──脱退の経緯、離婚の真相、難聴の息子の子育てまでを赤裸々に告白した自伝『昨夜未明、大沢樹生が死にました…』が11月下旬に出版された。本作を「今年のベスト3に入るタレント本」と評した吉田豪が、大沢本人にインタビューを敢行!
大沢樹生氏(左)と吉田豪(右)氏。(写真/江森康之)
──ついに本が出ましたね!
大沢 はい、出ましたねえ……。
──僕、よくネットで自分検索するんですけど、「大沢さんの本の評判を聞く限り、これは確実に吉田豪が食いつくに違いない」って書いてあったから、「とっくに食いついてるよ!」って(笑)。でも、評判いいですよね。
大沢 そうですか? いい評判って、なかなか本人の元に入ってこないんで。悪いのは入ってくるんですけど(笑)。この本に関してはどんな評判も、まだ僕の元へは届いてないです。僕ちょっと臆病者なんでネットで検索するの怖いから、してはいないんですけど。
──褒めてるのを、すでに2~3見ましたよ。
大沢 じゃあ、けなしてるのは?
──いや、ないですね。ちゃんと評判いいですよ。ホントおもしろかったんで、僕も08年のタレント本ベスト3に入れてますから。
大沢 ありがとうございます(笑)。最初に出版の話をいただいたときは、「え? 自分の人生って別に突出して面白いこともなかったしなあ……」って、自分的には乗り気ではなかったですけどね。でも、僕も来年40歳になるんで、年齢的にもそういう自叙伝的なものもありかなと思って本を出させてもらって。まあ、自分としてはここ2~3年、過去を振り返るどころではない状態だったんですけど。
──事務所を立ち上げてからですね。
大沢 とにかく、今は前しか見れねえって状態だったんで。僕は独立して3年はものすごい試練があると思っていて、それは覚悟してたんですよ。1年目はノリと勢いで乗り切って、2年目はその惰性もあって。この3年目っていうのはホントよく耐えてるな、と。仕事もそうですけど、私生活も。ホント、厄とか天中殺とか悪い運気が一気に来た、みたいな。
──光GENJI時代のことが2章分しか書かれてないのも、思い切った構成ですよね。
大沢 そうですね。実際、今の自分のプロフィールでも光GENJIのところは切ってあるし、「あの人は今」的な本になっちゃうじゃないですか。別に自慢話もしたくないし。一応、レコードが何千万枚売れたとか編集の人が入れてくれたんですけど、そんなことすら書きたくなかったんですよ(笑)。とにかく「おじちゃんは、昔すごかったんだよ」っていうのが嫌で。あのグループに今の自分のベースを作ってもらったんじゃないかとは思ってるんですけど、今さらあえて書く必要もないだろうって。ちょっと表現によっては変な方向に行ってしまいそうで、極力、光GENJIのことやメンバーのこと、ジャニーズ事務所関係のことに関しては……。自分の中では、それ以降のことのほうが重要なので。
──本の帯に「仕事の不振」って文字がありますけど、光GENJIを辞めてから、どれだけ大変だったのかについて描いてますからね。
大沢 まあ、18歳から25歳まで7年間、社会現象とかトップアイドルとか言われてきて、それなりの地位を築いて、若いうちに運とか相当なエネルギーは使ってたと思うんですよ。それをすべて断ち切って、またエネルギーと運をチャージしていくのは時間もかかるし、それなりの試練はあると覚悟はしてたんですけどね。いまだに「ローラースケート履いてないの?」とかって言われるし。
──でも、バランスのいい本だと思いますよ。
大沢 よくありがちな暴露本にはなってないですよね。出てくる人たちの嫌なことは何も書いてないですもん。結局、自分自身の暴露本なんですよね。ここまで自分のことや、もちろん家族のこととか子どものことを告白したっていう経験も、今まではないですし。やっぱり自分のここ十数年を振り返るに当たって、結婚や離婚のことを外すと、逆に嘘になってしまうので。
──これまで取材してきた側も聞きづらかった話ですよね。
大沢 まあ、たぶんこれが最初で最後じゃないですかね。これだけ話せば、もう探られないだろって(笑)。
ホント、自分の仕事以外で別に注目されたくもなかったし、私生活を売りにするのは本意ではないと思ってたんで。息子が生まれたときの病気のこととか難聴についても、彼のプライバシーもあるし、言う必要も今まではないと思ってたんですけど、ここ数年父子家庭でやってきて、どうしても僕の仕事上、隠すというエネルギーが大きかったんで。決して恥ずかしいことではないし、出したほうがいいんじゃないか、と。
──そこは腹をくくったんですね。『昨夜未明、大沢樹生が死にました…』【1】という縁起でもないタイトルは、どこから出てきたんですか?
大沢 これは、初めて出版社の人たちとミーティングしてタイトルの話になったとき、僕が「『昨夜未明、元光GENJIの大沢樹生が死亡しました』ぐらいのインパクトがあってもいいんじゃない?」ってボソッと言ったのが、そのままタイトルになってしまいました。
──誤解を生みますよね、これは(笑)。
大沢 でも、僕の中では非常に前向きなタイトルだとは思っていまして。裏タイトルは、『昨夜未明、大沢樹生が死にました…』の「…」のあとに、『本日早朝、大沢樹生が生き返りました』が入るんですよ(笑)。
──この執筆中に亡くなってたって設定で。
大沢 そうなんですよ、遺作で(笑)。
──この新聞の死亡記事をモチーフにした表紙に、遺作となる本が「年内に数千部程度出版される予定」って書かれていて、そのリアルな数字に笑いましたけど(笑)。
大沢 フフフフフ。編集サイドとしては、その横に書いてある、「シングル累計売り上げ枚数1500万枚」という光GENJI時代の数字と比べて、そのくらいまでいきたい願望があるみたいですね。
──素朴な疑問なんですけど、たとえば、ほかのジャニーズ本とかって読んだことあります?
大沢 いや、一冊もないです(あっさりと)。
──興味なさそうですよね(笑)。
大沢 ないですね。テレビも観ないし、最近のジャニーズのタレントもわかんないです。
──後輩との交流もそんなになさそうですね。
大沢 特別なかったですね。特に私生活では。僕が16~17歳ぐらいのときに、男闘呼組の岡本健一君を六本木に連れてったのがジャニーさんにバレて、ものすごい怒られたんですよ。「You、何考えてんだ!」って、ハンパじゃない、見たことないぐらいの怒り方で。
──ダハハハハ!(笑)そういえば、元光GENJI・諸星和己さんの名著『くそ長~いプロフィール』【2】は知ってますか?
大沢 いや、今回の本の担当編集者から自分の名前が出てくるところに付箋を貼って渡されたから、そこをちょっと確認したぐらいで。ちゃんと読んでないからなんとも言えない。
──面白いですよ。1行目から、子どもの頃に住んでた家が鉄砲水で流された話で(笑)。
「俺の人生にはグッドとバッドしかなかった」。自伝の帯には、そんなフレーズが刻まれている。これからの大沢には、グッドな役者人生が待っているに違いない。(写真/江森康之)
大沢 嘘だろ、それ(笑)。聞いたことない。
──なかなかこんなつかみはないですよ(笑)。「ふと窓の外を見たらそれまでの景色と変わっていて、死ぬほど驚いた」って、そういうインパクトがあるエピソードばかり詰まってて。
大沢 あ、そうなんですか……(あっさりと)。
──まったく興味なさそうですけど(笑)。帽子にチ○コの落書きされて、少年隊の植草克秀さんと「紅白」の控室で殴り合いしたら、北島三郎さんに止められた話とか最高ですよ!
大沢 それも記憶にないから、フィクションなんですかね。でも、自伝本なんですよね?
──もちろん自伝ですよ!
大沢 フィクションの自伝?
──僕はそれについては知らないです(笑)。
大沢 登場人物の設定が架空(笑)。
──じゃあ、ホテルが狭いって理由で諸星かーくんが壁に穴開けた話とかも、まさか……。
大沢 いや、そんなこと実際にやってたらヤバいでしょ。できるわけないじゃないですか。
──部屋中に消火器ぶちまけて部屋を真っ白にしたとか、まるで全盛期のストーンズみたいでカッコいいなあと思ってたんですけど……。
大沢のマネージャー女史 どう考えてもできないよね(あっさりと)。
──ダハハハハ! 無理ですか(笑)。
大沢 行動を共にしてて、それぐらいのことがあったらかなりのインパクトですから、普通だったら僕も覚えてるはずなんですけど、覚えてないってことは……ね? たぶん僕がいないときの出来事だったんでしょうね(笑)。
──コンサート中、諸星かーくんがミスをしたマネージャーにキレて、3人病院送りにしたって話もあって。
大沢 あ、それは本当です(あっさりと)。
──じゃあ、白タクの話はどうですか?(編註/ファンが白タクに乗って、光GENJIメンバーを追いかけ回していたという話)
大沢 ああ、白タクはひどかったですけどね。
──あんまりしつこく追い回すから、諸星かーくんが白タクの運転手をボコボコにしたら、その運転手が事務所に来て、マネージャーさんをボコボコにしたって話がありますね。
大沢 白タクは、あいつらヤクザですからね。僕はカメラ小僧の車をボコボコにしたことはありますけど、白タクは相手にするなってことで。
──冷静ですよね、大沢さんは(笑)。今日はジャニーズの関連本も大量に持ってきてまして、「たのきんトリオ3球コンサート」の写真集【3】とかもあるんですけど、これは知ってますか?
大沢 僕……出てますね、3球コンサート。やっぱり、たのきんはトシちゃんとマッチさんがメインでしょ。それでヨッちゃんが途中からギターで出てきて、トシちゃんが「野村義男!」って紹介しても会場がシーンとしてるんですよ。「みんなー、ヨッちゃんを盛り上げて!」ってトシちゃんが言ったことは覚えてますよ。なんか、子ども心にひでぇなと思って(笑)。
──ダハハハハ! これは答えづらければスルーでいいんですけど、内容はともかく『光GENJIへ』【4】ってタイトルで自分たちを名指しした本が出たときは、どう思いました?
大沢 ああ、僕はこの本は読んでませんね。
──じゃあ、その暴露本の流れでいうと、ジャニーズでデビューに至らなかった人たちが集まって勝手に「新・光GENJI」(『8人目の光GENJI』【5】)とか「光GENJI・影」(『がんばれ!! 光GENJI』【6】)を名乗って活動していたことについては?
大沢 (【5】の本を手に取って)これが新・光GENJIなんですか?
──あ、これだけ挑発的なことをしても、光GENJIの人は知らなかったわけですね(笑)。ところで、本当に大沢さんは、もう本は出さないつもりですか?
大沢 う~ん……もう書くことないですよ。それに、これからは調子もちょっと上がってってくんないと。
──ダハハハハ! まあ、そうですよね(笑)。これから、また苦労したら出せるだろうけど。
大沢 もう……なんのために生きてるのかと思いますよ。……落ちるとこまで落ちたんだから、もうちょっと上まで行ってくんないと。理想としては、自伝を出すタイミングも、この苦労を乗り越えて落ち着いたときに振り返ってもよかったかなっていうのはあるんですけど。まあ、いろんな人に乗せられたっていうのもあるし、やっぱり節目でもあるんで、いいタイミングだったんじゃないのかな。
──今だからよかったと思いますよ。リアルタイムであがいてる感じが伝わってきて。
大沢 そうですか? でも決して僕だけじゃないと思うんですよ。どんな人でも、普通の仕事されてる方も、40代に向けて30代の10年間でもがいたりとか、試練があったりとか、男としていろんなところで戦わなければならない年代だと思うんですよね。まあ、そういう意味でも「大丈夫ッスよ、しんどいのは、あなた方だけじゃないですから」って(笑)。
──「こっちはもっとしんどいですから」って(笑)。
大沢 そう思ってもらえたらいいですね。
(インタビュー・構成/吉田 豪)
大沢樹生(おおさわ・みきお)
1969、年東京都生まれ。82年、ジャニーズ事務所に入所。光GENJIのリーダーとして活躍した後、現在に至る。俳優業を中心に、ドラマ、映画などで活躍する。06年に自らが経営する芸能事務所・ドリームフォープロモーションを立ち上げる。また、現在、ファッション&アクセサリーブランド・Street Star Japanをプロデュースしている。
ドリームフォープロモーション
Street Star Japan
吉田 豪(よしだ・ごう)
1970年、東京都生まれ。プロ書評家、プロインタビュアー。徹底した事前リサーチと鋭い切り込みのインタビューで、各界から高い評価を得る。近著に『バンドライフ』(メディアックス)、『honnin列伝 セキララなオンナたち』(太田出版)などがある。吉田豪解説シリーズとして、山城新伍の『おこりんぼさびしんぼ』、勝新太郎の『俺、勝新太郎』に続き、内田裕也の『俺はロッキンローラー』(すべて廣済堂文庫)が12月中旬に発売予定。
【1】『昨夜未明、大沢樹生が死にました…』
【2】『くそ長~いプロフィール』
【3】『THANK YOU PHOTO GRAFFITI』
【4】『光GENJIへ』
【5】『8人目の光GENJI』
【6】『がんばれ!! 光GENJI』