世界的な“むし”の権威が語る!――技術革新で変わる採取と新種の発見
2020年12月21日 11:00
2017年7月15日 11:00
――90年代、“渋谷系”のアイコンとなった小山田圭吾。フリッパーズ・ギター解散後はソロ・ユニットのコーネリアスを始動し、一連の作品は世界的にも高く評価された――という話はよく知られているが、なんと11年ぶりにアルバムを出す。タイトルは『Mellow Waves』。では、その間、彼は何をしていたのか? サイゾー初登場となるこの稀代の音楽家に、新作のことから生活の変化まで語ってもらった。
(写真/佐内正史)
コーネリアスこと小山田圭吾が11年ぶりにアルバムを出す――。そんな話を耳にしたのは、今年の春先だっただろうか。これが、彼の音楽を熱心に聴いてきた人々にとっていかに待ち望んでいたことかは、サイゾーの30~40代読者なら想像できるだろう。しかし、若い読者のためにも、まずは小山田圭吾のこれまでを簡単におさらいしておこう。
1989年、フリッパーズ・ギターとしてデビューした小山田。ネオアコを主軸としたバンドのスタイリッシュな音楽性やファッション・センスは当時の若者を魅了し、メンバーの小沢健二とともにその界隈のアイドル的存在となった。やがて、いわゆる渋谷系の代表者と見なされるようになるが、バンドは91年に解散してしまう。
その後、小山田はソロ・プロジェクトであるコーネリアスの活動を始め、97年にはサンプリング/コラージュ・ミュージックの金字塔『FANTASMA』を発表する。同作は国内外で高く評価され、ベックやブラーといった海外のミュージシャンたちも大いに感化された。以降は時代の先端を走る音楽家となり、『POINT』(01年)や『SENSUOUS』(06年)では音響や空間を重んじた一音一音をループさせてグルーヴを生んでいく手法を編み出したのだった。
それから長い時を経て、ついに新しいアルバム『Mellow Waves』が完成した。前作、前々作の方法論が引き継がれつつも、決して時代に取り残されているのではなく、ところどころで昨今の音楽的トレンドとも呼応し、さらにはそれらの進化した形さえ提示しているようにも聴こえる傑作である。
では、この11年、小山田圭吾は何を考え、どんな日々を送り、いかに音楽と向き合ってきたのか――。本人を直撃した。
新しい音楽を教えてくれる息子
(写真/佐内正史)
――今回のアルバムはいつから作り始めたんですか?
「一番古い曲で7~8年くらい前かな。『SENSUOUS』のツアーが終わってから、少しずつやり始めてはいたんですよ。で、最後に作った曲が去年の年末あたり。その頃までMETAFIVE【1】で忙しかったので、それが落ち着いてからまとめの作業に集中していった感じですね」
――『Mellow Waves』は『POINT』『SENSUOUS』の発展形といえる部分もあると思いますが、先行シングルとなった「あなたがいるなら」はアルバム名どおり、まさに甘美で揺らぐようなサウンドとリズムが印象的な大名曲です。作詞は坂本慎太郎【2】さんが手掛けていますが、この曲はどのようにして作られたのでしょうか?
「『攻殻機動隊』シリーズのサントラ【3】をやったときに、坂本真綾さんが歌う曲の歌詞を坂本君が書いてくれたんだけど、歌入れのレコーディングの帰り道で坂本君にお願いしたんです。その後、『ラブソングを作ったら面白いかも』って話になって。それがなんとなく頭にあって、あの曲を作ったんです」
――確かにピュアな愛が歌われますが、着想を得た具体的な音楽はあるのでしょうか?
「なんとなく、昔のスウィート・ソウルとか官能的な感じがするじゃない? ああいう雰囲気にしたかったのと、エレピ(エレクトリック・ピアノ)のトレモロ(同じ音や異なった二音を小刻みに反復させる演奏法)の気持ち良さみたいなのを入れたくて」
――ちなみに、今のR&Bも聴いているんですか?
「ちょいちょいね。ドレイクの新しいアルバム(『More Life』)に入ってる『Passionfruit』っていうハウスっぽい曲があるでしょう。あれ、すごい好き。子ども(小山田米呂【4】)がレコード屋(原宿のBIG LOVE)でバイトしていて、最近はそういうR&Bやヒップホップが好きみたいで、昨日、車の中でDJっぽいことをしてもらってるときに、教えてもらった。で、今日、スポティファイ【5】で聴いていました」
――米呂君経由で新しい音楽を知ることもあるんですね。
「最近、それが多い。レコ屋の店員だから、新譜は超詳しくて。米呂の友達が家に遊びに来たときも、みんなでiPodでDJみたいなことをするんです。その友達の一人が山下達郎【7】さんの『あまく危険な香り』をかけてたことがあったから、その元ネタとされるカーティス・メイフィールド【8】の『Tripping Out』を流したら、「なんすか、これ?」って言われて(笑)。ただ、最近の音楽はみんな詳しいので、いろいろ教えてもらったりする」
――そんな知り方もあるんですね。「あなたがいるなら」に話を戻すと、あの曲の揺らぐようなリズムは、それこそラップ・ミュージックのトレンドであるトラップ【9】のビートと通じているようにも聴こえました。
「でも、トラップがどういう音楽なのか、よくわかってないんです。ただ、言葉の意味はなんとなくわかる。引っかかったり、つんのめったりするようなリズムというか」
3・11の直後は音楽を聴けなかった
(写真/佐内正史)
――「あなたがいるなら」を作詞した坂本さんとは、salyu×salyu【10】で共作するようになりましたが、作詞に関して彼に具体的にディレクションをするのでしょうか?
「salyu×salyuのときは、複雑な譜割りの曲だったので、ちょっとあったけど、基本しない」
――坂本さんの歌詞は、どういう点を評価しているんですか?
「歌詞って、音楽のための言葉じゃないですか。だから、発語の気持ち良さが大事なんです。そういう意味で、坂本君の作詞はものすごくよくできている。あと、内容的にも、唯一と言っていいくらいしっくりくる。年が近いし、見てきた景色がわりと重なっているんだろうね」
――そういえば、salyu×salyuのアルバム『s(o)un(d)beams』はリリース直前に3・11があり、その影響で発売延期になりました。あの大震災はさまざまな意味で日本社会に大きなインパクトを与えたわけですが、小山田さんはどう受け止めたのでしょうか?
「しばらく、音楽を聴く気にはなれなかったね。なかなかそんな気にはなれないでしょ、ああいうときって。ちなみに、『s(o)un(d)beams』に『続きを』という曲があるんだけど、当時の気持ちをすごく代弁しているような歌でね。作詞した坂本君は震災を予見していたわけじゃないだろうけど、震災直後に聴いたらそのことを歌っているんじゃないかって錯覚するような曲で、ちょっと救われた気分になった」
――そのsalyu × salyuやMETAFIVE、『攻殻機動隊』シリーズのサントラ以外にも、YMO【11】のサポート・メンバー、YOKO ONO PLASTIC ONO BAND【12】のメンバーなど、この11年、小山田さんはさまざまな活動をしてきたので、完全に沈黙していたわけではないですよね。
「ずっといろいろやっていたから、11年ぶりと言われると、そんなにたったんだって思う。加齢のスピードが速くなってきてるので、10年が昔の半分くらいの感覚なんです」
――実際のところ、『Mellow Waves』を形にしていく過程で、 例えば行き詰まりや迷いを感じたりすることはなかったんですか?
「何カ月かほかのプロジェクトをいろいろやって、それが終わってコーネリアスのアルバムの作業に戻ったときに、『あれ、オレは何をしたいんだっけ?』って頭が混乱していたり。毎回、それが大変だったかな」
――この11年を振り返ると、ご自身の生活や環境の変化もいろいろあったかと思いますが、いかがですか?
「まず、自分が加齢した。それは大きな実感ですね。体がツラくなったとか、目が悪くなったとかそういうのもあるし、周りの人が病気になり始めたり。あと、デヴィッド・ボウイ【13】とかプリンス【14】とか、自分が子どもの頃からあこがれていた人たちが、どんどん亡くなったり」
――そういう変化が起きることで、自分の作品をもっと残さなければいけないとも思いましたか?
「それはちょっと思った。さらに10年たったら60歳近くなるから、死ぬまでにあと何枚アルバムを作れるんだろうと。まあ、そんなにガツガツやってもしょうがないけど、これからはもう少し自分のことを考えようかなって思う」
――また、『POINT』のジャケットに「from Nakameguro to Everywhere」という言葉が添えられていたように、コーネリアスといえば中目黒をある種レペゼンしていましたが、プライベート・スタジオの場所が中目黒から桜新町に移りましたよね。
「それは意外と大きなことじゃないんです。家から作業場がより近くなって楽になっただけで。ただ、中目はすごくうるさくなってきたじゃない? 昔はもっとローカル感があって、それがよかったんだけど、いつの間にかドン・キ(ホーテ)が攻めてきて(笑)。でも、桜新町は永遠にローカル感がある。チャリでスタジオまで来れるから」
――さらに、テクノロジーの進化に伴って、音楽機材の変化もさまざまな形であったと思います。
「それなりに進化している機材はたくさんあるけど、音楽の作り方がガラッと変わるってことはあんまり感じなかったなぁ。ハードディスク・レコーディング【15】、Pro Tools【16】が普及してからのことは、地味なアップデートというか。それよりも、音楽を聴く環境の変化のほうが大きい。今はもう、完全にスマホで聴く時代でしょう? あと、最近はアナログ(レコード)がまたブームだけど、10年前ってアナログの価値が底だったから」
――今、ご自身はどういう聴き方を?
「基本、スポティファイですね。あとは、時間に余裕があるときにアナログをじっくり聴いたり。アナログは子どもの影響なんですけどね。米呂もアナログかスポティファイで音楽を聴いてるけど、スポティファイを使いだしたのは僕のほうが早かったんです(笑)」
去年のアメリカ・ツアーは“リハビリ”だった
(写真/佐内正史)
――ところで去年の夏、リマスターしたアナログ盤『FANTASMA』がアメリカでで再発されるのに合わせて、同国でツアー「CORNELIUS PERFORMS FANTASMA」を敢行しましたよね。アメリカ側からのオファーだったと聞いていますが、なぜ引き受けたんですか?
「あの頃、『Mellow Waves』の完成が見えてきて、出したら絶対にライヴをやらなきゃと思ってたけど、コーネリアスでライヴを何年もやっていなかったし、ライヴのメンバーには大野(由美子)さんを新しく加えたいと考えていて。そんなときに、アメリカ・ツアーの話があったので、じゃあ、やろうかと。だから、“リハビリ”という側面がデカかったですね(笑)」
――LAでのライヴにはベック【18】も飛び入り参加したそうですね。
「そうそう、テルミンを演奏してくれてね。ベックとは昔、来日したときに結構会ったりしてたんだけど、腰を悪くしちゃって何年か休んでたでしょう。だから、日本にあんまり来てなくて……。ベックも加齢の問題を抱えているわけです(笑)。それと、アメリカでのライヴは久々だったから、お客さんも加齢していたんだけど、『FANTASMA』の再発とかネット経由でコーネリアスを知ったような若い子もたくさんいて、日本よりもお客さんの世代が広がったんじゃないかな。とにかく、みんな楽しみにしてくれていたみたいで、あのツアーはすごく面白かった」
――以前、METAFIVEがアルバム『META』をリリースする際の取材で、小山田さんに「バンドはかなり久しぶりだったんじゃないですか?」とつい失礼な質問をしてしまいましたが、よくよく考えてみると、映像とシンクロさせたライヴ・パフォーマンスも重視してきたコーネリアスこそ、ある意味、バンドと呼べるかもしれません。
「そういう面ではバンドですね。フリッパーズ・ギター【19】は全然バンドじゃなかったから」
――『Mellow Waves』のツアーも予定されていますが、あの緻密に構築された楽曲群をライヴで表現するのはなかなか難しそうだなと……。
「まあ、ライヴは毎回大変なんですけどね。でも、今回も面白いことになるんじゃないかな」
(文/中矢俊一郎)
(ロケ地/河原町団地・神奈川県川崎市幸区)
小山田圭吾(おやまだ・けいご)
1969年、東京生まれ。89年にフリッパーズ・ギターのメンバーとしてデビュー。バンド解散後、コーネリアスとして活動開始。現在まで5枚のオリジナル・アルバムを発表し、6月28日に新作『Mellow Waves』をリリースする。国内外多数のミュージシャンとのコラボレーションやリミックス、プロデュースなども行ってきた。
コーネリアスが生んだ全スタジオ・アルバム
『Mellow Waves』(ワーナーミュージック・ジャパン/17年)
『THE FIRST QUESTION AWARD』(トラットリア/ポリスター/94年)
『69/96』(同/95年)
『FANTASMA』(同/97年)
『POINT』(同/01年)
『SENSUOUS』(ワーナーミュージック・ジャパン/06年)
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