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各界一の型破りな元お相撲さん 高橋光弥(元栃桜)のどっこい人生 第85回

「中学中退」して力士デビューした"春"

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 ここ数回、俺が春日野部屋に入門した頃の昔話をさせてもらっていたが、もう1回だけ話をさせていただきたい。毎年4月、入学シーズンとなり、新しい環境に身を投じる子どもや若者たちは多いが、俺のように田舎から上京して、相撲部屋に入るとなると、その環境の激変ぶりは、新しい学校に入るなんていうレベルなどではない。180度、生活が変わるわけだが、当時は深く考えてなかったんだろうなぁ。苦労しつつも、それなりに楽しく、その生活になじんでいった気がする。

 前回も話した通り、俺が上京したのは昭和35年、中学2年の冬。俺の故郷・山形に巡業に来ていた横綱・栃錦(後の春日野親方)に「力士になってみるか?」と声をかけられ、そのかっこよさに二つ返事でOKしてしまった。その後、入門に備えて、横綱は「部屋の見学も兼ねて、春場所を見にこないか?」と声をかけてくれたので、俺は嬉々として上京。ところが実は、見学などではなく、そのまま入門する手はずになっていたのだ。

 このときの俺の身分は仮入門者。当時、部屋は元横綱・栃木山の春日野親方が仕切っていたが、栃錦が部屋を継承することはすでに決まっていた。俺は、横綱の内弟子として、春日野部屋に世話になることになったのだ。

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各界一の型破りな元お相撲さん 高橋光弥(元栃桜)のどっこい人生 第84回

親方と力士の本当の関係

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 このところ、相撲界では、世間の目が土俵の外のドタバタばかりに向いていて、相撲をこよなく愛する俺としては悲しいばかりだ。

 俺以上に相撲を愛し、現役時代は大横綱・栃錦として、引退後は年寄・春日野を襲名し、日本相撲協会理事長として、長らく相撲の黄金期を支えてきた俺の師匠(おやじ)は天国でどう思っているだろうか?

 最近の秩序の乱れた騒動を見ていると、ついついおやじとのことを思い出すときが多くなる。おやじは、横綱としての品格、親方としての威厳や優しさなどを備えた人物で、俺にとっては実は父親と同じぐらい大きな存在だったのだ。

 少し前にここにも書いたが、現役の横綱として山形に巡業に来ていたおやじに、「力士になってみるか?」と、俺が声をかけられたのが中学1年のとき、昭和34年のことだった。

 翌年の初場所直前には、俺の父親宛に一通の手紙が届いた。そこには「初場所を見にきてほしい」と書かれ、2万円が同封されていた。今でいうと数十万円の価値はあろう。横綱から、相撲に招待され、しかも大金まで送られてきたとあって、俺が住む小さな町が大変な騒ぎになったのを覚えている。

「光弥が、栃錦に見初められたそうだ」

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各界一の型破りな元お相撲さん 高橋光弥(元栃桜)のどっこい人生 第83回

おやじ(元横綱・栃錦)との永遠の別れ

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 年が明け、この時期になると思い出すのが、力士時代の師匠、春日野親方との別れだ。1月10日は、俺が「おやじ」と慕っていた親方の命日なのである。

 春日野親方は、現役時代は「土俵の名人」と呼ばれた横綱・栃錦。俺は中学1年のときに、まだ現役だったおやじに「相撲取りにならないか?」と声を掛けられてから、現役を引退した後まで、ずっとお世話になりっぱなしだった。

 そんなおやじとの別れに向けた日々は、今でもはっきりと思い出す。俺にとっては、悲しくもすばらしい想い出だ。

 おやじは、横綱として大相撲の黄金時代を支え、引退後は親方として、後進を育成。同時に日本相撲協会の理事長として、両国国技館を建設するなど、14年もの間、相撲界の発展に尽力した。その功績を讃え、おやじが生まれ育った地元・JR小岩駅の構内には、栃錦の銅像があるほどなのだ。


 だが、そんなおやじも、昭和の歴史とともに人生に幕を閉じることになった。

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各界一の型破りな元お相撲さん 高橋光弥(元栃桜)のどっこい人生 第82回

おやじが教えてくれた「桜のごとき」金の使い方

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 世の中、不景気だの、消費が冷え込んでいるだのといった暗いニュースばかりが流れている。景気をよくするには、国民がもっとお金を使うようにならなければならないなんてが言われているが、そんなことを聞くと、俺が現役力士だった頃、師匠(おやじ)の春日野親方からこんな言葉をよく言われたことを思い出す。

「おい、おまえたち。若いくせに貯金なんぞしている人間に、ろくな者はいないんだ。相撲取りは宵越しの金なんぞは持たないんだよ。強くなって関取になれば、金はいくらでも入ってくるんだ」

 これがおやじの口癖だったな。なるほど、それはそうだ。力士は、食事から、寝るところまで、すべて相撲部屋に用意してもらえる。懐に1円も入ってなくても生きていけるのが、力士の世界なのだ。

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各界一の型破りな元お相撲さん 高橋光弥(元栃桜)のどっこい人生 第81回

相撲部屋を裏で支える女将さんという存在

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 今回は、相撲界を陰で支え続ける女将さんという存在とその思い出を書いてみたい。

 親方が相撲部屋における表の看板(顔)なら、裏の看板は女将さんだ。女将さんの存在を語らずして、相撲部屋の話はできない。

 俺が世話になっていた春日野部屋や本家筋に当たる出羽海部屋などは、関取から若い者まで70~80名の力士、それに若い床山、行司、呼び出しまでが一緒に暮らしていた大所帯だった。その中で、女性は女将さんただひとり。それだけ考えても、並の女性ではとても務まるものではないことがわかるだろう。

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各界一の型破りな元お相撲さん 高橋光弥(元栃桜)のどっこい人生 第80回

栃桜というハチャメチャ力士のこと

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----破天荒な各界一の型破りな元お相撲さんによる人生譚。

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 今回でこの連載を始めて早80回になる。もう7年近く続けているんだなぁ。

 まぁ、こうなると、この連載を最初から読んでいる読者は当然少なくなっているようで、編集部には、「この元栃桜っていうのは、どんな相撲取りだったんだ?」「型破りっていうけど、今でいう朝青龍みたいなもんか」などといった質問が寄せられるそうだ。

 大横綱・朝青龍を引き合いに出してくれるとは恐れ多い。相撲の世界では、俺と朝青龍では、まるで月とスッポンほど実力も実績も差があるから、光栄な話ではあるがね。

 ということで、ここでは改めて、自他共に認める「実にへんてこな力士」だった、俺の現役時代を駆け足で振り返らせてもらおう。 朝青龍は現代の大横綱ゆえに、ガッツポーズをしただけで、あんなに騒がれ、怒られ、批判を受けている。だが、自慢じゃないが俺が怒られた回数は、横綱の比じゃないぜ。力士が命をかける土俵の上や下でハチャメチャなことをしでかし、師匠や相撲協会の役員に何度怒られたことか。

 俺が、初土俵を踏んだのは昭和37年の初場所。まだ14歳の新弟子だったが、負けん気は部屋の中でも人一番強かった。

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各界一の型破りな元お相撲さん 高橋光弥(元栃桜)のどっこい人生 第79回

恋はすばらしき、されど魔物なり

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 今回も、前回に引き続いて若い力士と女性関係について少々深い話をしてみたい。

 言わずもがな、若い力士が恋などにうつつを抜かしてなどいては、大事な修業に身が入らなくなり、関取への道は遠くなるばかりか、道半ばで挫折し、やめていく者も少なくない。

 もちろん、力士とて人である。女性を好きになっても、なんの不思議ない。むしろごく自然の成り行きというものかもしれない......が。それがいけない。ちょっとの気の緩みが、力士としての命取りにつながるのだ。

 己の欲求を打ち負かす強い精神力を持つことは、強い力士になるための必須条件でもあるのだ。そりゃあ、男である限り、かわいい女性と一緒にいたいと思うのも当然のことだ。特に力士などというものは、相撲部屋で体の大きな男ばかりの殺伐とした厳しい団体生活を送り、色気の「い」の字もあったもんじゃない。一種独特の世界である。

 俺が現役だった40年以上も前の相撲部屋は、現在より部屋の数も半数程度と少なく、1部屋当たりの力士の人数も多かった。だから幕下以下の力士は、大部屋に数十人が雑魚寝状態である。まるで魚市場のマグロだぜ。

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各界一の型破りな元お相撲さん 高橋光弥(元栃桜)のどっこい人生 第78回

なぜ力士の女房は年上が多いのか?

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 今回は、還暦を過ぎた男が柄でもないと言われそうだが、力士の色恋沙汰について書いてみたい。なんとなく、そんな気分なんだから、いいじゃないか。

 力士にとって、恋をすることは、相撲人生を左右する大きな出来事といっていい。キザな言い方だが、相撲に恋した力士は、相撲界で成功する可能性が残されているが、女性に本気で恋してしまった力士には未来がない。

 女性に恋をするということは、病気やけがと同じくらい、力士をダメにするのだ。相撲部屋での団体生活の中では、女性に恋してしまった力士は、すぐにわかる。厳しい稽古中でも、どこか力が抜けている。これまで汚いタオルで汗を拭っていたのに、ふと見ると、彼女にもらったとおぼしき、きれいなハンカチを使っていたりする。稽古後も、ひとりで出かけていったり、夜遅く帰ってきたり。みんなでちゃんこを食べているときも、どこか上の空だ。孤立していたり、浮いていたりするのだ。

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各界一の型破りな元お相撲さん 高橋光弥(元栃桜)のどっこい人生 第77回

仙人は本当に栃木の山奥に実在している、という話

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 そんなことを言うと、頭が変になったと思われるかもしれないが、俺が尊敬する人のひとりに「仙人」がいる。そう、マンガや映画に出てくるような、あの仙人を想像していただいて結構だ。

 その人は、職業や肩書があるわけではなく、形容する言葉を探すとなると、「仙人」以外は見つからないのだから仕方がない。

 仙人の名は、渡辺飄然先生。本名は知らないが、自らそう名乗っている。まさに飄然とした風貌と生き方をしているゆえに、この名ほどしっくりくるものはない。栃木の山奥で暮らしているので、彼を知る人は「栃木の仙人」と呼ぶ。

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各界一の型破りな元お相撲さん 高橋光弥(元栃桜)のどっこい人生 第76回

殉国七士の遺骨が祀られた墓を知っているか?

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 去る4月29日、俺は愛知県幡豆郡幡豆町三ヶ根山の山頂にいた。ここに何があるかを知っている日本人は、ごく少数だろう。

 ここには「殉国七士の墓」、または「殉国七士廟」と呼ばれるものが建立されている。殉国七士とは、太平洋戦争の責任を問われ、A級戦犯の汚名を着せられ処刑された、東条英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅の7名のことだ。

 俺は、30年近く、毎年4月29日の昭和天皇の誕生日に、殉国七士の墓に参っている。この日は、墓前祭が行われるからだ。

 A級戦犯の墓前祭に参加しているなどというと、すぐに「右翼だ」「戦争賛美だ」という人がいるが、国や国民のために命を捧げた人たちを敬う気持ちを持って、何がいけないのだろうか。

 もちろん、戦争を礼賛する気は毛頭ない。過去の過ちから学び、反省するところはする。だが、太平洋戦争に関する歴史は、かなりゆがめられて伝えられていると俺は確信している。それを説明していると、本が1冊書けてしまうので、ここでは割愛するが、ひとつ言えるのは、いつの時代も歴史というのは、勝者=時の権力の論理でつくられるということだ。太平洋戦争も、敗者である日本の論理や事実は抹殺されたといっていいだろう。勝ったほうが善で、負けたほうが悪。しかし、事実はそんな単純なはずがない。日本人であるなら、あの戦いのどこに「正義」があったのかを積極的に知ろうとすべきだろう。

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