右が講談社の『ブラックジャックによろしく』。左が小学館の『新ブラックジャックによろしく』。講談社版は全13巻で累計1000万部以上も売り上げている。
2月末、『海猿』(小学館)や『ブラックジャックによろしく』(講談社)などで知られるマンガ家・佐藤秀峰が、自身の公式サイトにその半生を紹介するWebマンガを掲載した。そこには、デビューに至る経緯やアシスタント時代の想い出に加え、編集部との軋轢や、人気作家となってからもアシスタントの人件費すらペイできない程度の原稿料しか受け取っていなかったことなども克明に描かれていた。
このWebマンガによると、佐藤の出世作であり、ドラマ化、映画化までされた『海猿』、そして、累計1000万部を売り上げ、同じくドラマ化された最大のヒット作『ブラックジャックによろしく』ともに、編集部によってセリフや登場人物名の一部が無断で書き換えられており、さらに『ブラックジャックによろしく』連載時には、編集部に勝手に監修者を立てられ、クレジットされたにもかかわらず、その内容について、さる団体から抗議を受けると、一転、責任のすべてを佐藤が負わされてしまったという。そのほか、講談社漫画賞受賞を辞退したい旨を申し出たら電話で「誰が売ってやってると思ってるんだ!?」と怒鳴られたことや、韓国語版を無断で刊行された上に、それがネットに流出したこともあったとしている。
その後、当時の連載誌である講談社の「モーニング」編集部に不信感を募らせた佐藤は、07年、ライバル誌である小学館の「ビッグコミックスピリッツ」に移籍。『新ブラックジャックによろしく』とタイトルを改めて連載を続行したことは一般紙誌でも大きく報じられたが、この4月、佐藤は、公式サイトにて「同作と『特攻の島』(芳文社)が、おそらく最後の雑誌連載作品になるだろう」という驚くべき告白をした。そして、今後は『新ブラックジャックによろしく』を雑誌掲載から1カ月のちに、公式サイトで有料配信し、同作以降の新作は、すべてネットで発表・公開していくという仰天のプランを発表している。
また、昨年5月には『金色のガッシュ!!』(小学館)の作者・雷句誠が自身のブログに寄せられた「次回作の予定は?」という質問に対して、「今後、二度と小学館と仕事をすることはない」と突如宣言。翌6月に、単行本用原稿などを紛失されたとして、同社を相手取り、330万円の損害賠償を求める裁判を起こす"事件"も発生している。
昨年11月、小学館が謝罪の上、225万円を支払うことで和解が成立し、先月末、雷句が、9月に創刊される講談社の「週刊少年マガジン」の増刊号に移籍することを発表したことで、すでに一応の決着は見ているが、当時、雷句がブログで公開した訴状には、白黒原稿1ページ1万3000円という、およそテレビアニメ化された人気作のものとは思えない格安の原稿料まで記載されていた。そのため、この一件は、ファンやメディアはおろか、『快感(ハート)フレーズ』(小学館)の新條まゆら、ほかのマンガ家をも巻き込んだ大論争に発展した。
「少年マガジン」(講談社)の黄金期を作り上げた内田勝による『「奇」の発想ーみんな『少年マガジン』が教えてくれた』(三五館)や戦後マンガ史を支えた名マンガ編集者たちの姿を小説仕立てで描いた『マンガ編集者狂笑録』(長谷邦夫/水声社)など、ベテランマンガ家や名物編集者による回顧録などの影響もあるのか、これまでマンガ家と編集者は、単なるビジネスパートナーの域を超えて、"共同制作者"として美しい関係を築いているものと思われてきた。また、05年に廃止されるまで、国税庁が発表していた高額納税者番付の上位に人気マンガ家が数多く名を連ねていたため「売れっ子マンガ家=儲かる」というイメージこそあったが、その台所事情が我々に明かされることは、まずあり得なかった。
それだけに佐藤、雷句という押しも押されもせぬヒットメーカーが、下請けイジメにも見えかねない編集部の態度や、具体的な原稿料の金額など、これまで目に触れることのなかった内幕を暴露したのは、衝撃的な出来事だ。
はたして、今、マンガ業界に何が起きているのだろうか?
高給編集者と貧乏作家 不平等な関係性
多くの担当作家を抱え、日々、作品制作の現場に立ち続ける、あるマンガ誌編集者は、佐藤、雷句両氏について「どちらも気持ちはわかる」と語る半面、「ふたつの問題を同一視されては困る」という。
「雷句さんの件については、原稿を紛失している以上、出版社と編集部に100%非があると思います。ただ、佐藤さんの場合は、ある意味、不運な出来事ともいえるのではないでしょうか。もしかしたら、佐藤さんの担当編集も、ほかの作家さんとは円滑に仕事をしているかもしれない。もちろん、作家さんに不信感を抱かせるような行動を取ることは論外です。ただ、今回の件で出版社側がオフィシャルな見解を発表していないということもありますが、佐藤さんの発言だけを取り上げて、『マンガ家と編集者の関係がヤバくなっている』とまとめられると、正直、違和感を覚えますよ」
確かにすべてのマンガ家が担当編集と良好な関係にあるわけがない。しかし、以前なら不満があっても口を閉じていたはずのマンガ家が、この1年のうちに相次いで声を上げたのはなぜなのだろうか?
『テヅカ・イズ・デッド』(NTT出版)などの著書を持つマンガ評論家として、そして東京工芸大学マンガ学科准教授として、マンガについての考察を続ける伊藤剛氏によると、その原因としてまず考えられるのが「『世代』と『表現の場』の問題ではないか」という。
「これまでのマンガ業界には、連載時に支払える原稿料は多少安くても、コミックスの印税でマンガ家に還元できる構造がありました。ところが、今は、マンガ誌はおろか、コミックスの売り上げも落ち続け、世の中の景気が好転する気配もない。しかも、ネットのような個人が自由に自分の意見を発信できるメディアもある。本音や実情を公表する人が現れても不思議はないですよね」(伊藤氏)
『マンガ産業論』(筑摩書房)や『マンガ進化論』(ブルース・インターアクションズ)などの著書を持つ編集者・作家の中野晴行氏も「分配の不平等にマンガ家が気づいたから、暴露に踏み切ったのでは」と口を揃える。
「90年代初頭、大手出版社のコミックスは最低でも5万部は刷られていましたが、今は、最低2万部が相場といわれています。文庫版なら8000部がせいぜい。一方、定価300円弱の週刊マンガ誌は、そもそもムリな原価計算の上に成り立っている赤字体質の媒体です。実はページ2万円の原稿料でも原価オーバーになる。だから、中堅といえどもマンガ家の収入は、世間が考えるほど高くないんです。ところが、大手出版社では30代で年収1000万円という社員も当たり前のようにいます。これでは『ちょっと待て』と言いたくなるマンガ家も出てきますよ(笑)」(中野氏)
しかも、マンガの世界に限らず、出版業界には、雑誌連載開始時に作者と出版社の間で、原稿料や連載期間についての契約書を交わす習慣が根付いていない。もちろん、日の目を見る前のマンガがどれだけヒットするかなど、誰にも予測できないだけに、連載前に原稿料や連載期間を決めることのできない編集部の事情はわかる。しかし、マンガ家にしてみれば、そのため「雑誌の都合で連載を打ち切られたり、引き延ばされたりすることがある上に、慣習や気兼ねから原稿料の値上げ交渉ができない」(伊藤氏)のも、また事実だ。これも、佐藤や雷句が原稿料を暴露した理由のひとつだろう。
今後のカギとなるエージェントの存在
ただし、マンガ家ばかりが割を食っているわけではない。マンガが一大ビジネスへと成長した今、編集者も大きな負担を強いられているのだ。
「連載立ち上げ時期なら、編集者は作品作りに注力できます。しかし、そのコミックスの発行部数が10万、50万と増え、映像化やグッズ化などの話が舞い込むようになると、例えばメディアミックスプロジェクトの窓口担当まで編集者が背負い込むことになる。仕事量が増え、業務内容が煩雑になれば、佐藤さんの一件のように、作家との間に話の齟齬や連絡の不備が生じる要因になります。ドラマやアニメの制作会社など、かかわるプレーヤーの数が増えたら、出版社も、マンガ制作の担当は編集部、グッズや映像化権の管理担当はライツ事業部、といった形で分業して、あらためてマンガ家を交えたプロジェクトチームを組むような形にビジネモデルが変わるはずですが、『マンガは作家と編集者のもの』という従来からの意識が対応を阻んでいるのかもしれません」(伊藤氏)
また、伊藤氏、中野氏ともに、今後は出版社のみならず、マンガ家自身もこの業界の構造の変化に自覚的になることが必要だと指摘する。
しかし、担当編集だけでは、ドラマ化、グッズ化などのヒット作を取り巻く状況に対応しきれないように、毎週の締め切りに追われるマンガ家がひとりで、すべての案件を処理できるはずがない。そこで、伊藤、中野両氏が提案するのが「マンガエージェント」だ。
「佐藤さんや雷句さんのように、編集部とビジネスの話ができるマンガ家は少数派。芸術家肌の人が多いせいか『おカネの話なんてできないですよ』と言い切ってしまう作家も珍しくありません。それでなくとも権利ビジネスは複雑です。それだけに、ある程度売れているマンガ家は、元編集者や法律・財務の専門家の協力を仰ぎ、スタジオを法人化するなどして、出版社と企業対企業の交渉ができるエージェント的な仕組みを作るべきでしょう」(中野氏)
さらに、伊藤氏は、今後、日本のマンガ文化自体が衰退してしまう可能性も危惧している。
「法律の専門家によると、佐藤さんのWebマンガに描かれたことがすべて事実であれば、韓国版の無断出版は損害賠償の対象になる恐れがあり、もし団体からの抗議の原因が取材の不十分のためだと立証されれば、佐藤さんから編集部に委託した取材・監修業務の不履行となる可能性があるといいます。万が一、こうした事例が続くようだと、マンガ制作の現場に司法や行政の介入を許すことにもなりかねない。これは避けたい話ですよね。
出版社は、今、マンガ業界がどの程度の市場規模にあり、どのような環境に置かれているのかを正しく理解し、スムーズな契約を結べるシステムを構築すべきです。あと、佐藤さんの件について、講談社や小学館は公式にコメントを出していませんが、企業側がきちんと事情説明をしないと、余計に事態の悪化を招くのではないかと懸念しています」(伊藤氏)
ビジネスチャンスか最悪のシナリオか
さて、佐藤の一件以来、もうひとつ取りざたされているのが、マンガのネット配信ビジネスが成功する可能性についてだ。現在、ネット界隈では、佐藤の試みを支持する声が聞かれる半面、大手出版社の営業力や広告宣伝能力に頼れない以上、これまでのように数百万の読者に作品を届けられるわけがないと指摘する向きも少なくない。
中野氏も「電子書籍は、紙媒体以上に複製されやすく、しかも、読者のIT環境はまちまちのため、OSやブラウザに応じて閲覧ソフトを用意しなければならない。個人で始めるには、経済的にも技術的にもハードルが高い」とはしながらも、その一方で「もしも軌道に乗れば、単にマンガ家の新しい収入源となるだけではなく、大きな可能性を秘めている」とも語る。
「実は、夏までに5~6人のマンガ家が佐藤さんの動きに追随するという噂があります。さすがに、全員が最初から大成功を収めるとは思えませんが、今後、彼らに続くマンガ家が増え、ネットで新作が続々と発表されるようになると、雑誌のネット版のようなマンガ専門の配信事業者や、専用の閲覧ツールが登場することも十分考えられます。音声ファイルが普及したことによって、音楽の世界にiTunes StoreやiPodという新しいビジネスが誕生したように、デジタルマンガという新しいコンテンツは、新しいインフラやハードを生み出すかもしれないんです」(中野氏)
書籍の電子化が進む米国では、07年、ネット通販最大手のアマゾンが電子書籍を購入、閲覧できるツール「キンドル」を発売している。まだまだビッグヒットとはいえないものの、今夏には第三世代モデル「キンドルDX」の発売と、大手新聞3社から専用の記事配信を受ける予定もあるという。確かに、コンテンツはツールやインフラの整備を推し進めるようだ。
しかしその一方で、現在、音楽業界ではCDの売り上げと音楽配信の売り上げが拮抗するまでの状態になっている。マンガのネット配信が進むと、音楽CD同様、マンガ誌も売り上げを食われ、廃れてしまうようなことはないだろうか?
「むしろ、マンガ誌にとって好循環を生むはずです。ネットの世界では、すでにファンを獲得している作品がウケることが予想されます。現在、マンガ誌には、長期連載を抱えすぎるという問題があります。メディアミックス展開が活発になってからは、ドラマ、アニメの放映中は、雑誌にとっても部数増のチャンスとなるため、どうしても人気作は連載を止められない。しかし、これでは新人を起用しにくく、その作品の人気にかげりが見えたとき、次のヒット作を生み出せなくなる。その点、人気作ほどウケるネット配信という選択肢があれば、自らネットの世界に飛び出していく中堅マンガ家も増えるはずです。すると、新人を起用せざるをえなくなるマンガ誌は自ずと新陳代謝が始まる。今後は、ネットは売れっ子のもの、雑誌は若手のものという棲み分けが進むのでは」(中野氏)
一連の取材を通じて、現在、マンガ業界が大きなターニングポイントを迎えていることがあらためてわかった。しかも、ハンドルの切り方ひとつで、その状況は大きく変わってしまう。法律や財務の専門家がマンガエージェントを結成し、IT企業がマンガのネット配信を開始するなど、マンガ業界に縁もゆかりもなかったプレーヤーが参入するなど、中野氏が予測する新たなビジネスチャンスを生み出す可能性もあれば、反対に伊藤氏が想定する、司法や行政の介入という"最悪のシナリオ"が訪れる恐れもはらんでいる。
前出・マンガ誌編集者の言葉のとおり、すべてのマンガ家がトラブルの火種を抱えているわけではない。しかし、佐藤や雷句の一件を、単なるいちマンガ家の個人的なトラブルと片付けてしまうのは早計のようだ。
(成松 哲/取材・文)
唐沢なをき、吉田戦車、西島大介......
実は、雷句以外にも、編集部に原稿をなくされたマンガ家は少なくない。近年に起こった原稿紛失によるトラブルを挙げてみよう。2002年8月、東京地裁は、学研に対し、『天使のたまご』の単行本用原稿を紛失し、作者の岸香里に精神的損害を与えたとして120万円の支払いを命じている。唐沢なをきも、同年、アスペクトから復刻された『百億萬円』のあとがきにおいて、同書の元の出版元だった扶桑社にすべての原稿をなくされており、裁判の末、和解に達していたことを告白している。さらに、03年には倒産した出版社・さくら出版の社長が、当時抱えていた弘兼憲史らの原稿を無断でマンガ専門店やネットオークションで販売していたことが発覚し、出版社はもちろん、古書店をも巻き込んだ原稿返還請求訴訟が起きている。
トラブルの発端は原稿紛失にアリ原稿紛失騒動を引き起こした西島大介の『世界の終わりの魔法使い』裁判沙汰には発展していないが、西島大介は、河出書房新社に『世界の終わりの魔法使い』の60ページ分の原稿をなくされたことを、07年12月発売の雑誌「hon・nin」(太田出版)の自身の連載中で公表し、以来、同誌上において、賠償額の交渉の模様をレポートし続けた。同連載によると、原稿紛失の際には、マンガ家に原稿料の10倍の賠償金を支払う業界慣例があるというが、他方で、吉田戦車は、その昔、某社に原稿をなくされた際、10倍返しどころか、2~3倍程度の賠償金で手を打ったことがあると語っている。
なお、伊藤剛氏は、雷句の一件に注目していた人たちには、ぜひとも和解内容も確認しておいてほしい、という。
「雷句さんは原稿の美術的価値を認めるよう訴えを起こしていましたが、東京地裁は和解条項案に美術的価値の一文を入れなかった。一見、冷たい判断のようですが、もし原稿の美術的価値が認められると、すべてのマンガ家の昔の原稿が財産と見なされ、相続税などの課税対象になってしまうおそれがある。今、売れていない往年の作家にしてみれば、たまったものではありません。あの和解内容はある意味、マンガ家にとっての"配慮"ともいえるんです」