──宗教団体と裏社会のつながりは、昔から存外深いものだといわれてきた。両者はどのように互いを利用し合ってきたのか? これまでに起こった主な事件とそのパターンを振り返るとともに、実は意外とよく似ているその成り立ちや、これからの日本社会における両者の関わり方の変化を考える。
08年を以て引退し、09年に天台宗の寺院にて得度した後藤元組長。法名は忠叡。
2010年5月、武闘派で鳴らした山口組系二次団体・後藤組の元組長・後藤忠政氏の自伝『憚りながら』(宝島社)が出版された。08年に除籍処分を受けて引退し、09年4月には出家した後藤元組長が、生い立ちから今に至るまでを大いに語る──といった体裁の同書だったが、刊行と同時に週刊誌各誌などで取り上げられ話題を呼んだのは、創価学会と同組の付き合いについて語った個所だった。
1970年代に学会が静岡県富士宮市に大規模な霊苑を建設するに当たり、地元住民や自治体とトラブルになり、その鎮火に向けて後藤組が介入したのは事件当時から話題となっていた。またその後、東京都・信濃町の学会施設で後藤組幹部による発砲事件があったことから、両者の間でなんらかのトラブルがあったという顛末も取り沙汰された(詳細は下の年表を参照)。その舞台裏を、詳細にとはいかないまでも元組長自らが口を開いて語ったことは、十分耳目を集める"事件"だった。しかも同書の中で後藤元組長は、「他人様から到底、褒められるような人物じゃないから、自分で自分を褒める本をせっせと作っては、学会の信者に買わせてな」と、明確に池田大作批判を繰り広げている。