神様の前で犯したイタズラと、皇族に犯したドタキャン
関連タグ : 200905 | 相撲 | 高橋光弥
相撲界では、3月の大阪場所が終わると、三重県伊勢市にある伊勢神宮で奉納相撲をする。相撲が神事でもあることは知っていると思うが、その地域を守る神々に、力士たちが磨き抜かれた技を奉納するという奉納相撲も、各地の神社で古来から行われてきた。中でも、天照大御神が奉られた日本を代表する伊勢神宮での奉納相撲は、格別の意味を持つんだ。
俺も現役時代は、伊勢神宮の奉納相撲に参加したもんだが、それよりも忘れられない思い出が伊勢神宮にはある。この時期、テレビで奉納相撲の様子などが流れると、つい思い出してしまうんだ。くだらない話だが、まぁ聞いてくれ。
親友・綾小路きみまろをぶっ飛ばしたときのこと
関連タグ : 200904 | 相撲 | 高橋光弥
今回は、俺の大親友である綾小路きみまろについて語らせてもらいたい。最近は、テレビにお笑い芸人があふれているが、同じ芸人でも、きみまろが歩いてきた道はほかの芸人とは大きく異なっている。きみまろは、日が当たらない、誰も歩かないような道でしっかりと芸の腕を磨き続け、そんな彼を時代が放っておかずに表舞台に引っ張り出された男だ。
50歳を過ぎて、大ブレークをしたきみまろを、苦労人という人も多いようだし、本人も「潜伏期間30年」などと言っているが、俺から見れば、彼はいつも第一線を歩んできたし、常に人々を笑いの渦に巻き込んできた、いわば、エリート芸人と言っても過言ではないだろう。頭もいいし、努力も怠らない。それでいて、謙虚さも忘れない人格者でもある。
つい先月も、新宿アルタで『笑っていいとも!』(フジテレビ)に出演した帰りに、俺が経営している料理屋にひょいと顔を出してくれて、一緒にお茶をした。忙しい合間に、わざわざ顔を見せてくれるなんてうれしいじゃないか。俺は彼のそんなところが大好きだ。
なぜ、土俵は丸いのか?
関連タグ : 200903 | 相撲 | 高橋光弥
朝青竜の復活優勝で、最近では稀に見る盛り上がりを見せた大相撲の初場所だった。といっても、話題はよくも悪くも朝青竜のことばかりで、本当の相撲人気の復活とは言えない。だが、大の相撲ファンを自認する俺からしてみれば、こうした機会に相撲の面白さや奥深さを知ることで、真の相撲ファンが少しでも増えれば、うれしいことだ。
前回も書いたが、相撲には、単なるスポーツや格闘技という枠には収まりきらない歴史や伝統、物語などがある。いつから始まり、どうして裸で戦い、どうして土俵は丸いのか......そうした一つひとつの疑問にも深い答えが用意されている。それを知ることで相撲を見る面白さは大きく増すはずだ。今回は、その一端を知ってもらいたい。
まず、こんな話はどうだろうか。読者の皆さんが学校で学んだ歴史の教科書には、有名な力士が出てきているはずだ。誰だか覚えているだろうか?
今の相撲界と力士がいちばん求められているものとは?
関連タグ : 200902 | 相撲 | 高橋光弥
前回は立ち合い問題について、俺なりの意見を述べさせてもらった。今回はもっと大きな話として、今の大相撲について感じていることを話させてもらいたい。
立ち合いで両手を土俵につくというルールのおかげで、相撲の醍醐味である呼吸の読み合いや、立ち合いのパワフルでスピード感のあるぶつかり合いがなくなってしまうという話を前回詳しくした。そもそも立ち合いが変わる前から、以前のような魂の入った、見る者を熱くさせる取り組みが少なくなってきたという声が聞こえていた。簡単に言えば、相撲がつまらなくなった、とうわけだ。
相撲の魅力を半減させる「立合い問題」について
関連タグ : 200901 | 相撲 | 高橋光弥
今回は、大相撲を愛するひとりとして、自分自身、相撲を取った経験者として、少々専門的になってしまうが、今の相撲界にひとつの提言をしたい。最近話題になっている「立ち合いの手つき」問題についてだ。俺のような十両止まりの元力士が言うのもおこがましいが、言わせてほしい。
テレビやスポーツ紙などでは何度か報道されたので知っている読者も多いと思うが、日本相撲協会の武蔵川理事長は、今年の秋場所(9月場所)から、勝負規程にある、立ち合いのときに「腰を割り両掌(りょうて)を下ろす」という原則をふまえ、両手を土俵につくように指示した。