ネット上にアップされ、大きな反響を巻き起こした、引き裂かれた『かんなぎ』の画像
――近頃、女性に対し純潔を求める「処女厨」なる男が増えているという――。彼らが執拗なまでに処女を求める理由はどこに?現実と二次元を混同し、「処女」という存在を自らが作り上げた妄想の枠に収めようしているのか?彼らのメンタリティの謎に迫った。
「処女厨」と呼ばれる、異常なほど処女に固執する男性が、ここ数年の間にインターネット上で目立つようになってきている。「厨」とは、興味の対象に中学生(中坊=厨房)レベルで幼稚かつ貪欲な言動をする者を意味するネット造語だ。
08年末から09年にかけて、「月刊ComicRex」(一迅社)連載のマンガ「かんなぎ」をめぐって起こった騒動をご存じだろうか?
ヒロインにかつて彼氏がいたことを示唆する展開から、「付き合っていた→非処女→中古」と認識した一部のファンが猛反発。中には単行本を引き裂いた画像を2ちゃんねるにアップする者も現れた。
「非処女は中古」と主張し、「女性は処女かビッチ(ヤリマン)しかいない」という両極しか見えていない処女厨の世界観とはいかなるものなのだろうか。
まず、処女厨の存在を女性がどのように見ているのか気になるところ。辛酸なめ子氏との共著『だれでも一度は、処女だった。』(理論社)などの著書がある作家の千木良悠子氏は、「実は、私自身も処女厨だったかもしれません(笑)」と語る。
「中高生の頃ですけど、社会に出たら、女性はみんな〈処女/非処女〉に分類されるんだと思ってました。処女を喪失したら人間の種類が変わると考えてましたね」
誰にでも、思春期に自分や他人の性体験について思いをめぐらし、日々悶々としていた記憶はあるはずだ。では、処女厨もその意味ではそれほどおかしな存在ではないのだろうか?
「でも今どき、処女かどうかが問題視されるなんてやっぱり変ですよね。処女厨の人は、現実の女性の内面、アニメ・マンガの場合は、作品の内容自体は目に入ってないんだと思います。結局、自分の妄想、自分が思い描くセカイを大事にしたいだけじゃないでしょうか」と千木良氏は指摘する。
確かに、処女厨に限らず二次元のオタクには、「可愛くて性格も良くて処女の女性は現実にはいないとわかっているからこそ、二次元ではその妄想を実現してほしい」というひそかな願いがあるようだ。
「何を妄想しても自由だけど、本当は一回の性体験で何かが変わることなんてない。ラベルを張り替えるように"女性性"が変わるわけではないので、女の子にとっては失礼な話です」(同)
サブカルチャーを通してオタクの性的特質を読み解く『戦闘美少女の精神分析』(太田出版)などの著書を持つ斎藤環氏は、精神科医としての立場からこう語る。
「二次元における〈美少女〉が〈処女〉を意味するのは、暗黙の了解です。もともと、二次元という、現実から自立した100%の純粋虚構を享楽できるのがオタクなんです」
虚構とは、「現実では絶対にありえないことがありえてしまう」セカイのことだ。つまり、「美少女なのに処女である」という、現実ではほとんど成立不可能な図式が成り立ってしまう(現実では、可愛いコはほぼ男と付き合っている)。裏返せば、虚構に現実のルールを持ち込むのは違約にあたるということになる。
「だから『かんなぎ』騒動にしても、虚構における〈お約束〉を裏切ったことに対する、オタクの当然のリアクションだと思って見ていました。
非処女が二次元で嫌がられるのは、腐女子が好むやおい(BL)マンガに女性キャラがほとんど登場しないのと同じ理由です。それは『生々しくなるから』。なまじ現実味を帯びてしまうと、虚構は成り立たなくなってしまう。その意味で、完璧な美少女の条件は処女であることなんです」(同)
すなわち、「性=生」の露骨な表れとしての非処女は、二次元特有のメディア性を考えた場合、異物でしかないのだ。
では、翻って現実においても処女にこだわりを見せる処女厨の言動はどう捉えるべきなのだろう。08年、ハロー!プロジェクトの女性アイドルグループ・°C-uteの握手会において、ジャニーズJr.との交際が報道されたメンバーだけを多数のファンが無視、当人が涙する一幕もあったという。
「アイドルを〈偶像〉、つまり二次元として捉えたいオタクにとっては、『かんなぎ』と同じことです。ただし、オタクは常に高い演技性を有しているのが特徴で、彼らには『~してみせる』という態度が日常的に見られる。いわゆる〈釣り〉です。本気に捉えたほうがバカを見る。だから現代の処女厨の振る舞いも、昔からの〈処女崇拝〉と同列に考えるべきではありません」(同)
はたして処女厨の主張は、冗談混じりのネタなのか、本気のベタなのか? 『電波男』(三才ブックス)の中で、三次元よりも二次元の優位を説いて「脳内純愛」を唱え、現在ではアニメ脚本やライトノベルも手がける本田透氏は、こう分析する。
「作り手側の実感として、やはり二次元では非処女を登場させるのが難しい。最近は『めぞん一刻』の音無響子さんのような非処女ヒロインははやりませんから。その代わり、アニオタは三次元にはあまり執着しません。現実と妄想を混同している人間はただの電波ですから、あくまで〈ネタ〉に過ぎないと思います」
都合の良い処女 異物としてのビッチ
三次元には妄想を持ち込まないのが二次元のオタクの流儀である以上、処女厨の言動もその域に限られるのだろうか?
「90年代以降、援助交際など性の乱れが大きく騒がれ出して、自由恋愛市場の中では処女という存在が希少化し、その価値が高まった。もはや今では処女なんて都市伝説(笑)。現実世界の女性がビッチ化するのと反比例して、二次元では処女が重宝されるようになったとも言えますね」(前出・本田氏)
一方で、前出の斎藤環氏は、このようにも語る。
「一連の処女厨の言動はネタでもあるのだけれど、例えば80年代のロリコンブームの始まりが、あくまで作り手による『ロリコンを笑いの目的としたネタ』だったのに、受け手が本気で欲望の対象にしてしまった経緯がある。パフォーマンスが熱を帯びて、いつのまにか本気になってしまう。つまり、無意識の欲望です。多くの人が釣れる、大きく盛り上がるネタには、相応の理由があるわけです」
では、この場合の「無意識の欲望」とは、「女性は処女が良い」という、オタクに限らない一般男性の持つ女性観の表れと捉えていいのだろうか?
「もともと男性の欲望は所有型なんです。ひとつにはピュグマリオニズム(人形偏愛症)が挙げられます。まっさらな状態のものを自分の手で作り上げたいという欲望です。だからこそ性愛にまつわる記憶を持つ非処女ではなく、過去を持たない存在としての処女が求められるんです」(同)
都合の良い女性像としての処女か、異物としてのビッチしかいないセカイ。しかし、そういった考え方は、何も処女厨に限った話ではないというのだ。
「実際、現代は恋愛のパートナーが短期的に変わるなど、性の流動性が高まっています。過剰な流動性は、例えば意識レベルで『処女orビッチ』という二極化を招く。物事が変わるときは、現実社会よりも先に、まずは意識のレベルで変容するんです。処女厨が最近目立ってきているように、性への嗜好が極端になってしまうのは必然なのかもしれません」(同)
処女かビッチ、どちらかを選べと迫る世界では、筆者のような凡庸な嗜好の持ち主は生きにくくなりつつあるようだ。さて、相手もいないし、オナニーでもして寝るか!
(新見直/取材・文)