くのが経済小説だったんです。
佐高 その下の世代の大下さんも、『小説 電通』や三越のことを書いた『十三人のユダ──三越・男たちの野望と崩壊』などで、次々にタブーに切り込んでいった。
大下 三越事件はノンフィクションの形でも書いたんですけど(『ドキュメント三越──女帝・竹久みちの野望と金脈』83年)、小説の時は企業名はそのままに、人名は変えましたね。でも、書かれてることはすべて事実なんですよ。というのも、竹久みち【註2】の裁判調書をあるルートから入手することもできて、よりリアリティが増した。それでも、中の人間の設定や名前は変えなきゃいけなかったけど。
大塚 でも今の時代、必ずしも人の名前を変えただけで、告訴を逃れられるかというと……。
大下 おそらくムリでしょう。
大塚 要するに、書かれていることが事実か否か立証できないものは全てダメなんですよね。小説であっても、モデルが特定できると、立証できないと告訴されて負ける。だから人名を変えるだけでなく、モデルにした1人の人間を2人の人物にしたりしないとダメです。
佐高 でも普通は、企業側が訴えるメリットなどないはずだがね。
大塚 そう、訴えればそれだけ問題を大きく公表することになって、損なんだから。
佐高 企業のほうも、どっかの新聞社のドンみたいな人と違って、会社のことを本気で考えたら訴えられないはずなんだけど。
大塚 でもじゃあなぜ訴えるかというと、自分の社内の地位を確保するためだけでしょう。民事の名誉毀損で訴えれば、会社側は何も一切する必要はない。訴えられたほうは立証せざるを得ないけど、それはできない。訴えれば会社側が勝つので、疑惑があっても、それが事実ではない、という“お墨付き”になる。
佐高 しかも昔は賠償額は高くても数十万だったけど、10年くらい前から高騰してる。大塚さん、日経の時はいくらだった?
大塚 たしか請求は3000万円でした。もちろん判決では200万円と相当減額されましたけど。
佐高 俺も木村剛の時で3000万円だ(笑)。【註3】
大下 僕の最高額は『世間の非常識こそ、わが常識』を書いた時に、張本人であるリクルート創業者の江副浩正さんから、7000万円。
佐高 7000万!?